いんせい!! #05 キャンパス!!

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遠い遠いと言われながら、大学創立100周年を記念して造られた壮大なキャンパスに、忘れられた物など・・・あったみたいです。
 

#05 キャンパス!!

 
都の西北・所沢の杜にそびえ立つのは、早稲田大学所沢キャンパス、通称「とこキャン」。建築界の巨匠・池原義郎先生の設計によって、狭山湖畔の自然豊かなエリアに純白の建造物群が姿を現したのは、時代の大きな転換点を間近に控えた1987年でした。とこキャンは当初こそ人間科学部単独のキャンパスでしたが、2003年には人間科学部からスポーツ科学部が分離し、現在は2学部(人間科学部・スポーツ科学部)を抱えるに至っています。
 
本線の話題が徐々にダウナーになってきたこともありますので、とこキャンの各種施設、さらには周辺エリアの仮面ライダーロケ地などについてつらつらと書いていくことにいたします。
 

とこキャンの魅力に迫る!! 

 
とこキャン創設当初からの心臓部にして、現在でも学部、並びに研究科の主要施設が集中しているのが「100号館」と呼ばれる建物です。100というキリの良い数字は、とこキャンが大学創設100周年プロジェクトであったことによるもののようですが、実は大学の全てのキャンパスでの通し番号ともなっています。せっかくなので全キャンパスの大まかな付番規則について書いてみますと
 
1~29 早稲田キャンパス(本キャン)
30~39 戸山キャンパス
40~ 喜久井町キャンパス 他
50   先端生命医科学センター(TWins)
51~66 西早稲田キャンパス
70~74 上石神井キャンパス(高等学院)
75   東伏見キャンパス 他
80   上井草グラウンド
82~  セミナーハウス 他
90~94 本庄キャンパス
95~98 本庄高等学院
99   STEP21(早稲田)
100~110 所沢キャンパス
120・121 研究開発センター(早稲田)
201   日本橋キャンパス、北九州キャンパス

 

あれ、思っていたより綺麗に揃ってなかったですね。欠番のところは調べがついていないだけで、もしかしたら該当の建物があるかもしれません。情報をご存じの方よろしければ教えてください。我らがとこキャンの付番は100を先頭に、そうそうたる都心のメインキャンパスから受け継がれた通し番号リレーの大トリを務めています。くれぐれも育成選手の背番号っぽいとか言わないであげてください。

 
さて、100号館の簡単に構造を説明しますと、縦8層・横8ゾーンに分かれています。そりゃどんなビルでも縦横に切ればそれくらいのことになるでしょと仰る方も多いかと思いますが、なんというかその、全部のゾーンにすべての層があるわけじゃないのです。
 
 
例えばAゾーンは0階から3階、Cゾーンは3階から7階と、斜面に沿うように建てられているがために地上階や存在する階がゾーンによって異なるのです。いやはや申し訳ない、分かりづらくなっちゃったかもしれませんが、分かりづらい建物なのでこれ以上の説明は無理です。もし100号館で行きたい場所がありましたら、まず行きたい施設のあるゾーン(A~G・S)を確認して、何階でもいいのでそのゾーンまでたどり着くようにしましょう。言い換えれば、同じ階にたどり着いても違うゾーンに居てしまった場合、目的の場所にすんなり行けないかもしれないのです。
 
もうちょっとだけ分かりやすく説明しますと、目的地の施設がある階数に到達してしかも目の前に目的地が見えるのに、直線的に繋いでくれている廊下がない場合があるということです。筆者もどうにか効率よく移動できないかと頭を悩ませましたが、そもそも移動するような用事を作らなければよい、という結論に到達しました。
 
 
 
時代が経過し、さすがに100号館だけでは手狭になったのか、2009年には新たな教室棟「101号館」が建設されました。今度は100号館の反省を生かしたのでしょうか、これでもかというほど、特に取り上げる部分が思いつかないほど中身はシンプル&スタイリッシュな構造となっています。写真は2015年1月、eスクールの口頭試問が行われた際に一応撮影しておいたもので、それくらいしか写真にも残していない(ほど優秀な)建物ということです。
 
 
敷地内にはこのほか、あの壮絶なソフトボールスクーリングが行われた野球場、更には長水路を備えたアクアアリーナや陸上競技場があります。
 
 
あとは森です。
 
 
森です。
 
 
まあこのような感じで、大学教育を遂行するための施設に加えて雄大な森が充実しているという、目や耳や心肺機能にはとても優しいキャンパスとなっています。外国にあっても引けを取らないかもしれない地球規模スケールなキャンパスに、しかし大きく欠けているものがあることに、訪れた方のほとんどは気づいてしまうと思います。それは交通アクセス、特に、最寄りの鉄道駅からのアクセスです。
 
現状での最寄り駅は西武池袋線の小手指駅、それもバスで15分、実際はしょっちゅう道が渋滞するのでそれ以上に感じさせるほどの距離があります。15分という数字も徒歩ならまだ珍しくないレベルですが、文明の利器を駆使してなおこの数字ですから、どう転んでも徒歩圏内ではないわけです。ちなみに補足しますと、キャンパスの隣には埼玉県立芸術総合高校があり、仮に相応の交通網ストックがあったとしてもそこそこの需要が見込まれます。それなのに、だのになぜ、とこキャンには「最寄り駅」がないのでしょうか。
 
この謎について筆者は、大学教員やタクシー運転手などへのそれとないヒアリングを重ね、とこキャン周囲で囁かれている路線計画の噂の洗い出しを試みました。その結果、流布されている噂は、主なところで3パターン存在していることが判明しました。
 
・西武球場前から線路が延びてくる
・レオライナーが延びてくる
・モノレールが延びてくる
 
今回はこの3つの噂の根拠となっているらしい計画の有無について、加えて想定されるルートやその実現性について、主に鉄道計画に関する記録から考察してみることにいたします。
 

所沢キャンパスの忘れ物、鉄道アクセスを見つける

 
 
まずおさらいで、上図がとこキャンと狭山丘陵、そしてその周辺の鉄道網です。いやしかしなんともはや、これだけ高密度に鉄道が敷かれた地域にありながら、よくもまあ奇跡的になんにもない場所に建てちまったものですよ。しかし「なにもない」ということは、過去に何らかの計画や構想があったものの実現しないまま今に至っている、ということもあり得る話です。
 

延伸都市伝説その1「西武球場前から線路が延びてくる」

 
結論から言いますと、この伝説の根拠となっていそうな計画が、かつて確かに存在していました。今の池袋線(明るい水色)を敷設した武蔵野鉄道は、所沢と飯能を結ぶ路線に加え、所沢と青梅を結ぶ「狭山線」を計画していました。今の西武狭山線(西所沢~西武球場前)はその先駆けといえる区間で、当初の計画ルートと思しきルート上には、現在も県道179号所沢青梅線が存在しています。
 
ただしこの青梅行き計画(=狭山線の目的)は、かなり早い段階にて、「狭山湖(山口貯水池)観光へのアクセス鉄道」に振り替えられてしまいました。現存する狭山線が開業したのが昭和4年、その後に鉄道会社の合併やレジャー開発もあり、当初の狭山線延伸構想は早々と忘れ去られてしまったようです。実際に、西武球場前駅の線路が南側を向いていることからも、西側(青梅側)に延伸する意志が現実の狭山線には希薄であったことが伺えます。
 
 
しかしとこキャンが構想(立地の正式決定は1981年5月)されたであろう昭和40~50年代、西武鉄道は大将(堤康次郎氏)の大号令の元、沿線各所での大規模な観光地開発に情熱を注いでいました。特に、西武ライオンズの誘致や西武球場の開発など、いわゆる西武園周辺の開発には多大な心血を注いでいたことが伺われます。この過程において、狭山湖・多摩湖周辺の路線網を合理的に再編するなどの動きがあったことは、想像の範囲ですが大いに考えられるところです。
 
例えば上図のように、多摩湖線か西武園線(青色)を西武球場前駅に乗り入れさせる、そしてそのまま路線を延ばしてとこキャン方面更には小手指方面に延伸する・・・という青写真を大将が描いていなかったとは言い切れません。ルートとしても、秩父の山にトンネルをぶち抜いた西武鉄道ですから、例えば狭山湖にアーチを架けて湖畔全体を観光地化することだって「できる」となれば踏み切った可能性はあるでしょう。もちろんこうした推測は妄想の域を出ないものですが、あらゆる空想を実現にこぎ着けてしまう進取の気性が当時の西武鉄道にあり、それがとこキャンの位置選定に影響を及ぼした可能性を完全に否定することはできません。
 

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しかし妄想の是非の前に、仮にいずれの路線構想を今から実現させようとしてもほぼ不可能であることもまた指摘しなければなりません。それは1960年代以降に本格化した、狭山丘陵の環境保全を主張した自治体や市民団体(地域住民)による自然保護活動です。資料によりますと、沿線のレジャー&宅地開発に邁進していた時の西武鉄道に対する風当たりは強く、1990年代には「トトロの森」に代表されるナショナルトラスト運動の典型例として注目を浴びるようになりました。個人的にも里山好き、子供のころに観たあの映画の情景を昔の話と思えなかった感覚の人間なので、地域の方々の願いは大いに理解できます。
 
また元々狭山湖は「山口貯水池」、多摩湖は「村山貯水池」というのが正式名称で、簡単に言うとダムです。そしてそんなダムをレジャー施設化しようと他ならぬ西武鉄道が名付けた名称が狭山湖・多摩湖であり、市民団体による環境保全の願いが沸き起こる前から、ダムを管理する西武と都水道局との間にも何らかの緊張関係が内在していたことも想像されます。あれ、狭山湖は埼玉県に乗っかってるのにその水は東京都水道局の管理なんだ・・・と思いましたが、それは今回は追及しないことにします。
  

延伸都市伝説その2「レオライナーが延びてくる」

 
「レオライナー」、正式には西武山口線(赤色)という名前を持つ、多摩湖の畔を可愛げに走る新交通システムです。多摩湖線多摩湖駅(2020年まで「西武遊園地駅」)から西武園ゆうえんちを経由し、西武球場前に至るということで、西武ドームに足繁く通われている方はよく見かける路線かと思います。この西武山口線、元々は周辺観光施設を結ぶ軽便鉄道「おとぎ線」でしたが、昭和27年に西武鉄道は普通の鉄道としての免許を申請しました。喩えとして適切か自信がないですが、ウエスタンリバー鉄道が何を思ったかガチの鉄道に鞍替えし、舞浜駅まで延伸した挙げ句PASMOが使えるようになった的な話です。鉄道昇格後しばらくはSLブームの火付け役として観光輸送に徹していましたが、西武ライオンズ誘致(西武球場建設)に合わせ、西武鉄道は山口線を「新交通システム」に改造することを決断しました。かくして山口線は、多摩湖駅(西武遊園地駅)~西武球場前駅を結ぶレオライナーとして生まれ変わり、現在に至っています。
 
この路線の特徴は、まず見た目にも分かるように小ぶりであること、そのため線形の自由度が高いことがあります。レオライナー建設時は都市伝説その1で書いたように、大将が狭山湖開発をあきらめていなかったかもしれない時期ですから、レオライナーが狭山湖・多摩湖沿岸を巡るという野望を抱いていた可能性をあながち否定できません。しかし、やはり相手が自治体・市民団体・都水道局というのは、いくらなんでも分が悪すぎます。かくしてレオライナーが延伸するという計画も、あったかもしれないけれど、それが実現する可能性は当初からゼロに近かったと言わざるを得ません。
 
ちなみに西武のレジャー計画に関して調べていきますと、孫引きの記事からの情報となりますが、昭和30年代には奥多摩の小河内ダムで大規模開発計画を立案していたことが判明しています。そのビジョンを狭山丘陵に取り入れようとしていたかは分かりませんが、「ダム(湖)&レジャー」といパッケージは、時の西武にとって重要なキーワードであったと考えられます。結果として小河内ダム開発計画は頓挫し、狭山丘陵開発構想も徐々にトーンダウンを余儀なくされ、その過程において狭山丘陵にて遊んでいた土地をまとまって引き取ってくれる相手が早稲田大学だったというわけです。実はヒアリングにて「早大は『いずれ線路を延ばすので所沢にキャンパスを』と西武側に打診された」という情報が複数出てきていましたが、これはとこキャンの半分近くの土地の前の地主が西武鉄道であったという事実と状況証拠から尾ひれがついた、あるいはかなり水面下での真相に近いものだったのかもしれません。
 

延伸都市伝説その3「モノレールが延びてくる」

 
狭山丘陵に向かって延びている路線は、なにも西武線だけではなく、上図オレンジ色で示した「多摩モノレール(多摩都市モノレール)」もあります。多摩モノレールとはその名の通り多摩地域を縦に結ぶ路線で、主に多摩・八王子・日野・立川・東大和という、隣り合っているイメージが対外的にはあまりないように思える各市民らに重宝されている路線です。モノレールの現在の北限:上北台駅は、立川市と東大和市を結ぶ「芋窪街道」の真上に敷設されており、そのルートをそのまま北に伸ばすと西武球場前駅に到達することが分かります。新交通システム同様、モノレールも線形の自由度が高い路線形式ですから、そこから更にとこキャンや小手指方面に伸ばすことも不可能ではないように思えます。
 
