いーすく! #08 楽単!

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ふたたび春です。別れの季節、出会いの季節、そして科目登録の季節です。
 

#8 楽単!

 
手探りの履修選択からゼミ選択まで、このコラムもこのコラムで取り上げたエピソードにおいてもキャンパスライフの折り返し点まで来ました。キャンパスライフに限定して語ると、一周ならまだしも、三周目、四周目に入ると誰もが熟(こな)れてくるものです。そこで今回は、履修した中でなかなかに興味深かった専門科目を、誠に僭越かつ勝手に紹介していきます。負荷は分かりません。
 
なお選出にあたっては、必修科目や筆者がゼミ選択において取り上げた科目については対象外とします。要は「研究テーマにはしなかったけれど興味深い」科目たちですから、素の実感ではないでしょうか。
 

私選 eスクール科目アワード

 
さあ始まりました!素晴らしい専門科目に勝手に賞を送りつけるという、第1回eスクール科目アワードのお時間です。
 
ではさっそく賞の紹介に参りましょう。まずは、eスクールというフォーマットをフルに活用しつつ、大学の講義としての重みを両立させていたこの科目です。
 
・おもしろいで賞 学習とメディア(保土ケ谷先生(仮名))
受賞理由:これぞメディアリテラシー
 
この科目の内容紹介の前に、eスクールの講義映像がどのようなロケーションで収録されているかを説明いたしましょう。基本的には ①スタジオ ②教場(教室) ③研究室 ④フィールドワーク(例えば自然観察) に大別されます。特に通信向けに凝ったことを行おうとすると、教員は①または③を選択する傾向にあります。
 
さて、保土ケ谷先生はというと、第1回講義から ⑤外でレクチャー という新しい概念をぶち込んできました。外というのは文字通り外、お外です。しかもロケ地は毎週のように変わり、なんと確か2回目は多摩湖のほとりでした。その場所でなければならない、というフィールドワークであれば納得なのですが、先生が(外で)話している内容は終始メディアリテラシーに関するものなのです。コントかな? これがこの科目の第一印象でした。
 
続いて先生が行ったのは、クラスごとに分断されていたBBSの一元化です。既報の通り、eスクールではコミュニケーションの質を上げる意図もあって仮想のクラス分け(1クラス20~30名)を行っています。しかし先生はその壁を早々に破壊してしまいました。せっかくの工夫が台無しです。当然、BBSは大量の学生が入り乱れるカオスとなります。謎。カオス。不安に思うなという方が無理です。
 
かように破天荒な保土ケ谷先生の方針に対して、この科目の田浦教育コーチは丁寧な返信で場を慣らしていく・・・かと思えば、突如として自作動画(英語)を投下するというコンボ攻撃。コーチまでもが破天荒では、もう収拾は付きません!
 
しかしここで補足しますと、そんな中でも先生はメディアリテラシーに関する講義をきちんと行っているのです。重要人物であるマクルーハンについて時間を掛けて説明してくれました。ただその場所が多摩湖のほとりというだけです。コーチももちろん、受講生からのコメントの返信は丁寧かつ適切に行っているのです。ただし常に斜め上から話題や素材を投下してきます。
 
もうお分かりかと思います。この科目の構造も、メディアリテラシーを養うための仕掛けだったのです。
 
カオスにもやっと慣れてきた講義中盤、保土ケ谷先生は「eスクールならではの、深い学習と暗黙知を生かすため」、つまり社会人学生が多いとされるeスクール生の社会経験を科目の素材として当て込んでいたこと、そのための方式であったことを明らかにしてくれました。多摩湖もカオスも、化学変化狙いだったのです。コントかどうかは置いといて、私達は最初から舞台の上に居たのです!
 
なにしろ何が飛び出すか分からない緊張感の連続ですから、受講には他科目より相対的に多くのエネルギーを費やした気がします。しかしそれはたぶん、とても正しい疲れなのだと思います。オススメです!
 
