狭い路地の向こう側に何があるのかが気になって、その先を覗いてみたことがある人は多いはずです。そんな純朴な思いをいつまでも忘れることができない一部の人は、いい大人になってもその先を目指してしまうのでしょう。たとえそのフィールドが画面の中でも、地下道の中でも、世界の街のどこかでも。
#15 夏季集中!!
上野先生サバティカルイヤーによって筆者の履修計画がやや苦しいものとなったことは示しましたが、それによって様々な科目を履修するチャンスが巡ってきたのも事実でした。
再々度の掲載となりますが、科目群一覧を示しますと
研究指導修士論文必修専門ゼミ(1) 最低4単位(A・B)必修専門ゼミ(2) 最低4単位(A・B)選択専門ゼミ(1) 選択★選択専門ゼミ(2) 選択★専門科目A群 最低2単位★専門科目B群 最低2単位★プロジェクト科目 最低1単位★リテラシー科目(英語) 最低1単位★リテラシー科目(基礎) 選択★他箇所設置科目 選択※★がついた科目群を合計して最低12単位※全科目中オンデマンド科目は上限15単位(いずれも2015年時点)
この中で★がついている科目群をいかに効率よく履修するかが、すんなりとした修了の可否を決めることが分かります。専門科目については、A群B群って何?と思いつつもある程度予測が立ちそうなものですが、注目すべきはその下です。
プロジェクト科目リテラシー科目(英語)リテラシー科目(基礎)
このよくわからん科目群からどれだけ単位を取得できるかが、単位充足の決め手となりそうな予感です。
リテラシー科目(英語):中級 or 上級 ANATA WA DOTCH?
英語科目そのものについて、特段説明の必要はないでしょう。英語です。技能ごとに細分すると「リーディング」「ライティング」「リスニング」「スピーキング」と4種類に分けられるというのも、おそらく常識の範疇です。よって英語科目も、以下のようなラインナップとなっていました。
Reading for Academic Purposes 中級(1単位)Reading for Academic Purposes 上級(1単位)Writing for Academic Purposes 中級(1単位)Writing for Academic Purposes 上級(1単位)Oral Presentation for Academic Purposes 中級(1単位)Oral Presentation for Academic Purposes 上級(1単位)
長ったらしいですけど要は「リーディング」「ライティング」「スピーキング」の大学院版です。「リスニング」はどっかいきました。それより気になるのが中級・上級の分類ですが、こちらは実は入学前に受験していたTOEICスコアが判断材料となっていました。つまりそのスコアによって中級か上級かが指定され、いずれにしても院生たるものどれか最低1科目は単位を取得しなければならないというわけです。
ここでちょっと戦略的なことを説明しなければなりません。最低1科目必須ということは、1科目だけ取っちゃえばそれでいいとも言えます。しかしその1科目を選択するにあたって、ReadingかWritingかOralかは選べても、中級か上級かを自ら選ぶことはできないのです。中級か上級のどちらが易しいかは、日本語の問題ですから簡単ですね。つまり中級に割り振られるようにTOEICを・・・
いくらなんでも志が低すぎるのではないですか、特進クラスに相当する学力を持ちながら普通クラスのテストを一人だけ受験して偏差値80取った!とか言っちゃうのは楽しいですか、といったお叱りが聞こえてきそうですが、これは単位を取るか取られるかの話、シビアにいかなければならないのです。しかし確かに、大学院に通っていて手心を加えるというか、セルフ八百長なんてもったいない話です。やはりここは全力でTOEICを受験して、堂々たるスコアを叩き出そうじゃありませんか。大学院生としての矜持が問われる自問自答を見事にくぐり抜けて受験し、筆者は中級に割り振られました。割り振られちゃったものはしょうがない。かたじけない。