しかしここには、都境(県境)という壁、更にはまたしても市民団体・都水道局という壁が立ちふさがります。まず、多摩都市モノレールは東京都と周辺自治体や企業が出資している第三セクターであり、よって路線も東京都内で完結しています。西武球場前駅やとこキャン、小手指方面への延伸は埼玉県議会でも質問がなされる程度に埼玉県側も注目しているようですが、最低でも埼玉県側の運営を担うモノレール会社の用立てが必要でしょう。
 
そしてなにより、構想ルートの実現には、保全された狭山丘陵の開発とおそらく多摩湖(村山貯水池)の堤体への大規模工事を避けることができません。いくら自治体運営の交通機関が相手でも、数十年来の闘争を勝ち抜いてきたアグレッシブな市民団体が、この構想を簡単に許すとは思えません。ダムの方も割と最近になって堤体の大規模補強工事を行っていますから、補強のついでにモノレール橋脚用の基礎も埋め込んじゃっときますねーほら使わないのもったいなくないですか?、という準備工事やっときました作戦も難しそうです。
 

それでもとこキャンに鉄道を乗り入れさせるなら

 
以上、囁かれていた都市伝説はいずれも根拠っぽい歴史や情報があったものの、森や貯水池に触れているがために実現性は限りなくゼロといえるものでした。というかとこキャンの土地取得に関する経緯と都市伝説が真実とするならば、大将にまんまと一杯食わされた、という感想しか出てこないのですがそれはここでは考えないことにします。さてここで考えを改めるとすれば、森や貯水池を回避する、つまりそちらを介さないというのはどうでしょうか。もっと直接的にとこキャンに乗り入れるような、いっそとこキャンのためにしか存在しないような、そのような路線を敷くことはできないのでしょうか。
 
できます。言うだけなら、なんとでも言えます。それはズバリ、小手指駅から新たに支線を敷設し、とこキャンまで線路を引っ張るという全く新しい構想です。元々小手指駅には車庫がある関係もあって、始発・終着列車が数多く設定されているため、それをそのまま延長運転することができそうなのも追い風です。先祖代々受け継がれた大切な茶畑や森や家屋敷を踏みにじられる地域住民の皆様の慚愧の念を一切無視して工事を強行し、弾力的な運用が可能な最低限の設備を取り入れるとなると、このような路線が考えられます。
 
 
小手指駅からとこキャンまで、想定される路線の長さはおよそ4km、と見積もられます。仮に全区間が単線でも、中間地点(2km)に上下線電車の交換を可能とする駅を設置することで、最短10分間隔のダイヤを実現できます。
 
 
続いて、とこキャン駅をキャンパス内のどこに作るか、その候補地を考えてみましょう。小手指止まりの電車が来ることを考えると、10両編成が停車可能な有効長、つまり210mはホームが欲しいところです。一方、できることであれば、ホームの用地は大学の敷地内であった方が土地代も掛からないので有利です。200m程度の長さがあり、敷地内で、各建物へのアクセスも良さそうな場所・・・
 
 
ややっ、この北門駐車場と呼ばれている場所など、うってつけではありませぬか。
 
 
かくして、とこキャン駅の位置と、主な建物との位置関係が決まりました。最も利用頻度の高い100号館、平面図でも偏屈そうな形をしている建物へは、体育館脇に整備可能な専用通路を介して2~3分といったところでしょうか。小手指駅からとこキャン駅までの所要時間を5分とすると、直通急行を運行した場合、なんと池袋駅から最速36分となります。
 
もしも、池袋発午前10時ちょうどにこの直通急行が設定されれば、2時限の開始時刻(10:40)にギリギリ間に合ってしまうのです。今この時間帯の電車に乗り込む多くのとこキャン生が、熱が出ましただの眩暈がしますだの目覚ましをかけ忘れましただのとどうにかして遅刻の言い訳をひねり出そうと考えあぐねている車内の雰囲気は、ギリギリ間に合うかもしれないという希望に満ち溢れたものに変わるのです。
 
ただ採算面で言いますと全長4kmの高架新線を建設する場合、他地域の施工事例などから推測するに、どう低く見積もっても300億円は必要となります。ちなみにとこキャンの建設費用は80億円、その後の建て増し分を合算して総額150億円としたとしても、更にその2倍の費用が路線建設にかかることになります。営業係数とか野暮な話です。心ある篤志家の皆さま、お志のほどなにとぞよろしくお願いいたします。
 

足を踏み入れられれば最高の場所 所沢キャンパス

 
所沢キャンパス(とこキャン)。100号館を少しずつ引っ張って都心に寄せていこう、などというサークルの存在を許す程度には僻地感のある立地にして、W大キャンパス群の中でも屈指のユートピアがそこにあります。筆者が田舎者だからということもありますが、都心近郊では珍しいほどの大自然の存在が、キャンパスでの居心地を素晴らしいものとしてくれています。またそれにより人口密度も建物の密度も低く、何かにつけて余裕があります。大将は美味しい一杯を食わせてくれたのです。なにより世界の総合大学のキャンパスを見てみると、「街ごと」というスケールのものがザラにあるのですから、こちらの方が本来の大学とも言えるのかもしれません。都心から1時間程度の移動によって、こんな最高の環境で勉学と研究に励める学生や院生は、かなりの幸せ者じゃないでしょうか。
 
そういうことで、みんな一度はおいでよ、とこキャンに。
 
 
 
参考
広岡友紀:西武鉄道まるごと探見
鉄道ピクトリアル2013年12月増刊号「西武鉄道」
おもしろなんでも雑学(公式):「多摩湖」「狭山湖」は西武鉄道がつけた名前!【4/5は多摩湖鉄道開業日】
埼玉県議会:都営地下鉄大江戸線及び多摩都市モノレールの延伸について
早稲田大学百年史:第五巻第十二編第三章 第二世紀に向って
早稲田ウィークリー:幻の新学部【第3回】人間環境学部:人間科学部を結実させた新領域
高木陽光(2010)東京近郊における緑地空間の保全と利用-狭山丘陵を事例に-,比較都市史研究, 29(1), pp31-51
エンタメ!東京ふしぎ探検隊「西武鉄道、幻の奥多摩開発『第二の箱根に』」
 
地図:地理院地図
 
 
(序盤の予告と本編の内容を一部変更してお送りいたしました)
(考察の内容は新たな史料・証言によって変更する可能性があります)
 
 
(初出:2021/01/15)

いんせい!! #06 学バス!!

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そろそろ起きないといけない。ギリギリに行ったのでは、きっとバスで間に合わなくなる。
 

#06 学バス!!

 
キャンパス周りの話は前回コラムで書き切るべきところ、あらぬ方向に熱が入ってしまい、大事なエピソードを書き損ねてしまった。行ったらどうなるかではなく、行くまでをどうするか、それが問題なのである。その主なソリューションは、学バス、その一択である。学バスの大きさはいわゆる標準的な路線バスの車両と遜色なく、色はスクールカラーの臙脂色をまとった車両のほか、業務委託先の西武バスそのものな車両も分け隔てなく使用されている。ただ残念ながら、この学バスという存在が、とこキャンを遙か彼方の謎の存在へと追いやっている感を否めない。ここでは筆者が独断と偏見で発見した、とこキャンへの学バスに関する問題点、さらには改善ポイントについてまろやかに書いていく。
 

ここを頼むよ学バスさん

 
話を筆者の起床時間に戻すと、戦いは当然、出発前の段階で大勢が決する。始業時刻を2時限開始時とすると、小手指駅前には1時間前に着いていればまあなんとかなるかなというところであるが、それ以降となれば初回にいきなり5点ビハインドを背負う程度の絶望的な苦戦を強いられること必定である。
 
1.小手指駅からの学バスになかなか乗れない
つまり小手指駅からとこキャンまでの「正味15分」を宛にして動くと、バスが居たとしてもすぐ乗れないし、そもそもバスがちゃんと来ないのである。この事態はもちろんM1初日から理解していたが、しかし筆者はここまで2時間半に及ぶ電車移動があるため、その道中でやれ線路内立入だの旅客同士のケンカだの鹿と衝突だのが挟まれば計算も狂ってくる。簡単に言うと、どんなに早く家を出たとしても、小手指駅前に目論見通りの時間にたどり着けるかは運であった。
 
まあ常識として、目的地までバス15分(直行便多数)の距離にある場所に1時間前に着いていれば、待ち合わせなどをセッティングしていたとしてもジャストタイミングではないだろうか。しかしこれが甘い。ハンバーグ師匠より甘い。今をときめくスタバの「ショートケーキが溶けてるの?」という期間限定フラペチーノくらい甘い。なにせ小手指駅北口から出立する学バスへの乗り込みには、気だるそうな学生が織りなす長蛇の列に参加し、克服しなければならないからである。もちろん大学当局も需要に対応したバスダイヤを編成し、ピーク時は3分間隔のピストン輸送を実現していることになっているが、どうしても交通事情がバスの流動を鈍くさせていた。いやぶっちゃけ、ただでさえ朝の通勤で流れが悪くなっているところに大量のバスを投下すれば、更に混みますわな。大学側は更なる対策として、学生を円滑に乗車させるため、ピーク時間帯において「整列順乗車」という特殊ルールを設けていた。聞き慣れないしなんだか意味が分からないと思うので説明すると、来たらとにかく順に乗れ席があろうがなかろうが乗れ、という至極そのままの意味である。
 
しかし個人的には、2時間半の旅程の締めくくりとして、15分程度とはいえ満員のバスの中で立っているのは苦行そのものであった。わしゃ昭和生まれなんじゃ若いのそこをどかんか、と言ってやりたい気持ちに何度もなったが、並ぶ学生の顔もだいたいは疲れているので仮に座れてもむしろこっちが譲った方がいいかな?と思える瞬間も多いことがやるせなさを増幅させた。列が進みいよいよ乗車となり、残り人数的にスムーズに入っていけば誰も座れない(が乗れてしまう)なら、諦めも付くのである。しかし、「これは乗り切れないかもしれない(=一本見送れば座れるかもしれない)」という心理が列に働くと、列の足並みが微妙に遅くなっていくのもまたやむを得ないことである。こうして徐々に流動係数は下がっていき、結果として乗っている時間と同じかそれ以上の時間、小手指駅北口で過ごす羽目になる。
 
2.カーブがきつい
そりゃバスたるもの、交差点を左右に曲がるときなど、大きく振れるものである。しかしそれを差し引いても、道中には急なカーブはもちろん、直角以上の右左折を強いられる交差点が多く存在していた。特にこれが雨の日ともなれば、濡れた傘やら雨具で更に不快指数が増す上に、きちんと何かに捕まっていないと冗談抜きに危険である。実際筆者は座席のパイプに膝を打ち付けること数度、持参のキャリーケースが雨で滑ってそれを止めようと伸ばした腕が変なところに当たって悶絶すること数度、更にヒヤリハットなスリップ回数などはもはや数え切れない。察して欲しい。テンションが最低レベルのところに、きつめの右左折を4回も5回もやられるともう脚が踏ん張れないのである。クライマックスはいよいよ終点が近づいたとこキャン正門に至る道路、なんとここは路面が経年劣化で波打っており、バスがゴキゲンに縦ノリを始めるのである。そのアトラクション級の衝撃に直面して、思わず手に持っていたiPhoneを落とし、無残にも割ってしまったゼミ生もいたと記憶している。
 
 
3.正門までしか来ない
さて、これは前回ご覧に入れた、主要施設と道路を示したとこキャン平面図である。右上が先に述べた「アトラクション路面」があるアプローチ道路であるが、もし皆さんがキャンパス内のバスの周回ルートを設定するとしたら、どのように描くであろうか。なおお断りしておくと、野球場と陸上競技場の間にある道は歩行者専用の陸橋であるため、バスは通れない。
 
 
それでも例えば、これくらいのことはしてくれるんじゃないか、と淡い期待を抱くはずである。陸上競技場をぐるりと周回し、100号館前の広場にて学生を下ろす。広いのだから何台か同時に止まっても大丈夫そうである。そのまま100号館の奥の建物の方の需要に応えるため、キャンパスの内外を走行し、★で示した位置あたりにバス停を設けるとなお良いだろう。ちょっと所々で例によってきついカーブが生じるが、ここまできついカーブがいくつもあったのだから、今更増えたところで誰も気にしないに違いない。
 
 
というのが筆者の空想であるということに、まあ見出しに書いてしまったのでとっくに気がついていることと思うが、実際は正門付近のロータリーで打ち止めである。陸上競技場を周回することもないし、それどころか100号館などに近づくこともなければ、離れ小島となっている110号館の方に小手指駅からのバスが乗り入れることもない(連絡のシャトルバスが出ているが本数は少ない)。正門というそれぞれの建物から一番離れた、中立性だけは高いポイントにて扉が開き、すべての学生はモニュメントに睥睨されながら各々の目的地まで歩いて移動することを強いられるのである。これが陽気のよい日ならまだしも、雨やら風やら雪やらに見舞われた日やら謎の吐き気に襲われているときなどはもう、その恨めしさは負け試合を観させられた雨の東京ドーム帰りの歩道橋レベルである。
 