 
続いてご紹介するのは、王道の中でも王道であった科目です。
 
・エレガントで賞 水域環境変遷学(井野先生(仮名))
受賞理由:全15回の絵巻物
 
保土ケ谷先生のようなイレギュラースタイルが興味を惹くのはある意味必然です。しかしオーソドックスな講義スタイルでも、なかなか感心させられる科目もありました。その中でエレガントだったのが「水域環境変遷学」でした。なんだか小難しそうな科目名です。筆者も履修をためらいました。
 
講義は私達にとって身近な「水」の現状についての説明から始まります。その内容はさすがに前提知識ゼロの筆者でも理解できます。
地球に存在する水のうち、人間が利用可能な水資源は僅かです。限りある資源を大切にすべく、水資源の管理と状況の把握は重要です。
水資源の指標として「水収支」があります。現在の水収支は水量の計測あるいはシミュレーションで分かるわけですが、実態を深く知るには過去の水収支も把握したいところです。
過去の水収支が分かれば、その時代の植生や気候、地殻変動も推定できる可能性が高まります。過去から現在までのデータが積み重なれば、未来の予測や懸念にも役立つでしょう。
しかしそもそも、そんな都合の良い水辺など・・・あるのです。それが「湖」です!
とある湖とその周辺を調べていくと、時代によって湖水面の高さが異なっていたことが分かってきました。湖がもっと大きかった時代もあれば、小さかった(なかった)時代もあったということです。その変動が何によってもたらされてきたのか、様々な説があります。もしかしたら、地球だけではなく太陽の動きなども関わっているかもしれません。
一方で何百万年と「湖」であった湖の地層を調べると、急激に湖水面が下がったと推定される箇所が見つかりました。ここでは地球全体が急激に寒冷化するという「ハインリッヒ・イベント」が起きていて、それが湖水の地層にも記録されていたのです。遙か昔の気候変動が記録されている地層ということは、その地層はもはや地球のレコードといえるのではないでしょうか!
 
とまあ、なんちゃって教養番組のようなあらすじ書きで申し訳ないのですが、講義ではもっと流れるように、学術的知見また知見と、確かなデータを元に話題を細かくシフトさせていました。講義終盤にはこの科目を通して「水域環境」に本格的に興味を抱いた人間の知的探究心を満たすように、水域環境調査の具体的な研究方法の説明がなされていきました。
 
ちなみに研究の方策についても簡単に説明すると、湖を網羅的に音波探査したり、ひたすらボーリング調査したり、他地域の湖や火山のデータと照合したり・・・と、簡単に言うのも憚られる大変な作業です。ドミノ世界記録更新なるか!?とラテ欄で煽る文字数は少ないですが、並べる方はとんでもなく大変なわけで。詳しくは水域環境に関する文献をぜひご一読ください。
 
とにもかくにも、最初から最後まで流れるようにスタートし、ゴールした科目として真っ先に思い浮かんだのが個人的にはこちらでした。人間科学ではデータに基づく論考が求められる(おそらく人間科学でなくても求められる)のですが、理路整然という熟語が相応しい科目です。必見です。
 
 
さて、いよいよ賞も残すところ、グランプリの発表のみとなりました。栄えあるグランプリ科目はこちら!
 
・グランプリ:文化人類学(倉賀野先生(仮名))
受賞理由:文化人類学の第一人者と向き合えた貴重な半年間
 
元々「文化人類学」は人文科学の花形といえる領域で、ここ人間科学部でもその位置づけは揺るぎないといえます。その証拠に、技術と文化の関係性について論じた六合先生(仮名)、多文化が共生するスペインを対象に研究を続けている安中先生(仮名)など、文化人類学に包含される教員の陣容は重厚です。今回はそんな文化人類学系科目の中で、ズバリ「文化人類学」という名称で開講された倉賀野先生(仮名)の科目を取り上げたいと思います。
 
「理解したつもりになってはいないか」
事実というのは無数にあるものですが、その真理を私達は忘れがちです。のみならず、実は一部しか見ていないのにも拘わらず、すべてを知ったような気になって語ることの何と多いことか。文化人類学では、テクスト(表層)の比較とコンテクスト(深層)の着目が前提となると考えます。それがものごとを的確に捉えるために不可欠だからです。
 
「モノから何を読み取るか」
とある事象からどれだけの情報を引き出せるかが文化人類学の使命です。倉賀野先生は、モノが自らの外に示す特徴(示標性)、文化の生態系(エコ・カルチャー)、社会的想像力(イマジネール)などの新しい概念を発明し、テクスト(表層)とコンテクスト(深層)の情報をあの手この手で掘り出そうと試みています。
 
