いんせい!! #05 キャンパス!!

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遠い遠いと言われながら、大学創立100周年を記念して造られた壮大なキャンパスに、忘れられた物など・・・あったみたいです。
 

#05 キャンパス!!

 
都の西北・所沢の杜にそびえ立つのは、早稲田大学所沢キャンパス、通称「とこキャン」。建築界の巨匠・池原義郎先生の設計によって、狭山湖畔の自然豊かなエリアに純白の建造物群が姿を現したのは、時代の大きな転換点を間近に控えた1987年でした。とこキャンは当初こそ人間科学部単独のキャンパスでしたが、2003年には人間科学部からスポーツ科学部が分離し、現在は2学部(人間科学部・スポーツ科学部)を抱えるに至っています。
 
本線の話題が徐々にダウナーになってきたこともありますので、とこキャンの各種施設、さらには周辺エリアの仮面ライダーロケ地などについてつらつらと書いていくことにいたします。
 

とこキャンの魅力に迫る!! 

 
とこキャン創設当初からの心臓部にして、現在でも学部、並びに研究科の主要施設が集中しているのが「100号館」と呼ばれる建物です。100というキリの良い数字は、とこキャンが大学創設100周年プロジェクトであったことによるもののようですが、実は大学の全てのキャンパスでの通し番号ともなっています。せっかくなので全キャンパスの大まかな付番規則について書いてみますと
 
1~29 早稲田キャンパス(本キャン)
30~39 戸山キャンパス
40~ 喜久井町キャンパス 他
50   先端生命医科学センター(TWins)
51~66 西早稲田キャンパス
70~74 上石神井キャンパス(高等学院)
75   東伏見キャンパス 他
80   上井草グラウンド
82~  セミナーハウス 他
90~94 本庄キャンパス
95~98 本庄高等学院
99   STEP21(早稲田)
100~110 所沢キャンパス
120・121 研究開発センター(早稲田)
201   日本橋キャンパス、北九州キャンパス

 

あれ、思っていたより綺麗に揃ってなかったですね。欠番のところは調べがついていないだけで、もしかしたら該当の建物があるかもしれません。情報をご存じの方よろしければ教えてください。我らがとこキャンの付番は100を先頭に、そうそうたる都心のメインキャンパスから受け継がれた通し番号リレーの大トリを務めています。くれぐれも育成選手の背番号っぽいとか言わないであげてください。

 
さて、100号館の簡単に構造を説明しますと、縦8層・横8ゾーンに分かれています。そりゃどんなビルでも縦横に切ればそれくらいのことになるでしょと仰る方も多いかと思いますが、なんというかその、全部のゾーンにすべての層があるわけじゃないのです。
 
 
例えばAゾーンは0階から3階、Cゾーンは3階から7階と、斜面に沿うように建てられているがために地上階や存在する階がゾーンによって異なるのです。いやはや申し訳ない、分かりづらくなっちゃったかもしれませんが、分かりづらい建物なのでこれ以上の説明は無理です。もし100号館で行きたい場所がありましたら、まず行きたい施設のあるゾーン(A~G・S)を確認して、何階でもいいのでそのゾーンまでたどり着くようにしましょう。言い換えれば、同じ階にたどり着いても違うゾーンに居てしまった場合、目的の場所にすんなり行けないかもしれないのです。
 
もうちょっとだけ分かりやすく説明しますと、目的地の施設がある階数に到達してしかも目の前に目的地が見えるのに、直線的に繋いでくれている廊下がない場合があるということです。筆者もどうにか効率よく移動できないかと頭を悩ませましたが、そもそも移動するような用事を作らなければよい、という結論に到達しました。
 
 
 
時代が経過し、さすがに100号館だけでは手狭になったのか、2009年には新たな教室棟「101号館」が建設されました。今度は100号館の反省を生かしたのでしょうか、これでもかというほど、特に取り上げる部分が思いつかないほど中身はシンプル&スタイリッシュな構造となっています。写真は2015年1月、eスクールの口頭試問が行われた際に一応撮影しておいたもので、それくらいしか写真にも残していない(ほど優秀な)建物ということです。
 