4.夕方も長蛇の列、おまけに渋滞
朝方が長蛇なら、まことに当然ながら、夕方の下校時間帯も乗り場には重めの列が形成される。加えて帰宅需要のピーク(何時限終わりが最も混むか)は学生のその年の履修動向に影響を受けるため、大学当局も事前に思い切った策を打てず、全時間帯における最頻ペースも5分に1本というダイヤ設定となっている。想像してみてほしい。5分に1本のバスがバス停へ横付けした直後1分で満員となり、残り4分間ただそこに居るだけのハコと化した時の列の苛立ちを。さすがに列で30分以上待つケースは体験していないが、夕方も夕方で県道の帰宅ラッシュも酷く、バスが15分で小手指駅に着くことは稀である。個人的には予定していた急行か快速に乗れないと、予定していた丸ノ内線に乗れず、予定していた新幹線にも乗れない。あーまた遅くなる。オモテでもウラでも、序盤の大量失点は最後まで響くのである。
 
5.総合的には暑さより寒さがきつい
所沢のある埼玉県は暑さがハンパないことで有名であるし、実際うだるような暑さに直面すると身体が危機を察し始めるのだが、真に身に染みるのは寒さである。経験則では確か秋の早い段階から、帰りのバス待機列には寒風が吹き荒び、これはアカン風邪引くもう一回ゼミ室に戻ろうと考えることも少なくなかった。つまり下校時の最大の敵は、混雑よりもダイヤよりも、北風小僧の寒太郞なのである。特に帰りが遅くなってしまった時の学バスの待機スペースは、ピーク時間を過ぎていて列こそないものの、小学5年の頃の完全に陽が落ちた蜜柑畑に取り残された時に感じた以来の「森の中でひとりぼっち」なる心細さを体験することができる。
 
 
6.小手指駅側は時間帯によって出発する場所が違う
さて、上図は小手指駅からとこキャンまでの道程を示した図であるが、ここにはさきほどの説明との相違がある。実は「いーすく!」のスクーリング回で少し触れているが、この学バス、時間帯によって小手指駅の発着地点が変わるというスリル満点な仕様となっている。
 
 
具体的に書き加えると、実際は小手指駅北口と小手指駅南口、双方が発着に用いられているのである。順を追って説明すると、デフォルトの発着場となっているのは、どうやらとこキャンからの距離が近い「小手指駅南口」であるらしい。しかしこの小手指駅南口、ロータリーや歩道部分が思いのほか狭く、タクシーや路線バスも共存しているとあって常時多くの車が出入りしている。ここに朝方の、苛立ち混じりの長蛇の列が毎日のように形成されたとなれば、地域住民への悪影響は計り知れない。そのためであろうか、学バスは学期中の平日朝からお昼過ぎまでの間、ロータリーの容量に比較的余裕のある小手指駅北口を発着することにしているようだ。ただしこれによって、ただでさえ時間がかかるバスの移動距離が更に延びることになり、それが所要時間増大の要因ともなっている。そのため、オフピーク(午後以降)の学バスは小手指駅北口発着ではなく、デフォルト乗り場である小手指駅南口発着に切り替わっている。これは推測であるが、当初は全時間帯が南口発着であったところ、影響を重く見た大学あるいは駅関係者がピーク時間帯の発着を北口へシフトさせたのであろう。確かにこの措置によって、小手指駅南口の朝がとこキャン学生に占拠される、という悪夢のような事態は回避されている。
 
一方使う側としては、いつがその変更時間帯なのかを認識していなければ、もしかしたらその日もうバスは来ない場所で待ちぼうけ・・・という恐ろしい事態に見舞われることを意味する。つらつら書いたが要は「バスは午前は北口発車、お昼過ぎから南口発車」ということであるので、学バス利用の際は、いつまで経ってもバス来ないなと感じたら直ちにバス停備え付けの時刻表を確認してほしい。
 
7.車椅子対応バスという例外的存在
しかしその法則にも更なる例外があることが、初見殺し、一年生殺しの事態をややこしいものとしている。実は学バスの中には、車椅子対応、つまり特別な仕立てのバスによる運用が混在している。もちろん車椅子利用者にとって、バスは健常者以上に不可欠な足そのものであるから、車椅子対応バスの必要性は論を待たないところである。しかし問題なのは、この車椅子対応バスに関しては、時間帯を問わず小手指駅北口からの発着となっている点である。これはつまり今度は、南口から発着するオフピーク時間帯であっても、(少ないが)北口から発車するバスが存在していることを意味するのである。
 
なんだそれもうわけわからん、振り逃げのルールかよ、いっそ北口に統一しちゃえばいいじゃないか。てか車椅子対応は全部のバスが標準装備すべきでは。というか車椅子利用者を意識するなら、それこそ正門ではなくキャンパスの奥まで連れていってあげる方がよっぽどバリアフリーなのではないか。などと色々と言いたくなるのだが、実際問題としては、車椅子が安全に乗降できる状況が小手指駅北口とキャンパス正門にしかないことが理由にあるようだ。ちなみに北口行きは南口行きよりも3~5分程度余計に掛かるため、仮に全てのバスを北口発着とすると、運用に必要なバスの車両数を増やさなければならない。それはさすがにもったいないし、短くて済むならそれに越したことはないので、南口発着が消滅する可能性も低いだろう。悪く言えば場当たり的に、よく言えばきめ細かい工夫と対応を取り続けた結果が、例外ばかりの発着システムを生み出してしまったと考えられる。
 
8.工事中でも突っ込んでいく
学バスはいわば大学貸し切りのバスといえるが、さきほどの地図で示したルートを変更して運用する、ということはない。例えば道中、工事による片側交互通行になっている、という事態があってもバスは愚直に突っ込んでいくのである。まるで路線バスのようであるが、おそらく路線バスに準ずるような申請を行っているか、それ以外のルートは幅員などの問題があって使えないのであろう。冷静に考えると事情を理解できるのだが、ただでさえ並ばされて待たされて立たされている学生や教員が「この期に及んで工事渋滞かよ!」となると、その苛立ちが膨れ上がるのも無理はないだろう。
 
9.初バスが遅い
これだけ不興を買っている学バスであるから、いっそ朝一でキャンパスに乗り込む、いわゆるオフピーク通学を実践してみようと考えるのも道理である。しかしここでも、見逃してくれればよいのに、学バスの謎のレギュレーションが「そうはさせじ」と立ちはだかる。大学の1時限開始時刻は9時ちょうどであるが、小手指駅北口発の初バスはなんと8時ちょうどのあずさ2号、なのである。あまり早起きが好きでも得意でもない筆者であるが、これはいくらなんでも、もうちょっと早くした方がよいのではとの思いを隠せない。では小手指駅に早めに馳せ参じてみた学生はというと、基本的には仕方なく午前8時まで、北口に延々と長蛇の列を作ることになる。8時前に学バスを運行しない事情は不明だが、例えば通勤ラッシュ時の混雑が悪化するなどといった理由で、午前8時より前はロータリー内に学バスを乗り入れさせないという取り決めでもあるのだろうと推察している。
 
10.終バスは(あることはあるが)早い
一方終バスはというと、一応7時限の終了時刻(21:25)を過ぎても、とこキャンから小手指駅へ向かう学バスが設定されている。そもそも7時限目に設定される科目はとても少なく、この時間帯のバス乗り場にて積み残しや列が形成されることは考えづらいのだが、設定していること自体は素晴らしい判断である。しかしさすがに定期便として設定があるのはわずか1本(21:40)で、それを逃すとゼミ室にでも帰ってビバークするか、覚悟を決めて徒歩かヒッチハイクででも駅を目指すかしかなくなる。ちなみに筆者の場合、仮にこの終バスに間に合っても、東京駅から自宅に戻る最終電車に間に合わないのであまり意味はない。
 
 
この「初バス遅い」「終バス早い」問題であるが、そのどちらにも助け船に近い存在があることをお伝えしておこう。それは西武バス(小手02系統/小手09系統)の存在である。小手02系統とは、学バスの南口~とこキャンルートと全く同じルートを、「小手指駅南口~早稲田大学」間として運行している路線バスである。このバスは例外なく「小手指駅南口」から発着し、おまけに行先表示が「早稲田大学行き」となっているため、めっちゃ分かりやすい。更にこの小手02系統、とこキャンに隣接する芸術総合高校や道中の所沢ロイヤル病院などへのアクセスバスともなっているため、早朝便(6~7時)が多く設定されていることも特筆に値する。お値段はかかるが、あずさ2号までの数十分を無為に待つくらいなら、7時台の西武バスで早稲田大学を目指す方が明らかにスマートである。なおこの小手02系統は日中から夕方にもポツポツと設定されており、苛立つ下校列を構成する学バス民を後目に、列の隣にある「早稲田大学」バス停に停車中の小手02に颯爽と乗り込んで優雅に小手指駅を目指すというブルジョアな行為も可能である。注意点としては終点まで10箇所以上のバス停に止まるので所要時間が掛かることと、夕方は高校生が大量に乗車してくるので、車内での不快指数は学バスとあまり変わらない。
 
一方「終バス」については、小手09系統という西武バスの小手指南口行きが、一応の後発便となる。こちらは早稲田大学始終着ではなく、(小手指駅から見れば)更にその先の「宮寺西」と小手指駅南口を結ぶ路線となっていて、平日の22時台に1本だけ「宮寺西発小手指駅南口行き」が設定されている。おそらく小手指駅南口に到着する最も遅い路線バスで、21時40分発の最終学バスに乗り遅れた絶望の学生にとって、幽玄の森からの脱出を図れる最後のチャンスとなる。ただし発着するバス停は学バスの発着場から数百mほど東に進んだ「芸術総合高校」バス停であるので、あまり迷っている時間はない。これは宿命である。いつだって学生は、とにかく時間が足りない。
 

学バスのMVP

 
学バスの微妙なところを挙げてったらいくつあるかなと思っていたが、本当にたっぷりと見つかってしまい、なんだか明日から更に憂鬱な学バス生活になってしまいそうである。個人的にはなんといっても長距離移動があるため、このバスは議論の余地なくしんどいのであるが、それでも感謝すべきことはたくさんある。まず学バスの利用は無料(学校関係者でない方は乗車不可)である。もちろん学費が充当されているのだが、これだけの運行密度かつそこそこの距離を走るバスを無料で乗れるのは、お得感も大きい。更に、あまり需要が大きくない時間帯でも、日中なら15分に1本は確実に運行していることも見逃せない。採算性で言えば、あまり人が乗らない時間帯の運行というのは減らしたくなるものであるが、何を思ったか7時限の講義だけを履修してしまったようなマイノリティー学生への配慮も怠っていないのである。また学バスは学生のみならず教員も利用するため、ずっと相談したかった先生と車内で邂逅し、充実した相談の時間が実現するという僥倖に時折恵まれる点も見逃せない。
 
そんな悲喜こもごもの学バスに携わる人々の中で強引にMVPを挙げるとすれば、文句なし、学バスの運転手の皆さんである。急に道徳の時間かな?という話になって申し訳ないが、彼らは怨嗟に満ちた数千に及ぶ学生・教員・事務職員他関係者の命を預かりながら、小手指駅ととこキャンを一日何往復もしているのである。どこの路線バスも学バスもそうであろうといっても、実際その仕事を自分がやれと言われたら、三日目くらいで自宅から出られなくなるのではと思うくらい過酷な職場である。一見単調でありながら、北口/南口というバリエーションを間違えないようにしなければならないなど、ある意味では路線バス以上に負荷の掛かる部分もある。
 
そういえばある日の学バスから、アトラクション路面に差し掛かっても、最徐行で切り抜けるケースが多くなったことを思い出す。別に苦情を言った覚えはないのだが、おそらく運転手の間でブリーフィングを行い、リスクのある箇所と対応の共有による改善活動を行っているのだろう。そもそもここで取り上げた微妙ポイントのほとんどは運行システムであって、運転手さんたちはどんな状況でも、常に安全運行への配慮を尽くしているのである。そしてこれからもきっと、学バスは改善と安全を続けていくのであろうし、それが成し遂げられるなら他には何もいらないのかもしれない。
 
 
皆さんのおかげで、今日も無事に学べております。ありがとう。
 
 
 
(初出:2021/01/16)

いんせい!! #07 ごはん!!

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晴れた日はバーベキュー、それどころかピクニックもできそうなのがとこキャンですが、思い立っても先立つものが必要です。お金?いいえ、食糧です。
 

#07 ごはん!!