「構造主義とその先」
もちろん、講義では文化人類学の根幹にある構造主義やポスト構造主義(脱構築)についても詳述されました。より具体的なキーワードとして紹介された「交換」や「蕩尽」といった文化あるいは個人を結びつける理論は、一見不合理な伝統文化のテクストを理解するためのヒントを与えてくれます。
 
「歴史は操作されている」
文化人類学はよく「未開社会の文化学」あるいは「民衆の歴史学」というような言い方をされます。これは(英雄的な)歴史学と対比して、意地悪く見れば地味であることの当てこすりの意味すらあるかもしれません。しかしそもそも両者は不可分であるはずですし、だいたい文化人類学から見れば「歴史」なんて恣意的な見方そのもの、操作されたものに過ぎないのではないでしょうか。
 
などなど。いやー惜しい。何が惜しいって、筆者はこの科目をゼミ選択のあとに履修してしまったのでした。もしもっと早めに履修していれば、筆者の歴史は変わっていたかもしれません。
 
一つ補足しますと、この科目の教育コーチであったいわきコーチ(仮名)は、「本科目は文化人類学というより『倉賀野人類学』と捉えた方がよいかも」というコメントを残してくれました。今や広大な文化人類学という領域で、おそらく同じ業界のスペシャリストであろうコーチにここまで言わせてしまう先生ですから、よほどセンスが突出していたのでしょう。
 
それは受講している最中でもひしひしと感じることが出来ました。とにもかくにも、含蓄が重いのです。けれどそれが単なる豆知識にしかならなさそうなレベルのものではなく、今後様々な学問を学んでいくうえで、あるいは異文化と触れ合う場面で不可欠な視座と思えるわけです。この講義を受けてからだいぶ年月が経過したのですが、素敵な先生の素敵なお話を聞けた、という実感が今でも残っています。いやー惜しい。もっと早く出会っていれば、文化人類学者を目指せたかもしれないのに。超オススメです。
 
 
以上、グランプリの発表も終わり・・・
 
ちょっと待った!
 
歯の浮くような自作自演で恐縮ですが、これで終わりとするのはもったいないじゃないですか。ではでは、グランプリに相応しい科目をもう一つ、ぜひとも紹介させてください!
 
 
・グランプリ Mark II:リスク心理学(伊勢崎先生(仮名))
受賞理由:ハイレベルなスリルとカタルシス(婉曲表現)
 
文化人類学の層の厚さを指し示した舌の根も乾かぬうちに、別の領域の分厚さもお示ししたいと思います。実は人間科学部には「心理学」という、これまた人文科学のエース領域で活躍する精鋭を多数取り揃えており、伊勢崎先生(仮名)はその中でも新進気鋭、急先鋒の先生です。伊勢崎先生ご担当の「リスク心理学」はその名の通り「リスク」を題材としながら、堅苦しさが横たわる大学の授業のイメージをひっくり返した傑作科目です。
 
・リスク心理学って何?
講義の全体像としては硬派です。リスクという言葉の意味、その大小を評価するための様々な指標をおさらいしつつ、客観的に算定できるリスクと人が感じるリスクの違いを心理学の立場から説明していきます。今や有名になったプロスペクト理論やリスクホメオスタシス説、(心理学に限らないものとして)見せかけの相関の話など、地デジ8番の某番組で取り上げられそうな理論が次々紹介されていきます。随所で教場での受講生(通信の映像はその様子を録画したもの)を対象にリアルタイムで結果が分かるアンケート機能を導入しているところも新鮮です。
 
・そこ、うるさい!
伊勢崎先生は教員では若い方で、つとめて陽気に振る舞っています。しかしその姿を見て誰もが思うのは、実は怖い人なんじゃないか?ということです。同系統の雰囲気の先生と筆者は認識している藤沢先生も、いかにも怒ると手がつけられなさそうなピリピリ感を隠しきれずにいます。イベントが起きたのはある週の最後でした。伊勢崎先生が調子よく喋っている最中、ジリリリリリ!と警報ベルが鳴り出しました。ざわつく場内。伊勢崎先生はそこで「落ち着いて!そこ、うるさい!いいから座って!あとちょっとなので続けますね」と着席を促し、ベルが鳴り終わるのを確認した後、授業は最後まで行われました。場内の学生は色々と察して、全員が着席していました。最後に伊勢崎先生が微笑みながら言いました。
 