結局筆者は「Reading for~」「Writing for~」2科目を履修し、楽しく2単位を取得することができました。恥ずかしながら、中級で丁度良い湯加減でした。「Oral Presentation for~」は日程が合わず断念しましたが、でももう正直お腹いっぱいでした。日本語サイコー。日本語さえできていれば大丈夫だといえないこともなくはない。
残すは2つの科目群です。しかし「群」と書きましたが、リテラシー科目(基礎)に該当する科目は、筆者在学時はただ1科目のみが指定されていました。
リテラシー科目(基礎):多変量解析論(仮名)(2単位)
これは科目群の名付け方も良くないと思うのですが、この学部において「基礎」とは「統計の基礎」を意味するようです。よって統計の基礎を学べる科目のみが「リテラシー科目(基礎)」となるわけで、しかし大学院レベルで開講する必要がある統計のテーマは多変量解析しかない・・・ということだったのでしょう。正直なところ全然そんなわけないのですが。
さて、皆さんは「多変量解析」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。なんかこう曲線がグチャグチャっとなってるグラフとか、とにかく複雑な表とかが出てきて何言ってるかわからん、というイメージを思い浮かべられた方は大正解です。正確には正解か不正解かはどうでもよく、仮にそれが何なのか全然分からないというまっさらな状態でも、この科目では初歩、というか初手である平均やら分散やら標準偏差の説明を経てあれよあれよという間にSEM(共分散構造分析)まで丁寧に教えてくれます。4日間で。
誤植ではありません。4日間です。この「多変量解析論」は夏季休暇(夏休み)中に集中的に開講される科目で、1日4コマ、連続4日間で合計15コマ(2単位)分の講義を一気にぶち込まれます。企業の研修か。わしゃいつの間にかどこかの企業に就職してたんか。
この科目を担当する伊豆多賀先生(仮名)は非常にエネルギッシュで、寝るとか挫けるとか駄々をこねるという隙を一切与えてくれません。統計学といえば学部時代、松井田先生(仮名)の「統計学」シリーズには死にかかるほどお世話になりましたが、伊豆多賀先生も松井田先生に勝るとも劣らない熱量をその全身からほとばしらせていました。統計学って体育会系なんですね。伊豆多賀先生もきっと何か特殊な訓練を経ているに違いないです。なにしろ4コマ連続で4日間話してて、全然声が嗄れないのですから。
熱いぜ多変量。研究の道で勝ち残るには、多変量解析の習得をを心から希求し、ゆくゆくは正しい結論を導けるような研究者に成長しなければならないのです。
初回講義から3日後の最終日。心の中で泣きながらテストを終えて、筆者の手元には統計学シリーズに次ぐ血染めの、もとい永久保存版の学習ノートが残されました。
ちなみにこの科目が開講される教室は「端末室」と呼ばれる、とこキャン100号館のどん詰まりにして、いかにも日の光を浴びてなさそうなプログラマーが潜伏していそうな空間でした。科目開講時は別として、通常は学生の誰もが利用することができます。そして端末室に設置されているデスクトップパソコン(Win)の中にはRやSPSSやJMPといった統計ツールがプリインストールされており、もちろん使い放題ですので非常にお得です。正直持って帰りたい。通学生はもちろんeスクール生も利用可能ですので、学生の皆さまぜひふるってご活用ください。
と、ここでもっと説明すべきな事柄は、講義の内容と共に「夏季休暇中に集中的に開講される科目」という謎開講形態ではないかと、ここまで書いて気がついてしまいました。実はリテラシー科目(英語)でも実装されているのですが、W大では夏季休暇期間中に集中的に開講される科目に「夏季集中科目」なるそのまんまな総称を授け、意外なほど分厚いラインナップを実現しています。
これは例えば、夏休みの一時期しかまとまった休みを取れない社会人、あるいは学期中はゼミと研究活動が忙しくて通常開講の科目を履修できない院生への配慮、という意味合いが考えられます。加えて通常の学期中は他の大学で教鞭を執っている先生を招聘しやすく、事実、伊豆多賀先生の真の姿は中国地方の大学の教員とのことでした。中国地方て。筆者の通学距離(108km)も結構なもんだと思っていましたが、上には上がいるものですよ。