 
このコラムもいよいよ7回目を迎え、書いている当人としては軌道に乗ってきたなと思っていたのですが、「長い」「文字が多い」「匿名化出来ていないのではないか」といった貴重なフィードバックをいただいております。匿名化はまあまあ大丈夫だとして、長さで読まれないのも悲しいと思い、「いんせい!!」を始める段階では気持ち短めにしようと言い聞かせていました。結果、書いている当人があまり面白くなくなってしまったのか、気がついたら今まで通りの長さになってしまっていました。これはいけない、ということで今回はちょっと短めです。昼休みの中でご飯を食べられる時間のように。
 

とこキャンの食堂ラインナップ

 

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浮き世離れなとこキャンでも、ご飯を食べたくなるタイミングは多くの人が一緒で、その需要に応えるための食堂がいくつか存在します。中心的存在はなんといっても、ざっと200席はありそうな、100号館3階にある大食堂です。この食堂空間はeスクールの懇親会会場としても活用されていて、「いーすく!」ではあまり触れませんでしたが、筆者も何度か懇親会に足を運んでいました。その時はよもや、自分がこの会場の本来の使い方である「ごはんをいただく」という行為を日常的に行うようになるとは、ほんのちょっとしか思っていなかったです。
 
さて、とこキャンにはあと3つほど、食堂と言えそうな場所があります。まずはシンプル&スタイリッシュな101号館の吹き抜けの最下部(1階)にある、食堂、というよりミーティングスペースっぽい一角です。開学から30年近くを経て、ちょっとずつベテランの風格を増してきたキャンパス施設群において、ここだけはリーフレットの撮影場所にありがちな上質感が支配しています。同じ学生であるはずなのに、この空間内で佇む学生は意識が高そうに見えるもので、つくづく環境って大事だなと思うのです。
 

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その理屈だと意識が低そうに見える100号館に目を戻しますと、意外や意外、実はこちらにもコンセプチュアルな食堂が存在しています。「木の食堂」と通称されるその一角は、インテリアがほぼ木材で構成されており、さながらログハウスの雰囲気です。自然の中にあるキャンパスとしては、なんともはや非常にしっくりくるというか、むしろなぜ他のインテリアもこうしなかったのかと言いたくなるほどのフィット感です。
 
ただ難点があり、「木の食堂」には食堂なのに配食コーナーがなく、もうそれ食堂じゃなくて待合スペースなのでは?なる状況ということです。かわいそうなので補足しますと、以前は某有名牛丼チェーンの正式な支店が存在していたのですが、どう考えても採算が合わなかったであろう現実に耐えかねてか撤退してしまいました。
 
最後に、これは同列に語るべきではないのかもしれませんが、大食堂を見下ろすように存在する小さな食堂にも言及します。こちらはお察しの通り、教職員専用食堂です。そのため学生は利用できません。しかしこの規定には例外があり、教職員と同行する形であれば、学生もお邪魔できることになっていました。大食堂はピーク時間帯に混雑するという事情と、なにかと時間がないお昼休みの現実を総合的に勘案し、4年ゼミが一旦終わる2限終わりの先生を密着マークして教職員食堂に入り込むことも多くありました。
 
ちなみに教職員食堂のメニューのお値段は階下の食堂より少し高めですが、味はまとも、少なくとも筆者が中高を過ごした寮のアメイジングな食事よりは相当にまともでした。
 

とこキャンの売店ラインナップ

 
学生から学部長まで、全大学関係者の活力源たる食堂ですが、残念ながらその活躍の時間は限られています。営業時間は朝から晩まで・・・どころか、昼間もピークを過ぎればあっさり閉店してしまう状況なのですが、とこキャンにはそんなときでも助けてくれる味方(売店)があります。
 
・大学生協 
まずご紹介するのは大学生協、学生や教職員の間では単に「生協」と呼ばれて親しまれている、正統派の売店です、その品揃えはなかなか侮れないもので、消えものではお弁当や総菜パン、雑貨系では大学グッズからMacbookまで非常に手広くカバーしています。加えてTAからすると、実験室の備品などの大量発注時に常に対応してくれる頼もしい存在で、店員さんに顔と研究室名を覚えられればあとはしめたものです。人間、悪くない文脈で顔と名前を覚えられると悪い気はしないもので、在庫処分のお菓子などをついつい買ってしまったりするのもやむを得ない出費です。
 
・夢を見ましょうなコンビニ襲来
とこキャン内物販シェアが独占状態、向かうところ敵なしな大学生協ですが、筆者が在学していた最中に思わぬライバル・・・コンビニ(デ○リーヤマザキ)の進出を許してしまいました。特に100号館においては、大学生協とデイリーがフロアの上下で並ぶ形となり、学生はどちらが安いかの比較を簡単に出来るようになってしまいました。危うし大学生協。しかし元々大学生協の物価は安めに設定されていたこともあり、両者は見事に共存していたように思います。というより、どちらかにでも撤退されると購買環境が一気に悪化するので、どっちも栄えて欲しいというのが学内関係者の総意ではないでしょうか。
 
・仁義なきフードトラック参入
生協、コンビニのゆるふわガチバトルが繰り広げられる中、更に予想外の店舗が学内に登場しました。それは週の1日か2日、確か水曜と木曜といった塩梅で、100号館と101号館を結ぶ道路に現れるフードトラックです。狙いはお昼時、101号館から食堂を目指す獰猛な学生たちで、効果は覿面だったと聞きます。そりゃお腹減ってて、かつあと5分は歩かないといけない、って状況の鼻先にロコモコ丼ちらつかせられたら誰だって買いますよ。
 

休講日登校という危機的状況

 
このように意外と分厚い食文化が育まれているとこキャンですが、彼らの息吹が一気に途絶える瞬間が存在します。それは休講日です。当然といえば当然な話です。しかし休講日に誰も登校しないかと言われれば、そんな訳がないというのも大学という施設の特徴です。だってゼミがありますし、実験がありますし、むしろ休日にしかできないこともあるのですよ。
 
ある年は冬場も冬場、学生の卒論提出が掛かった大変な時期にまさかの休講日が設定され、何言ってんだそんな場合じゃねえよとばかりに学生・院生がゼミ室に集うという日がありました。ご飯はありません。お菓子も売ってません。フードトラックなんて伝説上の存在です。割と小食な筆者もこの時ばかりは焦りましたが、食堂近くにひっそりと佇むカップラーメンの自販機を発見し、こっそりと複数購入して万が一のときは自分だけでも生き延びる算段を整えて正気を保ったのでした。とはいえ備蓄しても仕方ないので、結局一気に消費しました。かんすいとかんすいの夢のコラボレーション。よっしゃ次からは絶対に麓で弁当買ってから来る。
 

ちなみにバーベキュー場もあるよ

 

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なにしろ散々書き散らしているこのロケーションですから、いっそどっかでバーベキューやってもバチが当たらなそうなものですが、なんととこキャンにはバーベキュー場が常設(※要予約)されています。しかもゴージャスなことに、全天候型(屋根付き)、という特殊仕様だから驚きです。バス待機列の屋根は割とショボいのに、そもそも正門のバス降車口から建物までのプロムナードに屋根の類は一切ないのに、肉を濡らす心配は限りなく低くできるのです。残念なのはバーベキューの花形というか前提条件に近いんじゃないかと思える開放感が、どの方角の視界も壁か法面で囲まれているという仕様のためほとんど望めないことですが、山と考えても過言ではないとこキャンの天候には無類の冗長性を発揮しています。
 
こんな感じで、あら思っていたよりは結構あるじゃないの、楽しげじゃないのと思われた方もいらっしゃるかもしれません。実際こうして書き出してみて、案外悪くないのかもしれない、という気分に浸ることができました。これに気をよくしまして最後に、お昼休みに活用できる、とこキャン周辺部のご飯どころの紹介で締めくくりたいと思います。
 
いつもありがとう。良いごはんです。
 
 
 
(初出:2021/01/17)

いんせい!! #08 サバティカル!!

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たいへんたいへん、先生がニートになっちゃう。
 

#08 サバティカル!!

 
研究休暇、通称「サバティカル」。大学教員の世界では一般的に採用されている長期休暇形式で、W大では勤続10年ごとに「1年」のサバティカルを行使する権利を得るルールとなっている(2015年現在)。10年働いて1年休む・・・字面だけ読むと正直申し上げて相当な大盤振る舞いというか、一般的な職種に就いているご自宅のお父さんが急にそんな休みだしたらクビを疑うレベルの話であるが、そのこころは「研究を休暇する」ではなく「研究のために(教務を)休暇する」ことを意味している。サバティカル期間中は授業やゼミの担当を免除されるため、海外に遠征して研究を行う教員も少なくない。まあ大盤振る舞いである。
 
筆者がM1であった2015年、上野先生は勤続11年目に突入し、サバティカル行使の権利を取得していた。一旦サバティカルとなれば先述のようにゼミを含む一切の科目の担当を外れることになり、特にゼミは「主なき1年」を迎えることとなる。とはいえゼミや科目がサバティカルのために廃止・停止されることは少なく、だいたいはその年限定で別の教員が担当するという対応がなされているようだ。
 
このサバティカルに際して上野先生は一計を案じ、サバティカル突入のタイミングを「4月~3月」ではなく「10月~9月」、つまり秋学期~翌春学期と設定していた。仮に前者のような期間で取ってしまうと、この2年間に配属されるゼミ生の1年目または2年目(=卒業研究の年)の指導を代理教員に丸投げすることになってしまい、それは学生にも酷であるからという理由のようだ。ありがたいことである。しかしそのため、サバティカル=先生消失のタイミングは夏合宿終了時というとんでもないタイミングで訪れたのであった。
  

サバティカルが3年生に与える影響

 
この特別な年にぶち当たってしまった11期は、秋学期から別の先生にゼミを仕切られることとなった。上野先生の代理で登場したのは、上野先生出身の研究室の後輩である長泉先生(仮名)であった。決してどちらが良いとか悪いとかいう話ではないのだが、長泉先生は性格、品格、性別、分別すべてが上野先生と異なり、3年ゼミの雰囲気も大きく変わることが予期された。
 
秋学期開始1回目の3年ゼミ冒頭、教壇には上野先生の姿があった。この日に限って長泉先生が別の教務で遅れるということで、引き継ぎのために特別に出てきたのであった。つくづく学生思いの親身な先生である。上野先生からは秋学期・来春学期のゼミについて、基本的なプログラムは自分(上野先生)が考えていること、自分はしばらく海外に行ってくるということ、来年の秋学期には例年通りのゼミを開講することなどが説明された。何がどうなるのかよくわかっていなかった11期の面々は、とりあえず例年通りということへの安堵感と、でも例年のやり方を俺たち知らねえし・・・という若干の戸惑いを見せた表情を浮かべていた。
 
ほどなく長泉先生が到着し、長泉ゼミが始まった。海外に高飛びしたらしい上野先生を後目に、課題は順調に進んだ。ちなみに秋学期のメイン課題は「模型制作」で、確か「とこキャンに新たなショップを建てるとしたら」といった内容であった。なぜそのようなショップが必要か、どうしてその場所を選定したのかなど、考えることは多いが楽しい課題である。実際、毎週のゼミは和気藹々と進んだ。
 
課題の最終局面では、各自が想定した建設予定地にゼミ生全員で赴き、制作した模型を肴に色々とディスカッションするというピクニックを敢行することが決まった。それから半月ほど経った火曜の午後、とこキャンには学生、院生、長泉先生と上野先生の姿があった。あれ、帰ってきたのかな?と思いきや、まだ出立していなかったらしい。指導方が増えるのは一般的に良いことであるが、まさかの競演に「サバティカルとは」なる疑問が学生全員の脳裏をよぎったに違いない。
 

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ちなみにこの場面は、とこキャンを包み込む森の中にログハウス風のショップを建設するという宮原くんの案について、「敷地外なのだから0点ではないか」という田端くんの指摘を受けてその処遇を検討しているところである。審議の結果「たぶん他所の地所に引っかかってるけど、森は一体のものだからOK」という裁定が下り、この作品は運営方審査による課題コンペで見事2位を獲得した。田端くんは大いに不満そうであったが、自らが最下位ではないと聞かされてからは機嫌を直したようであった。
 
珍しい環境変化が起きた上野(長泉)ゼミであるが、「ポンコツ3」を自称するムードメーカー3名の活躍がゼミの雰囲気に共通性をもたらしたのは間違いない。彼らの功績を具体的に挙げると、「いかに一見して普通、かつ簡潔な一言で女子をキモがらせられるか」の話術を極限まで高めた田端くん、「他大の学祭イベントに出席するのでゼミ欠席します」とのメールを先生に送りつけて例年比2倍の雷を落とされた白岡くん、はたまた観察調査の発表にて撮影してきた動画の内容に関する質問を受けていた際、
 
質問者「(たくさんの人が右往左往している)この映像から、さきほど説明のあった考察をどうやって読み取ったのですか?」
品川くん「あれ俺の親父です!」
 
いや知らんがな。と場内の爆笑と混乱を誘発した品川くんなど、枚挙にいとまがない。その圧倒的な実力によって、彼らの将来は明るいであろうことを確信した。
  

サバティカルが4年生に与える影響

 
この特別な年に卒業年度がぶち当たってしまった10期も、秋学期から別の先生にゼミを仕切られることとなった。といってもこちらは元々春先から参加していた烏山先生が正式に代理教員の任に就いた形で、表向きは春学期と変わらない進行が期待された。3年ゼミと異なるのは、4年生には卒業(卒論)がかかっているというその致命的な一点である。
 
4年ゼミにはこのほかにも特殊な事情があった。それは学生数である。たまたまであったとのことだが、一つ上の代(9期)において4名の留学生が出て、その全員が半年~1年間の留学を終え、この年の4年ゼミ(10期)に合流していた。一方10期は定員下限ギリギリの8名(2015年当時。人材の均等分配を目的とした学部の規則により、1年で1つのゼミに新規に配属できる人数は「8~10名」と決まっていた)であったが、留学復帰組を合計すると12名となり、ここに過去最多人数の4年ゼミが実現する運びとなってしまったのだ。
 