「これが正常性バイアスです」
 
ちなみに警報ベルの音は伊勢崎先生が自分のiPhoneで鳴らしていたものでした。
 
ちょ、この先生、なんでもありだぞ。今風の動画タイトルなら「リスク心理学という科目がヤバすぎた!」とか書かれちゃいそうです。まあそういう動画の内容のほとんどすべてはヤバすぎるなんてことはないし、ヤバくもないけれど。
 
・原発はお湯を沸かしているだけなんですよ
筆者の受講時期は震災から1年が経過した2012年秋学期でしたが、震災に関する話題は情報の整理がなされたこともあって旺盛でした。そしてこの科目で特に取り上げられたのは「原発」でした。
 
原発ってお湯を沸かしてるだけなんですよ。放射性物質はヤンキーと同じです。にらみ合うとすぐケンカしちゃう(反応しちゃう)のです。原子炉の制御棒はその反応を良い塩梅で止めるためにあります。ベクレルとシーベルトの違い、財布の中の小銭でたとえると、ベクレルは「コインの枚数(=原子の崩壊回数)」、シーベルトは「コインの総額(=人体への影響度)」です。そもそも基準値基準値言うけど、その数値の意味は何でしょう。年間20ミリシーベルトという許容量って、どんなリスク評価で決めたのでしょう。
 
筆者の、原発に関する総括情報のほとんどはここで形成されたと言っても過言ではありません。また、震災でもその後の災害でも、メディアの種類を問わず時折見られるヒステリックな論調が冷静な議論(リスク評価)を阻害している、というこの講義でのメッセージを、筆者は今も大切にしています。
 
・レポートはありませーん
この科目の成績評価は、毎回の小テスト(数百文字程度の記述式)と出席の積み重ねで行われました。通例こういったポリシーでも、期末には到達度確認の意味合いでレポートなり試験が課されることが一般的です。しかしこの科目、内容は特濃でしたがレポートはありませんでした。もう一度言います。レポートはありません。読み飛ばしてしまった人のためにもう一度書きますと、レポートはありません。ちなみに最終回の講義映像の先生の最後の言葉は「お疲れ様でしたー。レポートはありませーん」でした。
 
眩しい・・・もう神・・・
 
以上、真の受賞理由は最後だけだったんじゃないか?と迫られましても困りますが、仮にレポートがあったとしても充実の内容でした。ちなみに伊勢崎先生は(当時の)必修科目「人間科学基礎実習」においてはエグい量のレポートを課してきましたので、自分がサボるためとか人気取りとかそういうことをする先生ではありません。なにより冷静に考えると、毎週の小テストで書いた文字数を合計するとレポート2本分くらいになりますので。
 
以上、グランプリ2作品の発表で・・・
 
え、まだちょっとだけいけそう?
 
であるなら、もう一科目紹介いたしましょう。
 
まあつまり、グランプリも受賞科目も甲乙とかつけようがないんですわ。察してください。
 
 
・グランプリ Mark III:緩和医療(与野先生(仮名))
受賞理由:これぞ大学の講義
 
文化人類学、心理学という人文科学の巨頭をご紹介しましたが、やはり人間科学部の基幹は福祉系の学科にあるといえます。筆者は指向性の違いからその恩恵にあまりあやかることがなかったのですが、それでもこの科目をスルーすることはできませんでした。あの「医療」という領域がパラダイムシフトを余儀なくされる領域、緩和医療学のお話です。
 
・医学博士による膨大な情報量
W大人間科学部は医学部ではないのですが、与野先生(仮名)は歴とした医学博士、つまりお医者様です。専門科目では他にも医学やその近接領域を扱うものが多々ありますが、この「緩和医療」はその中でも異色の領域と思われます。第1回講義の冒頭、挨拶もそこそこに、与野先生の少し早めの口調による講義が始まりました。そのテンションは、全15回の講義の最後まで一度たりとも緩むことはありませんでした。講義内でのスライドって何枚あったんだろう。お医者様ってこんなに勉強しなきゃいけないんだな・・・。膨大な情報量に戦慄を覚えつつ、お医者様の見方も変わりました。
 
・リスクコミュニケーションを考えるために
講義内容としては、緩和医療に関するトピックの他、前述した「リスク心理学」とほぼ同じ話もありました。他にもフェールセーフなど、内容全てが今まで知らなかったことではありません。しかし繰り返しになりますが、情報量が多いこと多いこと。五感をすべて働かせて、なお今週の講義を理解できたのか未だに自信がありません。しかし、筆者がなんとなく抱いていた「大学の講義」のイメージは、この科目が一番近いと思います。受講の前と後で受講生のいる世界は変わり、その影響は受講が終わってからも続くのです。
 