話を「夏季集中科目」に戻しますと、このイレギュラーな時期に開講される科目はもちろんリテラシー科目群だけではなく、一覧表に残された最後の謎、「プロジェクト科目」も多数設定されていました。
プロジェクト科目「福祉の視点から見た環境づくり」(2単位)
やたら長い科目名が気になりますが、まずは「プロジェクト科目」の意味についておさらいします。早稲田大学人間科学研究科が公表しているカリキュラム・ポリシーによると、プロジェクト科目とは「インターディシプリナリー(学際的の意、筆者注)な研究への関心や実践性を高めるプログラム」ということです。
・・・いや、元々学際的な視点でカリキュラム組んでたのでは?と素朴な疑問が脳裏をよぎりましたが、そういうのを重層的に学べるプログラムということでしょう。実際「プロジェクト科目」の一覧をシラバスにて眺めてみると、ほとんどの科目は担当教員が複数、それも4名やら5名居るという状況でした。指導方そんなに居て大丈夫なのかな。まあ合宿じゃないから大丈夫か。例外はありますが、同じ研究領域の先生方が相乗りしている科目が多いようです。
そんなプロジェクト科目ですが、開講時期が通常学期内に収まっているものもあれば、先述の通り、夏休みあるいは春休みにその時期を指定しているものもかなりありました。小見出しに挙げたプロジェクト科目も、夏休み(夏季集中科目)に指定されていた科目の一つでした。
シラバスの講義概要を、もうそのまま引用いたします。
高齢者住宅や施設、子どもの施設や遊び場について調査を行い、スウェーデンの大学・機関に最低三日間滞在し実習する見学や学生によるインタビューを行うが、現地での事象を理解することに留まらず、日本における「福祉の視点から見た物づくり」について再考する機会とする。参加する学生には、現地および国内において、関連する領域の教員・学生との討論の中でより専門性を深めることが求められる。(福祉の視点から見た環境づくり シラバスより引用)
ん?ちょっと待って。スウェーデン?三日間滞在?
そう、これがインターディシプリナリーとかいうやつですよ。
いざ北欧へ
大学院の講義たるもの、講義内容を学ぶフィールドがキャンパスでは足りないと教員が判断すれば、四の五の言わずに現地に行くべきであるという発想は正しい。たとえそれが地球の果てでも月の裏側でも、行って帰って来られるのならそれに越したことはない。
「ストックホルム、来ますか?」
こんな感じで上野先生から水を向けられたのは、確か筆者がM1の環境適応に苦悩していた春先だったと思う。その段階で履修計画に不安を覚えていた筆者は、いつぞやの合同ゼミのノリで「面白そうですね!」と答えてしまった。実際は科目履修に至るまでの数ヶ月間、科目の担当教員を交えたミーティング、費用の目処、日程の目処、パスポートの目処など着実にこなしていったため、割と前向きではあった。筆者にとっては17年ぶりの海外渡航となるのだが、せっかく大学院まで来たんだし・・・という興味の方が勝ってしまった。確かに単位も重要ではあったが、こんなことでもなければ海外に出ることはないんじゃないか、これは見聞を広げるチャンスだべ、と思っていたふしもある。
本プロジェクト科目のフィールドとなるストックホルム(Stockholm)市は、言わずと知れたスウェーデンの首都であり、日本ではノーベル賞の受賞者晩餐会が行われる都市としてよく知られている。そしてストックホルムを含めた北欧4カ国(ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、デンマーク)は「福祉先進国」と称されて久しいが、実際のところはどうなのか。それを確かめるには、やっぱ行ってみるしかないよね!というのがこの科目のテーマである。
担当教員はお馴染みの上野先生、藤沢先生の他、福祉を専門とされている片瀬白田先生(仮名)と伊豆北川先生(仮名)という重厚な陣容であった。言わば環境づくり(建築)と福祉の視点(福祉)の先生方の共演である。どうやらプロジェクト科目のスキームは相当に柔軟性があるようで、異なる領域の先生方でも意気投合すれば科目を設置できるとのことであった。