 
敷地内にはこのほか、あの壮絶なソフトボールスクーリングが行われた野球場、更には長水路を備えたアクアアリーナや陸上競技場があります。
 
 
あとは森です。
 
 
森です。
 
 
まあこのような感じで、大学教育を遂行するための施設に加えて雄大な森が充実しているという、目や耳や心肺機能にはとても優しいキャンパスとなっています。外国にあっても引けを取らないかもしれない地球規模スケールなキャンパスに、しかし大きく欠けているものがあることに、訪れた方のほとんどは気づいてしまうと思います。それは交通アクセス、特に、最寄りの鉄道駅からのアクセスです。
 
現状での最寄り駅は西武池袋線の小手指駅、それもバスで15分、実際はしょっちゅう道が渋滞するのでそれ以上に感じさせるほどの距離があります。15分という数字も徒歩ならまだ珍しくないレベルですが、文明の利器を駆使してなおこの数字ですから、どう転んでも徒歩圏内ではないわけです。ちなみに補足しますと、キャンパスの隣には埼玉県立芸術総合高校があり、仮に相応の交通網ストックがあったとしてもそこそこの需要が見込まれます。それなのに、だのになぜ、とこキャンには「最寄り駅」がないのでしょうか。
 
この謎について筆者は、大学教員やタクシー運転手などへのそれとないヒアリングを重ね、とこキャン周囲で囁かれている路線計画の噂の洗い出しを試みました。その結果、流布されている噂は、主なところで3パターン存在していることが判明しました。
 
・西武球場前から線路が延びてくる
・レオライナーが延びてくる
・モノレールが延びてくる
 
今回はこの3つの噂の根拠となっているらしい計画の有無について、加えて想定されるルートやその実現性について、主に鉄道計画に関する記録から考察してみることにいたします。
 

所沢キャンパスの忘れ物、鉄道アクセスを見つける

 
 
まずおさらいで、上図がとこキャンと狭山丘陵、そしてその周辺の鉄道網です。いやしかしなんともはや、これだけ高密度に鉄道が敷かれた地域にありながら、よくもまあ奇跡的になんにもない場所に建てちまったものですよ。しかし「なにもない」ということは、過去に何らかの計画や構想があったものの実現しないまま今に至っている、ということもあり得る話です。
 

延伸都市伝説その1「西武球場前から線路が延びてくる」

 
結論から言いますと、この伝説の根拠となっていそうな計画が、かつて確かに存在していました。今の池袋線(明るい水色)を敷設した武蔵野鉄道は、所沢と飯能を結ぶ路線に加え、所沢と青梅を結ぶ「狭山線」を計画していました。今の西武狭山線(西所沢~西武球場前)はその先駆けといえる区間で、当初の計画ルートと思しきルート上には、現在も県道179号所沢青梅線が存在しています。
 
ただしこの青梅行き計画(=狭山線の目的)は、かなり早い段階にて、「狭山湖(山口貯水池)観光へのアクセス鉄道」に振り替えられてしまいました。現存する狭山線が開業したのが昭和4年、その後に鉄道会社の合併やレジャー開発もあり、当初の狭山線延伸構想は早々と忘れ去られてしまったようです。実際に、西武球場前駅の線路が南側を向いていることからも、西側(青梅側)に延伸する意志が現実の狭山線には希薄であったことが伺えます。
 
 
しかしとこキャンが構想(立地の正式決定は1981年5月)されたであろう昭和40~50年代、西武鉄道は大将(堤康次郎氏)の大号令の元、沿線各所での大規模な観光地開発に情熱を注いでいました。特に、西武ライオンズの誘致や西武球場の開発など、いわゆる西武園周辺の開発には多大な心血を注いでいたことが伺われます。この過程において、狭山湖・多摩湖周辺の路線網を合理的に再編するなどの動きがあったことは、想像の範囲ですが大いに考えられるところです。
 