・物語(ナラティブ)の力で新しい時代の幸せを求める
この講義の結論的部分だけを取り出すと、緩和医療において重要なのは治療そのものだけではなく、患者や家族、医者や関係者すべてが共有・受容できる「物語(ナラティブ)」を構成すること、物語が持つ大きい力によって、新しい時代に相応しい幸せや安らぎを得ることができるのではないか。という趣旨です。しかしこの結論だけを取り出しても、小説の裏表紙のあらすじを読んだようなものであまり意味はないのです。正直、このテーマを短くまとめることは筆者には無理です。先生でも難しいのに、できるわけがないのです。しかしもし「たった1科目だけ人に受講させることができるとしたら」という問いがあれば、筆者はおそらくこの科目を選ぶと思います。
 
・偉人、目白コーチ
そしてこの科目で最も驚いたのは、目白コーチ(仮名)の誠実な運営でした。素人から心得者までまさに玉石混淆のBBSで、実に丁寧にコメントを返し続け、筆者も何度も理解を助けられました。その目白コーチから、講義中盤にある提案がなされました。
 
「講義スライド、ご所望の方は印刷してお送りします」
 
実はeスクールの講義スライドは、pdf資料として配布されることもあれば、教員の意向や権利関係などから「映像のみで無配布」ということもあります。この講義も著作権などの事情もあってスライドがそのまま配布されることがなかったと記憶していますが、それを案じた目白コーチが紙での郵送を提案してくれました(当時から学校の授業における紙での複製資料配付は合法)。板書に疲弊していた筆者は脊髄反射的に「ください!」とメールし、そのメールを送ったこと自体を忘れていました。
 
講義が終わり、秋学期が始まり、それもだいぶ進んだ頃だったと思います。eスクールから、入学時の資料並みに分厚い茶封筒が届きました。おそるおそる封を開けると、そこには緩和医療のスライドが印刷された資料の束が。
 
そんなに時間かかってたの!????
 
筆者は驚き以上に申し訳なさで一杯になりました。むしろ恐ろしさを覚えたほどでした。もう成績は確定しているのに。そもそも印刷を依頼した本人もそのことを忘れていたのに。スライドも最初は両面印刷であったのが、手間が掛かり過ぎたのか早々に片面印刷仕様となって、それもあって枚数がかなりのものになっていました。A4の4分割タイル印刷で分厚いのですから、総数は結局未だに数えていません。
 
この資料は捨てられない。道義的に!!
 
そしてその時は受講に一生懸命で思い至る余裕がありませんでしたが、これだけのボリュームを講義に持ち込んだ与野先生もまた聖人です。職業柄、色々と言われることが少なくないお医者様ですが、少なくとも与野先生と目白コーチ、お二方の心の基礎は誠実さだけで構成されていることでしょう。なお蛇足ですが、与野先生が隔年で開講されている「死生学」も同様のボリュームで、オススメです。
 
 
以上、私選、第1回eスクール科目アワードのお時間でした。それではまた、来世でお会いしましょう!
 

結局、楽単ってどれ?

 
これだけ紹介してなお、表題を忘れていない読者がいらっしゃるとしたら、なかなかしぶとくなってきたじゃいか・・・と目を細めるところですが、アワードで取り上げた科目について、少なくとも負荷的には全て大変です。まあまあ最後まで読んでおくんなまし。それではさすがにタイトル詐欺なので、まとめとして「科目登録のコツ」を書き添えたいと思います。
 
・科目登録のコツその1:遠い将来まで想定する
科目登録というとどうしてもその学期だけの履修計画を考えがちです。しかしほとんどの科目の場合、翌年も同じ形で開講されるため、「来期に回す」というのはアリな選択肢です。バーチャル時間割作戦とも似ていますが、これは初回コラムで書いた「科目登録会」において教わったテクニックで、あるいは一般的な作戦かもしれません。加えてその時に先輩からいただいた履修計画Excelシートはかなり良い出来で、最後までフル活用しました。特にこのシート作成者には御礼申し上げたいところです。
 