いや過去最多とか知らんし。人数の多少なんてゼミ運営には関係ないはずでしょ。などと筆者は春学期中思っていたが、まず2つの学年(期)が混在する大所帯という事実は「陰鬱な空気」を説明するのに十分なものであった。どことなくみんなよそよそしいのである。決して仲が悪いということはないのだが、3年ゼミのような天真爛漫さ、もっと言えばムードメーカーになり得るキャラクターは存在していなかった。そのせいか、チームとして「4年ゼミ」を俯瞰したとき、まるでリーグ最下位の野球チームのような停滞感を隠しようがない状態となっていたのである。
 
そんな状況下での上野先生サバティカル突入である。最下位チームの監督が突如休養したら、一体誰が指揮を執るというのか。
 
もちろん上野先生もそれは心配していたようで、だからこそサバティカル突入前の春から代理教員を参加させる大きな決断を下したのだと想像できる。惜しむらくは2名の教員で卒論相談を手分けするわけではなく、学生1名の卒論相談を2名の教員と院生が担当するという1レジ方式を徹底してしまったため、卒論相談にめちゃくちゃ時間がかかっていた。秋以降への引き継ぎのためにその方策しかなかったのであるが、教員役が複数いることで相談時間が倍になっていたことは否定できない副作用であった。そりゃ初回ゼミから2時間押しにもなりますわな。
 
いずれも先生の親心、例年通りの丁寧な指導を尽くしたいというホスピタリティがそうさせたため、何一つ責められる謂われはないのであるが、能率面では明らかに課題の残った春学期であった。サバティカル本番を迎える秋学期においてどのようにこの課題と向き合うかが注目されたが、上野先生の判断は「たまに来る」であった。
 
こうなってくると代理教員の烏山先生も難しい舵取りを迫られることになる。完全に任されるならそれはそれである。完全にこれまでのツートップ態勢でいくならそれもそれである。その週で蓋を開けてみなければどうなるか(誰が卒論の方針について最終判断を下すか)わからないという状況は、卒論進捗を更に複雑なものとしてしまった。いわゆるデッドロックである。それでも烏山先生は健気に指導を続けていたが、ここに例年以上の定員(12名)という現実と、事実上の連合チーム(9期+10期)由来と思しき覇気のなさがのしかかっては、もはやどの立場の人間も為す術がない。
 
誰のせいでもないが、誰もが正解を探せないでいた。4年ゼミの闇は、秋の深まりと共に漆黒の度合いを増していった。
 

サバティカルが院生に与える影響

 
2つの学部ゼミから主がいなくなるということは、誠に当然ながら大学院ゼミからもいなくなる(しかしたまに来る)ということである。大学院生は学部生と比較して、研究の打ち合わせ(事実上のゼミ活動)日時の融通をつけやすい立場ではあるものの、やはりいち学生としてその影響を完全に排除することはできない。その事例として、筆者の履修計画を紹介する。
 
さて、まずは「いんせい!!」初回にて要点だけ説明した大学院修士課程の必須単位数について再掲しよう。
  
研究指導
修士論文
必修専門ゼミ(1)   最低4単位(A・B)
必修専門ゼミ(2)   最低4単位(A・B)
選択専門ゼミ(1)   選択★
選択専門ゼミ(2)   選択★
専門科目A群       最低2単位★
専門科目B群       最低2単位★
プロジェクト科目    最低1単位★
リテラシー科目(英語) 最低1単位★
リテラシー科目(基礎) 選択★
他箇所設置科目     選択
   ※★がついた科目群を合計して最低12単位
   ※全科目中オンデマンド科目は上限15単位(いずれも2015年時点)
  
大学院生はこのレギュレーションの枠内で30単位を積み上げなくてはならない。色々書いてあるが、今回はゼミについて説明することにする。「必修専門ゼミ」に記載してある(1)(2)やらA・Bという表記については筆者も面食らったが、単純には以下のようなカラクリである。
    
(1)・(2)→1コマ目、2コマ目
A・B→Aは前期開講、Bは後期開講

 

具体的に上野ゼミのゼミ開講パターンを持ち出すと
 
春学期木曜3時限 上野ゼミ(1)A 2単位
春学期木曜4時限 上野ゼミ(2)A 2単位
秋学期木曜3時限 上野ゼミ(1)B 2単位
秋学期木曜4時限 上野ゼミ(2)B 2単位
 
つまり通年で4コマ分開講されるゼミに、半ば強引に授業コマを割り当てた結果がこの表記を生み出している。このようなややこしめなシステムが取り入れられてた理由は、履修プランに柔軟性を持たせるためのようである。つまりこの4コマを1年間で一気に履修するも良し、はたまた2年間で2コマずつ(1年:春学期1コマ・秋学期1コマ。2年も同様)履修するも良しというわけである。とはいえややこしいので、一つのゼミで年間8単位まで取得できると単純に考えてほぼ間違いはない。
 
一方大学院では指導教員以外のゼミも履修が可能である(選択専門ゼミ)。1年1ゼミ8単位の原則でいえば、2ゼミ履修で16単位を取得することも可能である。ただし履修に際して、2つのゼミに時間を割くという大きな制約が伴うことと、関係する教員の許可(制度上は事前許可を求める必要はないが予告せず履修登録すると教員が驚いてその後ギクシャクするので、道義的に事前連絡のうえで許可を求めた方がよい)が必要となるので、鋭意注意されたい。
 
そしてゼミに関してはもう一つ大事な制度がある。上記「必修専門ゼミ」を1年間で履修しきった場合、「選択専門ゼミ」として2年目に同じゼミの科目を履修することが可能な場合がある。上野ゼミであれば
 
春学期木曜3時限目開講 上野ゼミ(1)C 2単位
春学期木曜4時限目開講 上野ゼミ(2)C 2単位
秋学期木曜3時限目開講 上野ゼミ(1)D 2単位
秋学期木曜4時限目開講 上野ゼミ(2)D 2単位
 
という隠しコマンド的科目が出現するのである。「重複履修」と呼ばれるこの制度は、大学院要項にも記載されている正統なもので、実直にゼミに通う院生ほど恩恵にあやかれるものといえる。選択専門ゼミがタスク量的に非現実的であるとしても、所属するゼミへの出席を2年間続ければ単位が16も来るとなればかなり美味しい話である。
 
察しの良い方ならここで気がつくかもしれないが、重複履修を開講できるのは担当教員が担当する場合にのみ限られていた。つまり上野先生のサバティカルによって、筆者(の代)は重複履修制度を使えない状況となっていたのだ。もちろん学部生を含め、上野先生はゼミ面談あるいは院生進学相談の段階でサバティカルの予定を学生に告げていたが、一連の事態を筆者含む学生が想像できるはずもなく、この年を迎えていた。
 
これは履修計画にとっては大きな痛手であった。30単位中16単位がゼミで充足されれば、残り14単位は(必修の英語1単位を除いて)eスクールの経験を生かせるオンデマンド科目の履修で事足りるのである。しかしゼミで8単位しか充たせないとなると、残りは22単位。オンデマンド科目の履修は15単位が上限であるため、通学を伴う科目の履修が少なくとも7単位ほど必要なのである。ひょっとして、大変な時期に進学してしまったのではないか。しかし後悔先に立たず、もはやコントロールできない話である。実際のところ、既に学部ゼミTAで相当にとこキャン通学していた身であったが、愚直に通学して単位を取りに行こう、7つくらいならなんとかなるでしょ、と気持ちを入れ替えるしかなかった。
 
なお、院ゼミもサバティカル中は代理教員をあてがわれた上で開講されることになっていたが、その担当はeスクール時代の教育コーチ(蓮田先生(仮名))であった。全く面識のない先生であれば信頼関係の構築から始まるが、よく知る先生であったことは緊張緩和に大きく貢献した。総じては上野先生なりに学生・院生へ可能な限り配慮したことが伺われ、履修計画の難化というまさかの現実があってもしっかり向き合うことができたように思う。
 
加えて「たまに来る」の予告通り、大学院ゼミには学部ゼミ以上に顔を出してくれたのもありがたかった。一体いつになったら外国に行くのだろうと少し心配になったが、居る内は使い倒す(相談しまくる)と心を決め、来たるべき修士論文への各種調査を驚異的な密度で進行させることができた。予期せぬハードモードの到来に狼狽するのは誰しも無理はないが、そこからいかに気持ちを入れ替えられるかもまた、大切な能力ではないだろうか。
  

サバティカルという錆落とし

  
十年一昔と言うように、すぐれたシステムも10年を経過すれば陳腐化し、形骸化したルールが生産性を落とすという事例はすべての勤労者に心当たりのあるものであろう。10年に一度訪れるサバティカルは、いかに自らを構成している信念や理念が古くなっているかを気づかせてくれる唯一無二の機会であり、新規性を至上命題とする研究者が揃う大学教員の世界でその制度がしっかりと根付いているのも頷ける。サバティカルなる言葉の響きが何かの輝きをまき散らしているのだとすれば、それは大盤振る舞いによる金粉ではなく、歴戦の戦いによって生じた錆なのである。さすがに1年となると長いが、日本でも多くの会社、業種において、心身の錆を落とせるような機会が恒常的にもたらされることを願って止まない。
 
ただし、引き継ぎは計画的に。
 
 
 
(初出:2021/01/18)

いんせい!! #09 就活!!

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とにかくがんばるしかない、のだそうですよ。
 

#09 就活!!

 
ここまでこのコラムではあまり触れてこなかった現実ですが、大学3・4年生にとっての当面の一大関心事は卒論、ではなく「就活」なのは論を待ちません。もしかしたらこのさき何十年と過ごすかもしれない、それどころか自らのステータスを爆上げさせてくれるかもしれない会社から採用されるために、新卒での就職活動に命懸けで取り組むことは当然です。しかしながら唐突にカミングアウトしますと、筆者は就活というものをまともに経験しないまま今の職に就いてしまいましたので、最新の就活事情についてモノ申す資格はありません。とはいえ「就活」なるイベントに大学のゼミがどのような影響を受けるかについては、筆者程度の立場でも一応述懐することができます。そのため本稿は「長いあいだ山に籠もっていた修行僧が、麓の寺子屋に降りてきて若者から就活の話を聞いたら驚いた」という架空の設定で読んでいただければ幸いです。
 
〽就活の席も告知もまだ見ねどどうして君ら嘘をついたの
 
筆者がM1の頃、3年生(11期)に「いつから就活を始めるの?」と質問を投げかけたのは、長泉ゼミが軌道に乗り始めた秋口だったと思います。学生の反応は様々でしたが、共通していたのは歯切れの悪さでした。結論から言いますと、とっくに戦いは始まっていました。就活についてさすがに本当に何一つ知らない状態で訊ねるほど筆者も意地悪ではなく、例えばその年は経団連から「翌年の新卒採用にあたり、会社は3月1日まで就活窓口を設置せず、7月31日まで採用通知を送らないこと」という指針が出ていたこと程度は把握していました。訊ねた時点では解禁日まで半年ほどあり、よほどアバンギャルドな会社か経団連など怖くもなんともない外資系企業が先行して動き出しているんじゃないかな、程度の認識でしたが、これはもうエナメル質を一発で葬る程度には激甘な読みでした。そろそろじゃないですかね。みんなのことはわかりません。いえ、全然やってませーん。大丈夫っす。うーん、なんかちょっと人狼多すぎんよ。
 
天真爛漫な学生達に芸術的な二枚舌を駆使させた事情として、就活窓口のアングラ化がありました。後日聞いた話を総合しますと、多くの企業は多分に経団連の指針を意識してはいたようで、種々の「解禁日」を守ろうとしていました。しかし解禁日を本当に守っては選考スケジュールがあまりにタイトになってしまうなどの理由で、各社、学生ともに水面下で激しい動きを繰り広げていました。その結果、アングラ会社説明会、アングラエントリー窓口、アングラ最終面接にアングラ内々定まで存在していたといいます。どう考えても教育上好ましくないといいますか、良い大人達が何やってんだと義憤に駆られましたが、その気持ちは当事者達が数ヶ月前の段階で飲み下していたであろうことを想像すると何も言えません。ゼミにおいても、確か3年生の冬頃から「就活的な何か」を理由とした欠席や遅刻事例があったと記憶していますが、実際はその遥か前から暗躍と調整が繰り返され、学生当人の努力ではいよいよ収拾が付かなくなってきたのが冬だった、というのが真実に近いようです。
 
〽水や空空や水とも分かるのにどうしてつるかめ算解いてるの
 
就活に関するエピソードで次に驚かされたのは、冬場だったか春先だったかのゼミの休憩時間中、学生が「つるかめ算」の勉強をしていたところを発見したときでした。いやつるかめ算て。あれでしょ、脚の形見れば分かるあれでしょ。中学受験、いや小学校何年生かで通り抜けてきたはずのものを、これから卒論を書こうとする大学4年生が解いているわけです。シュールレアリスムというか、本当にコントかドッキリ系かと思いました。当人達は至って本気で、まさゆめさんはSPIも知らないんですか!と逆ギレされてしまいました。すみません、勉強(=Google検索)させていただきました。なるほど、彼らはゼミと並行してSPI(適性検査)の対策を行っていたのです。これも話を総合しますと、エントリーに際して企業がSPIの提出を求めている場合があり、まともな成績でなければ書類審査で落とされてしまうとのことでした。つるかめ算の点数で採用可否を決めるのもなかなかウィットに富んだ仕打ちだなと思いつつ、脚の形を確認すれば簡単に解けるよ、と指導してあげたところ、うっす、大丈夫っす、とにかくがんばるしかないっす、とのことでした。毎回思うんですが、こういう返し方において一体何が大丈夫なんですかね。
 