例えば上図のように、多摩湖線か西武園線(青色)を西武球場前駅に乗り入れさせる、そしてそのまま路線を延ばしてとこキャン方面更には小手指方面に延伸する・・・という青写真を大将が描いていなかったとは言い切れません。ルートとしても、秩父の山にトンネルをぶち抜いた西武鉄道ですから、例えば狭山湖にアーチを架けて湖畔全体を観光地化することだって「できる」となれば踏み切った可能性はあるでしょう。もちろんこうした推測は妄想の域を出ないものですが、あらゆる空想を実現にこぎ着けてしまう進取の気性が当時の西武鉄道にあり、それがとこキャンの位置選定に影響を及ぼした可能性を完全に否定することはできません。
 

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しかし妄想の是非の前に、仮にいずれの路線構想を今から実現させようとしてもほぼ不可能であることもまた指摘しなければなりません。それは1960年代以降に本格化した、狭山丘陵の環境保全を主張した自治体や市民団体(地域住民)による自然保護活動です。資料によりますと、沿線のレジャー&宅地開発に邁進していた時の西武鉄道に対する風当たりは強く、1990年代には「トトロの森」に代表されるナショナルトラスト運動の典型例として注目を浴びるようになりました。個人的にも里山好き、子供のころに観たあの映画の情景を昔の話と思えなかった感覚の人間なので、地域の方々の願いは大いに理解できます。
 
また元々狭山湖は「山口貯水池」、多摩湖は「村山貯水池」というのが正式名称で、簡単に言うとダムです。そしてそんなダムをレジャー施設化しようと他ならぬ西武鉄道が名付けた名称が狭山湖・多摩湖であり、市民団体による環境保全の願いが沸き起こる前から、ダムを管理する西武と都水道局との間にも何らかの緊張関係が内在していたことも想像されます。あれ、狭山湖は埼玉県に乗っかってるのにその水は東京都水道局の管理なんだ・・・と思いましたが、それは今回は追及しないことにします。
  

延伸都市伝説その2「レオライナーが延びてくる」

 
「レオライナー」、正式には西武山口線(赤色)という名前を持つ、多摩湖の畔を可愛げに走る新交通システムです。多摩湖線多摩湖駅(2020年まで「西武遊園地駅」)から西武園ゆうえんちを経由し、西武球場前に至るということで、西武ドームに足繁く通われている方はよく見かける路線かと思います。この西武山口線、元々は周辺観光施設を結ぶ軽便鉄道「おとぎ線」でしたが、昭和27年に西武鉄道は普通の鉄道としての免許を申請しました。喩えとして適切か自信がないですが、ウエスタンリバー鉄道が何を思ったかガチの鉄道に鞍替えし、舞浜駅まで延伸した挙げ句PASMOが使えるようになった的な話です。鉄道昇格後しばらくはSLブームの火付け役として観光輸送に徹していましたが、西武ライオンズ誘致(西武球場建設)に合わせ、西武鉄道は山口線を「新交通システム」に改造することを決断しました。かくして山口線は、多摩湖駅(西武遊園地駅)~西武球場前駅を結ぶレオライナーとして生まれ変わり、現在に至っています。
 
この路線の特徴は、まず見た目にも分かるように小ぶりであること、そのため線形の自由度が高いことがあります。レオライナー建設時は都市伝説その1で書いたように、大将が狭山湖開発をあきらめていなかったかもしれない時期ですから、レオライナーが狭山湖・多摩湖沿岸を巡るという野望を抱いていた可能性をあながち否定できません。しかし、やはり相手が自治体・市民団体・都水道局というのは、いくらなんでも分が悪すぎます。かくしてレオライナーが延伸するという計画も、あったかもしれないけれど、それが実現する可能性は当初からゼロに近かったと言わざるを得ません。
 