科目開始にあたり、合流場所はフリドヘムスプラン(Fridhemsplan)駅から徒歩数分の距離にあるホステルとされた。というのも筆者はまたしても社会人的都合により合流が遅れ、本来は参加者が時差調整や事前準備に費やす一日をパスすることになってしまった。17年ぶりと言いながら、なかなか命知らずな話である。
往復の航空チケットの調達については、トラベル子ちゃんなどでの自力検索を経て、結局JTB窓口に頼り切った。どうやら日本からストックホルムへの直行便は存在せず、隣国フィンランドのヘルシンキまで渡航の後に陸路移動か、ストックホルムへの直行便を持つ航空会社の乗り継ぎを駆使するかの二択となった。久々の海外、しかも単独移動とあって、欧州到着後に単独行動する距離は短い方が良いだろうという判断の下、乗り継ぎによるストックホルム入りを選択した。航空運賃や時刻、なんとなくの安全性などを考慮し、今回はタイ航空を選択した。成田を夕刻に発つ便で、まずはバンコクへ向かう。
バンコク・スワンナプーム国際空港の夜は帳がすっかり降りて、やや濃密な湿気だけが南国の陽気を伝えてくれた。荷物検査にて飲みかけのペットボトルを没収されつつ、だだっ広い空港の通路をひたすら歩いていた。勢いで飛び立つところまでは来たが、目的地ではない国の空港にトランジットとはいえ降り立つと、なかなか旅の目的を忘れてしまいそうになり、心細さもピークを迎えた。いっそこのままプーケットに行って、バカンスを決め込んではダメであろうか。
バンコクを発ったのは、日本時間での午前1時か2時頃だったと思う。恒常的に夜更かししている人間の眠気は、日付をまたいだ日本時間25時くらいに正確に来る。その頃にストンと眠れればよいのだが、離陸直後の機内という特殊環境はそれを認めない。おそらくコーカサス地方上空あたりでほんの一瞬眠れた程度で、欧州時間の朝7時か8時頃、航空機は無事にストックホルム・アーランダ国際空港に着陸した。
シェンゲン協定外からの入国手続きによる問答をなんとか乗り切り、空港直結の鉄道駅からストックホルム中央駅直通の「アーランダ・エクスプレス」に乗車して15分、ストックホルム中央駅(Stockholms Central/T-Centralen)に到着した。中央駅では地下鉄に72時間限定で乗り放題となるICカードを購入し、地下鉄G線から数駅のフリドヘムスプラン駅を経て一行が待機するホステルに到達した。ここまで1時間前後、科目プログラム開始の現地時間AM9時に滑り込みセーフと相成った。ここまで綿密な下調べの甲斐もあったが、国際空港から1時間かからず市内中心部に到達できるというアクセス性にも救われた。
プログラム1日目はストックホルム旧市街:ガムラスタン(Gamla Stan)回遊から始まった。なんともジブリ感が漂うというか、デッキブラシにまたがった魔女と黒猫が飛んでいそうな雰囲気である。一行は昼食を経て、隣接する再開発地区の状況の視察や現地在住の日本人との交流を行い、夕刻前にホステルに戻った。ここまでは観光の延長線上という塩梅であるが、ホステル帰還後は設定されていた班ごとに発表を行うなど、大学の講義らしいプログラムも取り揃えられていた。
筆者はというと一連のフィールドワークこそ元気に乗り切ったものの、未曾有の長旅の疲れからかなりの疲労感であった。一方で部屋は途中合流者であることと筆者のめちゃくちゃ強い要望により1人部屋が宛がわれており、心底安心することができた。夕食はホステル内の共同キッチンにて、学生達が持ち寄った材料から各自協力して料理を用意するということになっていたが、疲労感からほとんど手を付けることはなかった。結局現地時間で陽の暮れるだいぶ前に就寝し、夜明けすぐに目が覚めた。
プログラム2日目、一行は1つめの見学ポイントである小学校に到着した。配線の存在を児童に説明するためにが天板が貼られていない天井、重厚感と軽快さが同居するたぶんIKEA製のお洒落な家具、年代ごとに細かくクラス分けされながら空間自体はシームレスな点など、確かに福祉先進国の噂に恥じない前衛的な意匠が随所で光る校舎であった。そのときの筆者はというと、頭痛と吐き気で限界であった。言わんこっちゃない、時差ボケである。
藤沢先生「どう?楽しい?」
いえ、正直それどころでは・・・と言いたかったが、ここで置いて行かれるとさすがに命の保証がないので、団体行動を継続した。しかしそれも限界に達し、昼食休憩直前のタイミングで早退を申し出た。置き去りの恐怖より不調による昏倒の恐怖が上回ったのだった。また滞在2日目とあって、地図などからストックホルムの土地勘を得ていたため、地下鉄を駆使してホステルに直帰した。