ちなみに履修計画のコツは、計画変更を恐れないことです。実際、レベル1で「レベル4には受講したいな~」と思っていた科目の中で実際にその時期に履修した科目はほとんどなく、ある科目は前倒しで、ある科目はいつの間にか履修を忘れてしまっていたということもありました。これは気分の変化もありますが、新年度で新規科目が登場する、あるいは担当教員が退職されるという事情もありました。特に退職による科目廃止は、直接的に調べることは難しいのですが、ゼミの受け入れ(前回参照)が行われているかどうかで間接的に推測することが可能です。
 
・科目登録のコツその2:科目テーマに連続性を持たせる
同じ学期にたくさんの科目を履修する場合、全く異なるジャンルの科目を揃えるよりは似た科目を複数揃える方が楽であるというお話です。そりゃまあ当然で、どんな専門用語でも違うシチュエーションで二度三度とお目に掛かると「それ聞いたことあるわ~(喜)」となります。極論すれば、快適な学習のコツは「自分が興味を持つ状態を維持すること」ですから、新鮮な状況が付随した既知の情報の提示というのはそれに大きな貢献を果たします。
 
ただし重要なこととして、重なりすぎていると飽きるということがあります。科目でいえばほとんど同じ内容を何度も繰り返し聞く形を作ってしまうと、「それも聞いたことあるわ~(落胆)」とテンションが下がってしまうのです。そのためあまり「同じ領域をくっつけねば!」と意地にならず、たまに接点が生じるかな?という程度の重なり方を目指すとよいでしょう。
 
・科目登録のコツその3:ホームの領域を見つけておく(履修前の段階で)
これまで何度も語ってきたように、人間科学で取り扱う領域は広範です。しかしだからといって、既存の専門領域すべてを同じスピード、同じ濃度で理解することは困難です。この現実への手っ取り早い解決方法として、入学前からホームと呼べる領域を想定し、その視座に基づいて他領域の学習に取り組む方策をオススメします。実際に専門家レベルである必要はありません。まずは「このジャンルは好きだな」くらいの思い入れでよいと思います。
 
ホームの設定によって、他領域との距離感が明確になります。それぞれの領域にはそれぞれの価値観があり、時にぶつかり合うという状況も生じます。歴史学と文化人類学はその好例かもしれません。そうした衝突点に遭遇したとき、あなたとあなたのホームはどちら寄りの立場(あるいは第三の立場)であるのかを知ることができれば、その領域がどちらかというと敵か味方かがはっきりしてきます。もちろん、この思索がゼミ選択に大きな影響を与えることは言うまでもありません。
 
そしてもうひとつ、ホームは移してもよいものです。入学時は○○領域が好きだったけれど、学んでいく内に△△領域の方がおもしろそうだ、となれば、それは引っ越しの合図かもしれません。一方、ホームの数についてですが、個人的には1つのみ設定することをオススメします。才人ならホームを2つ3つと増やせるのかもしれませんが、それも大元の1つを確立してから踏み込んだ方がよいでしょう。
 

結局、楽単にするもしないもあなた次第

 
W大では「マイルストーン」という、大学のすべての科目に関する短いレビューが掲載された非公式本が毎年刊行されています。そこに書かれている内容に間違いは少ない・・・のかもしれませんが、それがあなたの履修満足度、キャンパスライフの向上に貢献するかというと、必ずしもそうとはいえないことは踏まえなければなりません。加えてeスクールは通学と全く異なる講義システムを採用しているケースが多いため、実際「マイルストーン」の情報はほとんど宛になりません。第一、違うものなんだから、宛にする方がおかしいのです。
 
ただし科目を楽単とする下準備を自分で行うために、その材料としてマイルストーンのような情報誌を活用することはアリかもしれません。大事なのは結局、自分でしっかりと決めることなのです。大学生活を楽に、楽しいものにしようと思うのであれば、最小限の労力で手近な情報に流されるのではなく、何が最適解か?の解明に全力を尽くすのが、学生に求められる姿勢ではないでしょうか。
 
そうした工夫の末に履修した科目は、少なくともあなたにとって楽単となる可能性は高くなります。一人で戦い続けられる余地も、少しずつ増えてきます。人間、切羽詰まったときには一人にならないことが鉄則ですが、学び取ろうという意気が少しでもある状況であれば、むしろどれだけ一人で決められるかがその後のベネフィットを決めるのではないでしょうか。
 
 
次回、せっかくゼミに入ったので、eスクール生のゼミ生活について触れていこうと思います。