ちなみに西武のレジャー計画に関して調べていきますと、孫引きの記事からの情報となりますが、昭和30年代には奥多摩の小河内ダムで大規模開発計画を立案していたことが判明しています。そのビジョンを狭山丘陵に取り入れようとしていたかは分かりませんが、「ダム(湖)&レジャー」といパッケージは、時の西武にとって重要なキーワードであったと考えられます。結果として小河内ダム開発計画は頓挫し、狭山丘陵開発構想も徐々にトーンダウンを余儀なくされ、その過程において狭山丘陵にて遊んでいた土地をまとまって引き取ってくれる相手が早稲田大学だったというわけです。実はヒアリングにて「早大は『いずれ線路を延ばすので所沢にキャンパスを』と西武側に打診された」という情報が複数出てきていましたが、これはとこキャンの半分近くの土地の前の地主が西武鉄道であったという事実と状況証拠から尾ひれがついた、あるいはかなり水面下での真相に近いものだったのかもしれません。
 

延伸都市伝説その3「モノレールが延びてくる」

 
狭山丘陵に向かって延びている路線は、なにも西武線だけではなく、上図オレンジ色で示した「多摩モノレール(多摩都市モノレール)」もあります。多摩モノレールとはその名の通り多摩地域を縦に結ぶ路線で、主に多摩・八王子・日野・立川・東大和という、隣り合っているイメージが対外的にはあまりないように思える各市民らに重宝されている路線です。モノレールの現在の北限:上北台駅は、立川市と東大和市を結ぶ「芋窪街道」の真上に敷設されており、そのルートをそのまま北に伸ばすと西武球場前駅に到達することが分かります。新交通システム同様、モノレールも線形の自由度が高い路線形式ですから、そこから更にとこキャンや小手指方面に伸ばすことも不可能ではないように思えます。
 
しかしここには、都境(県境)という壁、更にはまたしても市民団体・都水道局という壁が立ちふさがります。まず、多摩都市モノレールは東京都と周辺自治体や企業が出資している第三セクターであり、よって路線も東京都内で完結しています。西武球場前駅やとこキャン、小手指方面への延伸は埼玉県議会でも質問がなされる程度に埼玉県側も注目しているようですが、最低でも埼玉県側の運営を担うモノレール会社の用立てが必要でしょう。
 
そしてなにより、構想ルートの実現には、保全された狭山丘陵の開発とおそらく多摩湖(村山貯水池)の堤体への大規模工事を避けることができません。いくら自治体運営の交通機関が相手でも、数十年来の闘争を勝ち抜いてきたアグレッシブな市民団体が、この構想を簡単に許すとは思えません。ダムの方も割と最近になって堤体の大規模補強工事を行っていますから、補強のついでにモノレール橋脚用の基礎も埋め込んじゃっときますねーほら使わないのもったいなくないですか?、という準備工事やっときました作戦も難しそうです。
 

それでもとこキャンに鉄道を乗り入れさせるなら

 
以上、囁かれていた都市伝説はいずれも根拠っぽい歴史や情報があったものの、森や貯水池に触れているがために実現性は限りなくゼロといえるものでした。というかとこキャンの土地取得に関する経緯と都市伝説が真実とするならば、大将にまんまと一杯食わされた、という感想しか出てこないのですがそれはここでは考えないことにします。さてここで考えを改めるとすれば、森や貯水池を回避する、つまりそちらを介さないというのはどうでしょうか。もっと直接的にとこキャンに乗り入れるような、いっそとこキャンのためにしか存在しないような、そのような路線を敷くことはできないのでしょうか。
 
できます。言うだけなら、なんとでも言えます。それはズバリ、小手指駅から新たに支線を敷設し、とこキャンまで線路を引っ張るという全く新しい構想です。元々小手指駅には車庫がある関係もあって、始発・終着列車が数多く設定されているため、それをそのまま延長運転することができそうなのも追い風です。先祖代々受け継がれた大切な茶畑や森や家屋敷を踏みにじられる地域住民の皆様の慚愧の念を一切無視して工事を強行し、弾力的な運用が可能な最低限の設備を取り入れるとなると、このような路線が考えられます。
 