部屋で静養を試みたが、事態はいっこうに改善しなかった。部屋は1人部屋ということで身の安全は確保されていたが、このまま回復しなかったらどうしよう・・・という思いが去来した。居ても立ってもいられず、ちょっと賑やかな共同キッチンの方に足を運んだ。キッチンでは別団体、というか別の国の大学生と思われる集団が談話しており、筆者は目立たない位置にあるソファに身を沈めていた。
その時視界に入ったのは、キッチンの冷蔵庫であった。こちらのセブンイレブンで調達した、小腹が減ったら食べようかなと思っていたバナナがあることを思い出し、意を決して食した。効果は覿面であった。頭痛と吐き気は瞬く間に軽減し、15分後には大学生の談話に聞き耳を立てられるレベルにまで快復した。要は低血糖であったのだ。会話の内容は全然分からなかったが、元気を分けてもらえた気分になった。そのままの勢いで、筆者はふたたび地下鉄に乗り込み、フィールドワーク続行中の一団と再合流することができた。上野先生は「あれ?」という顔をしていたが、居るんだからいっか、と興味を逸らしてくれたようだった。
筆者にとって2件目の見学地は初等教育、特にハンディキャップを持つ児童を受け入れ可能な幼稚園とのことであった。壁紙や玩具がパステルカラーで彩られていて、若干目がチカチカしたが、心の深めな部分のテンションが上がるようなインテリアであった。まあテンションが上がっていたのは回復基調の筆者だけだったのかもしれないが。
そしてプログラム3日目、この日はふたたび市内の著名建築物巡りとなった。
ストックホルム市立図書館。またしてもテンションが上がる雰囲気である。かなり頭が悪い感想なので少しだけ踏み込むと、モダニズム建築の良いお手本といったところである。やっぱり頭悪いな。日本国内でも壮麗な図書館が増えていることは増えているが、その源流ともいうべきこの図書館は100年近く前に建てられたものというから、驚きである。地震がないってうらやましい。
あれ、おまいは。とこキャンに設置されているバイク事故なモニュメントじゃないか。もちろんこの銅像は断じてバイク事故ではなく、「人とペガサス」と題したカール・ミレス氏の作品で、ここストックホルムの「カール・ミレス美術館」に展示されているこちらの像こそがオリジナル版とのことだった。ちなみにとこキャンのあれは「人とペガサス」像の最初のレプリカで、2体目は箱根彫刻の森美術館に展示されているものであるという。周辺の景観は紛れもなく北欧なのだが、この画角の写真だとおそらくとこキャン生のほとんどはここが所沢だと錯覚してしまう。
3日目の午後は自由時間となったため、各自思い思いの施設への見学を計画していたようだが、筆者は単身、地下鉄乗りつぶしを選択した。名所とかもうどうでもよかった。3路線しかないし加速や停車はやや乱暴であるが、筆者にとって新たな発見に満ちた極上の公共交通機関であった。これだけであと2万字は書けてしまうが、需要がなさそうなので自重する。一つだけ書くと、特に地下鉄3号線の素掘りトンネルのような通路には感銘を受けまくりであった。だってワンダフルじゃないですか。通勤経路が洞窟だなんて問答無用でテンション上がるって。
科目プログラムの最後は、ホステルにて班ごとの発表とディスカッション時間が設けられた。筆者の雑感としては、確かにこの街の福祉施設の充実ぶりは素晴らしいものの、歩道の段差や点状ブロック設置様態の雑さなどを見逃すことはできなかった。特にバリアフリー面の浸透・徹底度合いについて、日本は北欧と比較しても大きくリードしていると断言できる。ただしとても不思議なことに、北欧の福祉施設からは随所で温かみを感じとることができた。その実体が何であるかはもっと現場を観てみないことには分からないのだが、そこにはこの国が「福祉先進国」と呼ばれる理由の本質が潜んでいるに違いない。