〽就活に行くのの春も遠ければどうして君はゼミに来ないの
 
そして春、晴れて本当の就活シーズンに入りますと、学生は水を得た魚のように「面接が入りました」「会社説明会がありますので」「エントリーが忙しくて」「就活の疲れで熱が出て」などなど、ある意味で堂々とゼミ欠席メールを送りつけてくるようになります。そもそもゼミは何回か欠席すると自動的に単位を与えられなくなり、ひいては卒業できなくなる恐れがあるほどに(大学の学修において)大切な存在なはずですが、就活での重要局面が入ったとなればそうも言っていられないのも仕方のないところです。ちなみに仕方ないね、で済まさないゼミもあると思いますので、現役大学生の皆さまは本当に注意してくださいね。
 
ただこれはよくしたもので、課題をキビキビとこなす学生は就活も早くカタが付いて卒論に早くから集中できていましたし、課題がおろそかな学生は就活もなかなかな長期戦となって結果卒論も後手を踏むという傾向がありました。つまりなにかと「就活が~」という学生ほど、元々卒論の進捗は遅めで、先生目線に置き換えますとこれから手も時間もかける必要がありそうだなと感じる学生ほどゼミを就活で欠席するわけです。良い印象に繋がるわけがありません。そのさまはさながらキングボンビーに毎ターン金品をむしり取られるがごとき負の連鎖で、もうこの時点で何かの勝ち負けがついているのではないかというような錯覚すら覚えます。もちろん、勝ち負けなんてこの時点でつくわけがないし、入社してもつくことはないのですが。
 
〽我のみと思ひどうかと訊ねどもどうして君は逆ギレするの
 
春学期の終わり、つまり夏休みを間近に控える頃、4年生からサクラサクの便りが聞こえ始めます。しかしその情報は必ずしもおおっぴらにされるものではなく、同期ゼミ生の間ですら共有されていないことがしばしばありました。よくわからんから、とりあえず当人に口を割らせれば誰が言った言わないの話にならんじゃろ、と気さくに進捗を訊ねると、まさゆめさん訊いてはいけないことを訊きましたね。僕らの仲を悪くさせたいんですか。いえいえそんな大丈夫っす。などと全く以て不穏当な発言が次々とこぼれ落ちるのでした。
 
今思えばそれも無理もありません。この時期、サクラサクとサクラマダの学生が混在している状況であることと、すべての4年生はいわゆるお祈りメール、直球で言うところの不採用通知、かわいげのある言い方をしますと「あなたよりふさわしい人を見つけたからもう会いたくありません。さようなら。あなたの幸せを祈っています」といった主旨の文を送りつけられ、場合によってはそれすらも届くことなく、かつ自己分析だの圧迫面接だので心密かに心折れている状態なわけで、そりゃ数百社にエントリーしたらとんでもない数落ちるでしょ・・・と思いつつも、あまり深掘りすることは憚られる雰囲気となっていました。そりゃまあね、他の誰が祈ってくれてもお前(会社)だけには祈られる筋合いねえわと思いますよね。ただ気を取り直して「何か(卒論で)手伝えることとかある?」と訊いても、いや大丈夫っす。というばかりで、大丈夫じゃないから訊いてるんだけどなと思いつつ、結局は彼らのサクラがひとしきり咲き誇るその日が早く来ることをそっと見守るしかないのでした。
 
〽就活をこぎ離れにしあまちゃんやどうして君はこの進捗で卒業できると思ったの
 
そして再び秋、色々あったらしい就活も何だかんだでほとんどの学生がハッピーエンドを迎え、その段階でエンドしていない学生はマジで誰も話題にできないという状況となります。どのような結末を選択したにせよ、4年生はなにかと停滞しがちであった卒論をまとめ上げなければなりません。より正しく表現するならば、4年生は卒論を絶対にまとめ上げなければなりません。絶対にこの期で合格しなければならない・・・そういえば筆者が大学院進学を決めてしまったとき、その種のプレッシャーがかかっていたことを思い出しました。その意味では、やっと彼らと同じ目線で手助けしてあげられるのかもしれない、というささやかな感触を得ながら、秋の4年ゼミはあっという間に太陽を沈ませていくのでした。一方で同じ時期の3年生はというと、やっぱり予想通りの反応が返ってくるのです。就活そろそろどうなの。いや、ええ、大丈夫っす。
 

 (ゼミを見守る)俺たちの就活は終わらない

 
このように、大学にとって就活への警戒感が解けない原因は、実は就活の開始時期やら水面下の蠢動の有無などではなく、一年中その影響下にどこかの年の学生を支配されている現状にあるのではないでしょうか。勢いよく巣立っていくであろう学生にとって新卒就活は原則として生涯一度ですが、毎年それを見送る教員にとって就活は一年がかりのストーリーがエンドレスリピートしている以外の何物でもないわけです。簡単に折り合えるものではないと思いますが、学業も就活も全力を尽くせるような取り決めの構築と徹底が、これからの大人達に強く望まれていることは間違いないでしょう。今はひとまず、それを成し得る力を持っている高貴な立場の皆さまの活躍を淡めに期待したいと思います。
 
以上、今回はいつも以上に他人の話で終わってしまったため、見出しで無駄に詠んだりして強引に抑揚をつけてみました。え、せっかくだからテレビ番組でよく見かけるあの怖い俳句の先生にでも見せてみたら、ですと? ああ、いえ、大丈夫っす。
 
 
 
(初出:2021/01/19)

いんせい!! #10 また合宿!!

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とある冬の火曜日。北野駅を降りてしばらく行くと、太古の文明が遺していった四角錐型宇宙船をコンバージョンした建物が見えてくる。
 

#10 また合宿!!

 
この世の理には光と影があり、希望と絶望があり、夏合宿と冬合宿があるものである。楽しい系のイベントは夏にすべて盛り込んでしまった上野ゼミであるから、冬に行うことはきっとあんまり楽しくない系なのかな、と想像が付くところである。誠に名推理、上野ゼミの冬合宿はここ、大学セミナーハウスにて行われることとなっている。
 
大学セミナーハウス(Inter-University Seminar House)。W大を含む主に関東の大学が大学紛争たけなわの時代に作り上げた、みっちりとゼミ(Seminar)を行うための合宿施設である。現在でも上野ゼミのような単一のゼミはもとより、「Inter-University」の名前の通り、大学をまたいでの合同ゼミや大学以外のあらゆるセミナーに利用されている。まあ要は一般的な合宿施設であるのだが、セミナーハウス設立時から維持に貢献してきた大学や企業は割安価格で利用できるため、在京の多くの大学にとって「合宿を打つ」となれば常時候補に挙がる施設と言えるだろう。
 
その大きな特徴は、なんと言っても異彩を放つ建造物群と、一度入ったら(八王子なのに)簡単には下界に降りられないという好立地にある。セミナーハウス最寄りの鉄道駅は京王線・北野駅あるいは京王相模原線・南大沢駅であるが、そこから路線バスを駆使し、「野猿峠」バス停から徒歩5分を要する。名前からバレてしまったが、要は峠である。付近は宅地こそあるが峠は峠である。とこキャン通いによって森のある環境には慣れているであろう学生達も、森の質がきっと違うのであろう、異質な雰囲気を感じ取っていた。
 

冬合宿:論文を詰めるラストチャンス

 
話を上野ゼミ視点に戻すと、冬合宿は正式には「論文合宿」と銘打たれ、その名の通り論文書きに追い込まれる合宿である。4年生は目の前に迫った卒論の提出期限に向けたラストスパート、3年生はゼミ内の課題として位置づけられていた「ゼミ論文(卒論のお試し版)」のラストスパート、そして院生と教員はその補佐をつきっきりで行う。娯楽は一切ない。帰宅は許されない。明くる朝無事に帰りたければ論文の目処を立てるしかない。実際問題、学生にとって論文合宿は教員からのまとまった指導を受けられるラストチャンスでもあるため、誰もが腹を括って野猿峠に降り立っていた。今回は筆者にとって特に印象に残った、というか忘れもしないM1時代、10期(4年生)+11期(3年生)による論文合宿のタイムラインを書き起こすことにする。
 
論文合宿の基本スケジュールは論文作業→発表と指摘→修正作業→発表と指摘→修正作業・・・という無慈悲な無間地獄で構成されている。提出期限の切迫度合いや重要度合いを鑑みて、基本的には4年生(卒論)への対応に指導時間の多くが費やされる。発表を含めた作業は学生の宿泊部屋ではなく、セミナー室と名付けられた広めの部屋に全員が詰め込まれて行われる。よって学生は作業が終わらなければ自室に戻る機会も少ない。筆者は発表における運営補助に加え、執筆作業に耽る学生との相談、着替えなどで自室に戻りキー閉じ込みをやらかした学生のためのフロントへの事務対応などにあたることとなった。
 
さて、そういえばここに至るまで、大学での「発表」についてあまり詳しく描写していなかったので書き起こすことにする。といっても何のことはない、学生は論文内容について規定時間内にプレゼンテーションを行い、やはり規定時間内に指導方(教員や院生)による質疑に学生が応答するというだけである。特に質疑応答の時間は発表会の状況によって大きく異なるもので、通例、論文合宿などの本番を想定した発表会では多めに割り当てられる。正直その時間が長くなるほど学生にとっては生きた心地がしない状況も長引いてしまうのだが、このやりとりの総量が論文の質の向上に大きな影響を与える以上、誰もが涙をこらえて堪え忍ぶのであった。具体的に10期12名は、1人あたり発表(6分)+質疑(8分)の、合計14分の試練(という体の改善チャンス)の時間が与えられることとなっていた。
 
続いて、発表の充実において重要な存在となる、指導方(聴講者)の陣容について説明しておこう。今回は代理教員である烏山先生と長泉先生に加え、藤枝さん、そして上野先生と上野先生が連れてきた助手の山北先生(仮名)とゼミには不定期参加の博士課程の院生(今市さん(仮名))の合計6名が参加することとなった。きちんとその意味を伝えられるかどうか自信がないが、この指導方の人数は、一つのゼミのみの論文合宿としては異例の超攻撃的布陣である。指導方が少人数であればあるほど、時として重要な指摘の見落としやスルーがどうしても生じてしまうものであるが、頭数が多いほどその陥穽を直ちに埋められる可能性が高まるという意味ではメリットがある。てか上野先生まだいる、いえ来てくださるんですね、とはもはや誰も心の中で突っ込むことはなくなっていた。対して発表側の4年生12名のうち、明らかに進捗が危険水位に達している学生が、どう優しく見ても7名は存在しているという状況であった。
 
絶対に問題点を見つけ出す指導方6名vs絶対的に目が開いていない論文を引っ提げた学生7名。もう、これは合戦である。
 

詰められる4年生、また詰められる4年生

 
戦いは序盤から指導方の一方的な展開であった。発表中から不規則に撃ち込まれる質疑攻撃に、4年生の力ない応戦はまるで効果的ではなかった。言い淀んでいると更に高高度からの本質をえぐる攻撃がぶち込まれ、最後の方はもはや開戦前に存在した目標対象物はなにひとつ原型を留めず、手持ちぶさたの指導方は瓦礫と化した状況に対しても腹の虫が収まらないとばかりに更に攻撃を加える有様であった。
 
生臭い比喩を自重して総括すると、確かに発表の質は卒論直前にしては低かったかもしれないし、発表者のくせに内容を熟知していないなと疑わざるを得ないようなものもちらほらあった。しかし先生的立場の人間が、全力かつ6人がかり、時間超過上等で雨あられの如く指摘すれば生(な)るものも生らない。つまりは当初想定していた物量や時間について、指導方は明らかに多すぎたし、質疑の時間はあまりに少なかった。撃ち方止めの状況が指導方に共有され始めたのは、セミナーハウスが用意する夕食の時間が迫り、先生方の腹の虫が疼き出したからであった。
 
クリスマス休戦のような夕食と風呂休憩後、一同は重い足取りでセミナー室に再集合し、第二次4年生殲滅戦が始まった。一応3年ゼミTAである筆者は、当初は惨状を見せつけられ震え上がる3年生と共に震え上がっているだけでよかったが、4年ゼミTAの院生が夕食前に帰宅してしまったことでいよいよ火の粉を浴びなくてはならなくなった。第一次合戦で粉砕された筋立てを突貫工事で組み上げた4年生であったが、さすがに数時間で劇的に改善できるような状況の学生は少なく、案の定ふたたびの全力爆破粉砕不可避事例が続出した。確かに4年生側にも、発表に12分もかけたことを指摘され、反省した結果「2倍の速さで喋る」という解決策で乗り切ろうとしてあえなく失敗するなど問題はあったかもしれない。ただこの状況、大の大人が寄ってたかって相変わらず時間を大幅に超過しながら厳しく指弾し続けるという状況は、ちょっと常軌を逸していた。
 