 
小手指駅からとこキャンまで、想定される路線の長さはおよそ4km、と見積もられます。仮に全区間が単線でも、中間地点(2km)に上下線電車の交換を可能とする駅を設置することで、最短10分間隔のダイヤを実現できます。
 
 
続いて、とこキャン駅をキャンパス内のどこに作るか、その候補地を考えてみましょう。小手指止まりの電車が来ることを考えると、10両編成が停車可能な有効長、つまり210mはホームが欲しいところです。一方、できることであれば、ホームの用地は大学の敷地内であった方が土地代も掛からないので有利です。200m程度の長さがあり、敷地内で、各建物へのアクセスも良さそうな場所・・・
 
 
ややっ、この北門駐車場と呼ばれている場所など、うってつけではありませぬか。
 
 
かくして、とこキャン駅の位置と、主な建物との位置関係が決まりました。最も利用頻度の高い100号館、平面図でも偏屈そうな形をしている建物へは、体育館脇に整備可能な専用通路を介して2~3分といったところでしょうか。小手指駅からとこキャン駅までの所要時間を5分とすると、直通急行を運行した場合、なんと池袋駅から最速36分となります。
 
もしも、池袋発午前10時ちょうどにこの直通急行が設定されれば、2時限の開始時刻(10:40)にギリギリ間に合ってしまうのです。今この時間帯の電車に乗り込む多くのとこキャン生が、熱が出ましただの眩暈がしますだの目覚ましをかけ忘れましただのとどうにかして遅刻の言い訳をひねり出そうと考えあぐねている車内の雰囲気は、ギリギリ間に合うかもしれないという希望に満ち溢れたものに変わるのです。
 
ただ採算面で言いますと全長4kmの高架新線を建設する場合、他地域の施工事例などから推測するに、どう低く見積もっても300億円は必要となります。ちなみにとこキャンの建設費用は80億円、その後の建て増し分を合算して総額150億円としたとしても、更にその2倍の費用が路線建設にかかることになります。営業係数とか野暮な話です。心ある篤志家の皆さま、お志のほどなにとぞよろしくお願いいたします。
 

足を踏み入れられれば最高の場所 所沢キャンパス

 
所沢キャンパス(とこキャン)。100号館を少しずつ引っ張って都心に寄せていこう、などというサークルの存在を許す程度には僻地感のある立地にして、W大キャンパス群の中でも屈指のユートピアがそこにあります。筆者が田舎者だからということもありますが、都心近郊では珍しいほどの大自然の存在が、キャンパスでの居心地を素晴らしいものとしてくれています。またそれにより人口密度も建物の密度も低く、何かにつけて余裕があります。大将は美味しい一杯を食わせてくれたのです。なにより世界の総合大学のキャンパスを見てみると、「街ごと」というスケールのものがザラにあるのですから、こちらの方が本来の大学とも言えるのかもしれません。都心から1時間程度の移動によって、こんな最高の環境で勉学と研究に励める学生や院生は、かなりの幸せ者じゃないでしょうか。
 
そういうことで、みんな一度はおいでよ、とこキャンに。
 
 
 
参考
広岡友紀:西武鉄道まるごと探見
鉄道ピクトリアル2013年12月増刊号「西武鉄道」
おもしろなんでも雑学(公式):「多摩湖」「狭山湖」は西武鉄道がつけた名前!【4/5は多摩湖鉄道開業日】
埼玉県議会:都営地下鉄大江戸線及び多摩都市モノレールの延伸について
早稲田大学百年史:第五巻第十二編第三章 第二世紀に向って
早稲田ウィークリー:幻の新学部【第3回】人間環境学部:人間科学部を結実させた新領域
高木陽光(2010)東京近郊における緑地空間の保全と利用-狭山丘陵を事例に-,比較都市史研究, 29(1), pp31-51
エンタメ!東京ふしぎ探検隊「西武鉄道、幻の奥多摩開発『第二の箱根に』」
 
地図:地理院地図
 
 
(序盤の予告と本編の内容を一部変更してお送りいたしました)
(考察の内容は新たな史料・証言によって変更する可能性があります)
 
 
(初出:2021/01/15)