以上、道中色々あったプロジェクト科目@ストックホルムであるが、無事に完走することができた。ギリギリのスケジュールであったため、終了後は全く他の観光地への周遊などもせず、帰路に就いた。もったいない話であるが仕方がない。ちなみに筆者より遅れて合流し、かつトンボ返りすることとなっていた他の参加者は「こんな短い日程ではるばる日本から来るなんておかしいだろ!お前何者だ!」と入管職員に疑われ、待機中は走馬燈が駆け巡っていたという。危ないところであった。
もちろん帰りもタイ航空を利用し、バンコクでのまんじりともしないトランジットを経て、成田空港に無事帰還した。普通帰り道は往路より短く感じられるものであるが、十分長く感じた。時系列的には、この2日後に初の大会発表(「いーすく!」#14)を経験している。なんて強行軍だ。
いざ北欧へアゲイン
「今年はコペンハーゲンなんですけど、来ますか?」
絶賛サバティカル中の上野先生からこのように唆されたのは、確かM2に入る直前の研究相談だったと記憶している。あるいはもう少し前に示されていたかもしれないが、本格的に参加を検討したのは春先であった。時差ボケと地下鉄のストックホルムから一年、同じ科目への参加のチャンスが巡ってきた。
こう書くとこいつ単位を落としたんじゃないかと思われてしまうが、「福祉の視点から見た環境づくり」の単位(2単位)はきちんと取得していた。ではなぜ、ということになるが、もう単位なんて関係なく行きましょうという話であった。そんなことできるのかと少し驚いたが、まさゆめさんは博士課程に進学するのだし、参加は歓迎ですとのことであった。
実際、大学の講義は意外と開かれているものが多く、聴講や参加が事実上フリー(あるいは教員の許可があればOK)という科目も少なくない。出席やら試験やら単位取得のためのハードルが色々とややこしいのは、卒業要件となる単位を付与するにあたって不可欠な厳正さの担保にのみ意味があるのであり、言い換えればそれを気にしなければ「単位」など必要ないのである(もちろん、自由に参加できない科目もあるので注意されたい)。とはいえ「単位など必要ない」という状況に至ったことはこれまでの学生生活で一度もなく、その意味では博士課程を意識した最初の瞬間でもあったのかもしれない。
筆者は費用の目処、日程の目処、パスポートは前年度に勢い勇んで10年版を取っていたので大丈夫となり、やはり興味が勝った。航空チケットは今度はH.I.S.に頼り切った。
プロジェクト科目「ユニバーサルな視点からみた環境デザイン評価研究」
ありがたいことにコペンハーゲンには日本からの直行便が設定されていた。また今回は連泊系イベントとしては初めて、余裕のある前日入りにて参加することができた。もう怖いものもないので、ホステルでは当然のように1人部屋を所望した。集合場所は今回も現地ホステルとなったが、コペンハーゲン中央駅(København H)から徒歩10分程度の好立地ということもあり、筆者以外の参加者もそれぞれが工夫して集合することになっていた。
コペンハーゲン行きの飛行機は羽田を11時過ぎに飛び立ち、コペンハーゲンには午後5時前に到着の予定となっていた。昼に飛び立ち、現地の夕方に到着という、なかなか身体に優しそうな飛び方である。なお羽田とコペンハーゲンを結ぶ便はSAS(スカンジナビア航空)によるもので、ほんのちょっとだけ仮眠を取れた気がした。
コペンハーゲン空港は言わずと知れたデンマークの国際空港で、3つのターミナルを抱えている一大ハブ空港である。コペンハーゲン到着後、同便に乗り合わせていた参加者数名と早々に合流し、例によって空港シャトル列車にてコペンハーゲン中央駅を目指した。道中、コペンハーゲンカードと称する120時間限定の公共交通機関乗り放題のカードを入手し、移動については早々に無敵キャラと化した。もうこうなれば、残る争点は地下鉄をいかに乗りつぶすかであった。
しかし一応は講義の参加者であるので、いきなりの離脱は避け、連泊予定のホステルに到着した。行ってみたところ、普通に院生と同部屋であった。話ちゃうやんけ、やっぱ重役出勤すればよかったななどと思ったが、事を荒立ててもマズいことにしかならないので大人しくしていた。幸いにもホステルは部屋、公共スペース共に綺麗で、かつ館内絶対禁酒という触れ込みであったため、田端くんのような酩酊野郎の被害に遭う可能性もきわめて低いことは安心材料であった。