タイムキープちゃんとやれよ!と怒鳴ったのは山北先生だった。まさゆめさんはこれでいいと思ってるんですか?と詰め寄ってきたのは烏山先生だった。代理タイムキーパーとして滅私奉公していた筆者もこれでさすがに我慢の限界に達した。は?なんで俺まで指摘されてんの。そもそも3鈴(時間オーバーを告げる音)鳴ってからも延々と喋ってんのは指導方じゃないか。だいたい「これでいい」のこれって何?知らねえよ。正直に言えば全然良くねえよ。でももし「はーいみなさん時間は守りましょうねー。それと言葉遣いは丁寧に。基本的な敬意を誰に対しても持ちましょうね~」って言ったところで守られるのかよ!第一なんで4年ゼミTAがいつの間にか帰宅してんだよ。せっかくの「一度足を踏み入れたら最後、簡単には帰れない」っていう設定を壊してんじゃねえよ!!八王子なんだから!!!家庭の事情?ならしょうがないけどさ・・・
 
・・・と実際に言い返すことはなく、しかしこの類焼ハプニングによって筆者は心密かに合宿の離脱を決意したのだった。
 
第二次4年生掃討作戦が中座し、その隙を見て現場を離脱した筆者が本気で荷物をまとめはじめたところで、声を掛けてくれたのは藤枝さんだった。この合宿において博士課程以上の参加者は1人部屋が確保されていた(筆者はM1なので他学生と一緒の部屋)が、もし必要なら僕の部屋を使ってください、とのことであった。曰く、このような状況なのでおそらくつきっきりで学生に論文指導することになるから、夏合宿でも寝付きが悪かったまさゆめさんは寝られるときに寝てくださいという。いや、もう帰ろうと思うんだけど、と言い出すことは遂にできなかった。さきほど示した思いはおくびにも出さなかったと自負していたし、たまたまの配慮だったのかもしれないが、これが筆者を翌日まで八王子に留まらせる決定打となった。筆者は表向き顔色を変えず、戦場に戻った。院生の立場をなげうちかねない第二の危機はこうして乗り越えた。
 

詰め詰めで始まる3年ゼミ

 
深夜0時過ぎ、4年生に発表可能な人材がいなくなったことで、先生方がついに3年生(11期)の存在を思い出した。当の3年生たちはというと、一連の地獄絵図を脇目に、できる系男子中心にゼミ論文の作業を始めていた。後にも先にも、日付を超えて開始されたゼミはこのときだけではないかと思うし、二度と起こってはいけない珍事である。幸いにも発表が設定されることはなく、長泉先生よりゼミ論文の書き方やレギュレーションが共有され、3年ゼミは驚くほど平和裡に終了した。3年ゼミTAであった筆者も、一応これにてお役御免となったようだった。時計は2時か3時を指していた。
 

詰め切れなかった4年生は

 
翌朝、藤枝さんの配慮もあってなんとか睡眠を確保できた筆者は、もう第何次か分からない4年生発表を穏やかな気持ちで眺めていた。誰が居なかったかは記憶にないが、朝には指導方がかなり減っており、さすがに根底から覆すような指摘が出てくることはなくなっていた。そこで巻き起こっていたのは、第三次世界大戦はわからないが第四次世界大戦は石と棍棒で行われるだろう、という主旨のアインシュタインの警句が脳裏をよぎるほどにごく小規模な小競り合いであった。それでも発表の質が一定水準に達していないと判断された4年生数名は、泣きの継続審議として、来週のゼミにおいて優先的に相談時間が割かれることとなった。よかった。さすがに、もう一泊しようという話にはならなかった。一方ただの合宿見学者と化した3年生は、結局翌朝も大きな課題を設定されることもなく、静かに下山時刻を迎えた。果たして3年生はこの論文合宿に必要だったのだろうか。湧き上がる疑問に、筆者も答えを出すことはできなかった。
 
論文合宿。繰り返しとなるが、学生にとっては卒論を仕上げるための試練であり、最大の好機ともいえる。ただもう一つ補足すると、ここまで一大殲滅作戦が繰り広げられた合宿はこの時限りであり、以後は当期の反省もあって理性的なプログラム編成となった。剣道の係り稽古のように、時には厳しい稽古に相当するような試練も、たまになら許容できるかもしれない。しかしそれも度を過ぎた狂騒状態になってしまえば、できるものもできないし、そもそも心が持たない。
 
でも、じゃあ、どんな状況があれば「良い」と言えるのだろう。どんな状況なら、できていると思っているけれど、実は全然できあがっていないものを「できてないじゃないか」と適切に示せるのだろう。そもそも、適切って何だろう。指導って何だろう。冬晴れの八王子の空の下、筆者の中にも重い課題が残されたのだった。
 
 
 
(初出:2021/01/20)
 

いんせい!! #11 Reflection!!

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陽炎が見える初夏の路面を、やんわりと見つめながらハンドルを握ります。目的地は108km先です。

 

#11 Reflection!!

 
神奈川県南西端地域在住のなんちゃって社会人院生たる筆者には、通学に関して2つの選択肢がありました。片道3時間弱の鉄道(+学バス)チャレンジと、片道1時間45分の自家用車アドベンチャーです。所要時間としては自家用車の方がだいぶ短いのですが、なんせ距離108kmですから冒険です。ちなみに筆者はこれまでの学生生活で「小学校:徒歩5分」「中高:(寮から)徒歩5分」「eスクール:起動から受講開始まで5分」となかなか通学距離には恵まれてきましたが、その好運を一気に返上する遠距離通学がここに実現してしまいました。正直言って都内在住の方が「所沢遠い~」などと思わず口走ってるのを聞くとですね、どこに住んでて言ってんだって気持ちになりますね。それと起動時間遅くね?と違和感を持たれた主に若い皆さんは、Windowsは年を取るとだいたいこんな感じになると覚えていてもらえると嬉しいです。
 
ドライブに際しては、当初は意識高くいこうと思ったか英会話ポッドキャストを流していました。しかし英語が相当な入眠剤である筆者にとって、朝のドライブと英語の相性は最悪でした。そのため非常に早い段階で、それこそ二回目の往路の途中くらいでアルバムをひたすら流す普通のドライブに落ち着いたのでした。今回はそんな自家用車アドベンチャーについて、道中にて特にヘビロテした「Reflection【naked】/Mr.Children」のレビューを挟みながらお届けします。
 

とこキャンまでの通学経路レビュー(「Reflection」に乗せて)

 
 
♪01 fantasy
Mr.Childrenの歴史上で最多の収録曲数を誇るオリジナルアルバムは、発進を心地よく促すかのような威勢の良いイントロを持つ「fantasy」で始まります。更に曲の序盤では、これからの長い通学に前向きさを与えるようなフレーズも耳に残ります。しかし勝手知ったる自宅付近の道ですが、慣れは油断を生んで予想外の事故を誘発するものです。それを見透かしたように曲は次第に世間の影の部分を示し、運転への慎重な心持ちをも思い出させてくれます。ちなみにこの曲は、世界に冠たるBMWのCM曲に採用されています。光と影が交錯する内容の曲を選び取ったB社もこの曲をアルバム1曲目に採用したMr.Childrenも、それぞれが内包した卓越したセンスを仄めかしています。ちなみに筆者の車は大胆不敵にも、世界に冠たるNISSANです。
 
♪02 FIGHT CLUB
エンジンが十分に温まった車は自宅近くの駅前通りの、いつもの渋滞に突入します。曲は前曲からさらなるアップビートで気持ちを高めようとしてくれますが、そのままアクセルを踏めない苛立ちが歌詞に乗り移ります。歌は筆者がもし現役の大学生だったならそんな時代であっただろう情景を、モチーフとなった名作映画「ファイト・クラブ」の雰囲気に沿って若々しくかつ荒々しく歌い上げます。駅前を抜けて渋滞をパスすると、いよいよ車は国道を上り始めます。とはいえここから景気づけとばかりに、フルスロットルでの高速走行は禁物です。確かに道幅は気持ち広くなるのですが、前の車を追い越せるようなものではなくカーブも連続しているため見通しはとても悪くなっています。真の敵はこのカーブでも、もちろん前の車でもないのです。今日も安全運転に徹して、共に今を生き抜こうじゃありませんか。
 
♪03 斜陽
前曲とは打って変わって哀愁を帯びたサウンドが、朝の強い陽射しを浴びるドライブに新鮮な気持ちを呼び起こしてくれます。タイトルは太宰治の同名小説が由来とのことで、踏みしめるようなメロディーと歌詞が聴き手を乾いた憂鬱に誘います。車は真鶴道路(真鶴ブルーライン)と合流すると、国道の中でも最も海に近いエリアを颯爽と通過していきます。この辺りは過去の台風で何度も高波被害に遭っているのですが、他の有効な選択肢がないので皆どんなハイリスクな天候でも突っ込んでいきます。そりゃもちろん地元民としてはできれば山側にもっと頑丈な道路が欲しいのですが、斜陽が叫ばれて久しいこの地域には誰も見向きもしてくれないのですよ。
 
♪04 Melody
車が根府川の交差点に差し掛かる頃合いで、冬の夜の繁華街を彷彿とさせるようなポップソングが登場します。この曲は「ガッキーと結婚できない」という一点において世のほぼすべての男性は平等である、という宇宙の真理を創造した大天使新垣結衣氏出演のKOSE・エスプリークCMソングに起用されています。なおこのアルバムはMr.Childrenの歴史において初となるセルフプロデュース作品が主軸となっていますが、この曲を含めた数曲では盟友:小林武史氏をプロデューサーに迎えた「往年のMr.Childrenサウンド」を堪能することができます。CD全盛の時期にシングルA面で出ていたら大ヒット間違いなしのメロディーは、もちろん今聴いても名作の風合いです。
 
♪05 蜘蛛の糸
車は石橋インターチェンジ(IC)から、いよいよ自動車専用道路に入ります。5曲目は「蜘蛛の糸」、今度は芥川龍之介なタイトルです。実際は曲名からイメージされる雰囲気よりは直球の、Mr.Children十八番のスローバラードを堪能することができます。道順に話を戻すと、車は石橋料金所(石橋IC)を通過後すぐ到達する早川ジャンクション(Jct.)にて箱根方面に向かいます。ランプから本線へ合流した段階では右車線を走ることになるので、どこかで左車線に移ってください。とは言っても「ターンパイク」という標識のある分岐に誘われると、名作ゲーム「Getting Over It」の蛇のごとく芦ノ湖までひとっ飛びですのでそこはスルーしましょう。いっそこのまま箱根に行っちゃってもそれはそれで達成感を得られるかもしれないのですが、それはまたの機会に・・・です。しばらく走ると、豪傑河野一郎氏がトップダウンで敷設を求めたとされる小田原厚木道路(略称「小田厚」)と箱根方面との分岐を示す大きな案内標識(小田原西Jct.)が見えてきます。ここを間違えずに進入できれば、あとはおとなしく小田厚に合流するのみです。この辺りのジャンクションは、蜘蛛の糸というより蜘蛛の巣のような複雑さです。小田原西Jct.を回る最中には、通ってきた道が一すじ断続しているのを垣間見ることができます。
 
♪06 I Can Make It*
小田原西Jct.を通過して小田厚に入った車は、いよいよスピードを上げることを許されるようになります。しかし曲は前曲にも増して重くなり、迷いやもどかしさを表した歌詞もその雰囲気を見事に増幅させます。日々研究指導であれはダメこれもダメなにやってもダメめんどうなのはダメダメと言い放たれているダメ量産人間としては、思わずハンドルを握る手に力が入ります。結果的にその憤懣が、急加速の誘惑を押し止めてくれているのかもしれません。小田厚最初のトンネル:荻窪トンネルを抜けると、美しい小田原市街と赤の烏帽子をキラキラさせたお車にMake itされた車が視界に入ってきます。いったい何言ってるんだというところですが、まさに追いかけてるはずが追われてるってやつですね。いやもう捕まってるんですけどね。
 
♪07 ROLLIN' ROLLING~一見は百聞に如かず*
神奈川県西部では有名な話ですが、小田厚は国内屈指のスピード違反取り締まり路線となっています。制限速度はほとんどの区間が時速70kmですが、箱根などの狭く見通しの悪い道を通過してきたドライバーは「簡単な線形になったな→これは飛ばせる!」と認識しやすいようです。そのためどうしてもアクセルをベタ踏みしがちなのですが、それがまさにこの道路と道路交通法が仕掛ける罠なのです。前曲から更に投げやりな雰囲気も漂うロックンロールに乗せて、車は時速70kmをいかに守るか(上も下も)に神経を使います。速いのはもちろん、遅いのも迷惑なのでご法度です。その事情を知っているような同志と共に、集団行動のごとく左車線で等速運動チャレンジを行うさまはいかに県警の厳しい調教が奏功しているかを示しています。この痺れる空気感、百聞は一見にしかずですよ。
 
♪08 放たれる*
車は小田原料金所を経て、小田厚最長の弁天山トンネルに差し掛かります。この料金所(小田原東IC)から二宮IC、更に大磯ICまでは最も(免許が)危険に晒されるめちゃくちゃな区間です。本当に驚く台数のおパト様が放たれているのがこのエリアで、筆者は当該区間を勝手に「二宮トラップ」と名付けて警戒しています。特に二宮IC付近のサグ(下り勾配→登り勾配となる箇所)は、無警戒で走っていると自ずとスピードが出てしまう魔のポイントです。そこでもしも灰色や紺色のセダンを見つけたら、接近して確かめようとせず覆面さんと思ってください。違っていたとしても、それは名誉の空振りです。そういう車がトロく走っていたら、絶対にせっついたり追い越したりしてはいけません。(免許が)極めて危険ですし、(免停によって)通学にも影響が出てしまいます。ぐぎぎぎ、いつもご苦労さまです。
 
♪09 街の風景*
小田厚が厚木区間に入ったところで、アルバムは前半の山場曲「街の風景」を迎えます。山場と言っても壮大なストリングスが挿入され・・・という趣ではなく、人々の日常に寄り添うことを得意とするMr.Childrenの曲の中でも特に親近感を覚える佳作に仕上がっています。元は小田和正氏との共作曲「パノラマの街」として披露されていた楽曲ですが、この曲単体でも豊かなストーリー性が湛えられています。例えば大磯ICを過ぎると到達する平塚料金所前後など、小田厚では街を俯瞰することができる一瞬がいくつもあります。この曲はそんな街に佇む家の一つ一つにも、掛け替えのないドラマがあることを想像させてくれるのです。とはいえもちろん、「パノラマの街」の2作との違いを楽しむことも可能です。ちなみに小田厚は小田原と平塚に2つの料金所があり、それぞれでETCの課金音を楽しむことができます。
 
♪10 運命*
小田厚にはE85という高速道路ナンバリングのほか、国道271号線という国道路線番号が振られています。そのうえ、平塚ICからは高速道路レーンの両脇を一般道が並走する丁寧な路線となります。また並走化に合わせて道路はほとんど地上を走るようになり、ドライブは長閑な田畑を眺めながらの爽快なものとなります。まるでピクニックにでも行ってしまいそうな雰囲気に合わせ、「運命」はとてもかわいらしくキャッチーなサウンドを聴かせてくれます。この曲も時代が時代なら大ヒット間違いなしの風格ですが、そういった曲がアルバムの位置的にも地味な1曲として聴けるのはつくづく底知れないバンドです。同じ道を走り続けて数十分、高速道路5方向からの車が運命的に集結する小田厚の終点(厚木料金所・厚木IC)に入ります。
 
♪11 足音~Be Strong
厚木料金所・厚木ICから圏央道へは、東名高速道路・・・の横を並走するアプローチ道路で向かいます。半径の大きなランプウェイを曲がりながら、アルバム前半の締め曲「足音~Be Strong」が車内に響き渡ります。この曲は傑作「終わりなき旅」にも通じるような雄大なストリングスに包まれて、歩み出すための勇気を力強く授けてくれる名曲です。アプローチ道路が相模川を渡・・・ったところで、車は軽めの渋滞に巻き込まれます。実はこの道中は少し先の海老名Jct.から圏央道に入るのですが、その合流形態が非常にオブラートに包んだ言い方になりますが狂おしいまでの欠陥仕様であるため特に通勤時間帯に目詰まりを起こすようになっています。圏央道開通後に緊急の改良工事が施されてこれでもかなりマシになりましたが、とりあえずは一緒に歌って焦りをごまかすしかありません。
 
♪12 忘れ得ぬ人
ジャンクションを突破したところで、アルバム随一のしっとり曲「忘れ得ぬ人」を迎えます。筆者がおもむろに聞かせたMr.Childrenというバンドをいたく気に入り、筆者よりずっと筋金入りのMr.Childrenファンであり続けた従妹はこの近くに住んでいました。素敵なバンドを教えられて本当に良かったし、このバンドを選んで飛躍した従妹は今でも一族の誇りです。もしかしたらこの原稿も、その従妹に宛てて書いているのかもしれません。このアルバムは本当に良いんだよね、まあ聴いてると思うんだけどね。こんな感じで、なかなか感傷的になる曲です。ただもう1時間近く運転してきましたので、圏央厚木IC近くの厚木パーキングエリア(PA)で休憩を取ることにします。
 
♪13 You make me happy*
こんなところでいきなり感傷的になられても引くわ、てなもんですね。気を取り直して、所沢まで気持ちを新たに運転していきましょう。アルバム後半の1曲目はジャジーな雰囲気と変拍子が特徴的な、どちらかというと変化球な曲です。Mr.Childrenの歴史の中ではシングルB面曲に多いパターンで、コアなファンが大切にしそうな逸品です。そう書くと「ウケない曲」と同義で受け取られてしまいそうですが、でもコアなファンが飛びつける曲を多数用意できるってそれはそれですごいことではないでしょうか。もちろん筆者もこういうMr.Childrenも好きですし、「羊、吠える」を好きと言っていた従妹もお気に入りの曲に違いありません。
 
♪14 Jewelry*
車は相模原愛川ICの手前辺りから、長大トンネルの連続する渋めの区間に突入します。後半2曲目の「Jewelry」も引き続きアダルティーな雰囲気を持った曲で、トンネル内の代わり映えしない景色を意味ありげなものに変えてくれます。愛川トンネルを抜けると、個人的には大陸的な雰囲気すら感じる相模原の雄大な自然が視界に飛び込んできます。何もないイメージの相模原ですが、こんなにも懐の深い景色があるじゃないの。圏央道のこの区間(海老名~八王子)は設計最高速度が時速100キロ(制限速度は時速80キロ)となっているため、周辺の景色が小田厚と比較してゆっくり流れるように見えることもそう思わせるのかもしれません。ただしそれに浮かれて飛ばしてしまうと、やはり大量に潜んでいる覆面さんのJewelryになってしまいますのでご注意ください。ぐぎぎぎぎ、いつも本当に朝早くからご苦労さまです。
 
♪15 REM
相模原ICを通過しちょっとつぶれたような断面が特徴的な城山トンネルを通過すると、叩きつけるような歌が印象的なハードロックチューン「REM」が始まります。徹頭徹尾攻撃的なリズムが支配するこの曲は、この高速道路建設における屈指の係争地域であった高尾山周辺の闘争の歴史を思い起こさせるようです。車は圏央道でも最長の、その割には直球過ぎるネーミングであまり印象に残らない相模原八王子トンネルをひた走ります。曲がクライマックスを迎える頃には出口を探している車や中央自動車道と交差する八王子Jct.も目前に迫り、車両間の緊張度も心なしか上がっていきます。
 
♪16 WALTZ
中央道への分岐があるということは、中央道からの合流もあるのが道理です。そしてこの八王子Jct.の北端で口を開ける「八王子城跡トンネル入り口」は、通学ルート中で最も危険なポイントです。まず高速道路の設計最高速度が急に下がる(100km→80km)ため、見た目として道幅が狭く感じられます。加えて中央道から合流する車は中央道の感覚で走り続けるため、どの車もスピードが出がちです。そして合流はトンネルの入り口部分のため、速いスピードで合流した車の車間はトンネルという空間の狭さもあってより迫り来るように感じられます。なによりトンネルは2km余りあるため、その張り詰めた雰囲気が延々と保持されます。猛スピードのトラックに挟まれながら城跡トンネル内を進もうものなら、耳を塞ぎながら耐えるしかありません。おまけに交通量はこの区間から明らかに増えるので、正しい流れは右か左かも見定めなければなりません。こういう問題箇所にこそパトカーが張っているべきだと思うのですが、なぜかほとんどいないのも悲しいところです。実際問題として、待機できる空間的な余裕がないこともあるかもしれません。特に観光でこの区間をたまに利用されるドライバーの皆さまは、ここだけはマジでご注意ください。そんなこんなで、冷ややかな切迫感で一杯のサウンドで奏でられる「WALTZ」はこのジャンクションにピッタリです。
 
♪17 進化論
それにしても、遠いところから来てるからなわけですが所沢って遠いですね。でももう少しなので、引き続きアルバムをご堪能ください。殺伐とした八王子Jct.周辺を抜けると、多摩の長閑な風景を垣間見ることができます。あきる野ICから先はオービス設置区間のため、猛っていたトラック達もやっと大人しいスピードになっていきます。正直オービスをもっと手前に置いといてもいいように思うのですが、このオービスの設置効果は高いと感じます。アルバムも攻撃的な展開の曲から一気に弛緩し、神々しい視点で明日への希望を見出すような名曲「進化論」に到達します。こういったあまり盛り上がらないのに印象に残る系の曲を個人的に「Mr.Childrenの煮え切らない曲(代表的な曲「君が好き」の歌詞から)」とカテゴライズしているのですが、何度も聴くと実際はちゃんと美味しくできあがっていることに気づきます。まあ単に、一般的に言うところのスルメ曲です。高速道路はDNAのようにうねり、内回り線が外回り線の上に覆い被さりながらトンネルに突入します。この通学路における圏央道の土木施設は、アルバム同様になかなか飽きさせない景観を提供してくれます。
 
♪18 幻聴
都心部以外ではなかなかお目に掛からない二層構造の青梅トンネルを抜けると、道路が今までの並走構造を取り戻し始めます。その構造物の隙間から青い空が見えたら、それは青梅の青空です。いやそれが何だという話ですが、結構ホッとするのは確かです。やっと一息つけるような視野の広さに安心して、しかしまだもう少しだけ走らなければなりません。この曲「幻聴」もシングルになれば相当世間に浸透したであろうに、本当にファンお気に入りの曲を増やすのが上手いバンドです。曲が終わりを告げる頃、この高速道路の旅も終わりを迎えます。
 
♪19 Reflection
所沢キャンパス(とこキャン)への最寄りは、関越道の所沢ICではなく圏央道の入間ICとなります。やたら長い接続道路をゆったり走り、料金所を過ぎて三井アウトレットパークに向かうレーン(右側)を選びます。ここではそのアウトレットパーク利用者の入場車列や、国道16号線お馴染みの渋滞が起きていることがありますので追突には注意が必要です。アルバムのタイトル曲はシンプルなインストゥルメンタル曲で、高速走行で上気した頭を見事にクールダウンさせてくれます。
 
♪20 遠くへと*
国道16号線への合流が叶う頃、そよ風のように軽やかなサウンドに乗せた「遠くへと」が始まります。110km近く走ってきたけど110km/hは出してないぞ!たぶん!・・・と、この日のドライブの反省をそれとなく促してもくれます。ちなみにこの曲をはじめタイトルにアスタリスクを付与した曲は、アルバムの抜粋版(Drip版)には収録されておりませんのでご注意ください。それにしても、国道16号線が混んでないエリアってあるんでしょうかね。神奈川県域ではとにかく混雑に定評のある国道16号線ですが、埼玉県域でもやはり流れが悪くなっています。圏央道神奈川区間(さがみ縦貫道路)が開通していなければ、車通学は事実上不可能だったでしょう。
 
♪21 I wanna be there*
しかしそんな国道16号線の利用は、幸いにも1km程度で終わりとなります。宮寺という何叉路なの??という交差点を左前方方向に進み、いよいよラストスパートです。運転に余裕を持つため毎回早めに出ようとは心がけていましたが、色々あってギリギリになることも結構ありました。そんなときにこの曲の歌詞は、心の叫びそのものでした。ちなみにこの曲も抜粋版(Drip版)には入っていませんのでお気をつけください。不思議なことに、個人的に好きな曲は抜粋版から漏れた曲が多いです。ファンに愛されそうな曲はあえて外してみた、といったことがあったのかもしれません。まあ筆者の趣味嗜好が元々マイノリティーだから、という影響もあるかもしれませんが。
 
♪22 Starting Over
本作最大スケールのバラード曲にして、これまでのドライブを讃えてくれるような曲「Starting Over」がラス2という最重要ポジションで奏でられます。埼玉県道179号線を東進して押しボタン式信号機のある交差点を右折すると、いよいよ大学キャンパスの気配が感じられます。ドライブの終わりは、また何かが始まることに他なりません。言葉にならない万感の思いで、学生専用の北門駐車場のゲートをくぐり抜けます。200m以上の長さを持つ駐車場の中、少しでも建物からの距離を短くできるような空きスペースを見定めます。できれば橋の下にあたる部分が日陰になって最高なのですが、なぜかそこにはいつもゴツいBMWが停まっているので泣く泣くスルーします。マス目の狙いを定めて慎重に入庫し、完了する頃合いで曲も感動のピークアウトを迎えます。いやー、お疲れさまでした。
 
♪23 未完
Mr.Childrenの本作におけるテーマ曲で、個人的にも本作で最も愛聴した曲「未完」がアルバムのラストを飾ります。例によってシングルになっていないので、人口に膾炙したヒット曲とは言いがたいかもしれません。しかしこの曲はMr.Childrenの魂そのものであり、でもまだここからもっと良い曲を作ってくれそうな予感さえ抱かせてくれます。ちなみにお気づきかと思いますが、もう車は大学キャンパスに着いちゃってるのです。え、早く行かなくていいのかって?
 
いいじゃないですか、この1曲の5分くらい。
 
 
 
※この回は新世紀の文豪Pato氏の以下の記事に着想を得て執筆しました。
「大掃除をしていたら、Mr.Childrenの「Atomic Heart」が出てきた。ふと18歳の時、車でデートした日のことを思い出した。」
 
 
地図:地理院地図
答え合わせ的に、おおよその位置関係と主な道路名を記載したバージョンも置いておきますね。神奈川県西部からとこキャンへ通われる方は、ぜひご活用ください。
 
 
(初出:2021/01/22 #11 通学)