さて、お気づきの方もいるかもしれないので補足しておくと、前年とこの年で科目名が変わっていた。この理由を藤沢先生に訊ねると、プロジェクト科目は元々3年間限定のもので、新たに申請するには科目名と目的の変更が必須であるとのことであった。結構な内部情報をさらっと書いてしまったが、要は同じ科目を4年以上継続して行うことはできず、3年経過後に科目を継続したい場合は科目名と趣旨を多少変更し、事実上新しい科目としてしかるべき箇所に申請しなければならないとのことであった。
たださすがに本当に何も変えないというのは制度上難しく、これを機に視察会場や行程の刷新を図ったとのことであった。またこの年から学部生も履修可能となり、単位を取得できればそれを卒業単位として算入できるように規則が改められたとのことで、上野ゼミや藤沢ゼミの学部生も多数参加していた。総じて、昨年度より遥かに活気に満ち溢れたプロジェクト科目となった。
そして1日目、一行はまずスウェーデンを目指した。早速意味の分からない展開に思えるが、コペンハーゲンとスウェーデン(イエータランド地方)は関門海峡・・・ほど近くはないが、両隣の関係にある。両国は共にEU圏内であるため国境通過は容易であり、最近になって鉄道と高速道路(オーレスン・リンク)も開通していた。今回はその国際鉄道を利用し、パスポートチェックを済ませた後、対岸のマルメ(Malmö)を目指す。
マルメの街並みはストックホルムに勝るとも劣らない美しさであった。しかしサバティカルを利用してこの地に半年近く滞在していた上野先生曰く、治安はストックホルムほど良くないという。近年、移民を積極的に受け入れる政策を打ち出してきたスウェーデンであったが、昨今の急速な移民流入に耐えかね、その抑制策として国境ゲートの強化策を打ち出し始めたとのことであった。そのためデンマーク出国時の身分証チェックも最近始められたという。この影響でスウェーデン側の国境都市(マルメ)に移民が溜まり、結果として治安の悪化が始まっている・・・という流れらしい。美しい都市景観からはあまり想像が付かないハードなEU情勢を垣間見つつ、一行は本日の真の目的地である学園都市ルンド(Lund)に向かった。
ルンドには北欧随一の大学であるルンド大学があり、上野先生はこちらで延々と研究していたとのことであった。それにしても壮大というか、いつから大学キャンパスに入ったのかわからないくらい、街が大学そのものであった。大学では上野先生の共同研究者からの講義をはじめ、モーションキャプチャー装置の見学などで時間が過ぎていった。モーションキャプチャー装置くらいは日本にもあると思うが、大学キャンパスそのものはまさに外国の大学という趣であった。さすがにこの広大さは我等がとこキャンも太刀打ちできない。
一行はルンドからマルメに戻り、市内各所の名所見学に耽った。治安の問題は現在進行形かもしれないが、街としての美しさは疑いようがなかった。こうした街はえてして突飛なものを拒絶するようなこともあるのかもしれないが、ターニング・トルソ(写真)のようなハイパーポストモダン、もういっそひと思いにねじ切ってくれ!な建築物も共存しており、決して退屈な街ではないことも伺われた。
市内の公園を散策していたときだった。あれは・・・
ひょっとして「人とペガサス」ではないか。カール・ミレスの代表作にして、とこキャンに第一レプリカがあるというあのペガサスではないか。たしかレプリカは日本に数体あるのみで、他にはないはずなのに、どうしてここに。噂によると大学はペガサス誘致のために結構なお金を投下したらしいが、意外と本国内ではありふれてるものだとしたら・・・世の中、考えすぎてはいけないこともある。そう言い聞かせつつ、一行はコペンハーゲンに戻った。
行程2日目、この日はまた奇妙だけれどそこまでやかましくない、ギリギリのところでバランスを保っている北欧の福祉関係施設見学の日であった。またしても語彙力が貧困になって恐縮だが、北欧の施設は周辺環境との調和が少なくとも日本より上手いように感じられた。一方で別の施設では「最先端の福祉機器」としてウォシュレットが紹介されたりと、個人向けの器具のレベルは日本が圧倒的に上と感じる場面もあった。ただそれは施設を案内してくれた現地職員の方も認識があるようで、「あなたたちの国はそれが当たり前かもしれないけれど、わたしたちの国はそこにやっと手が届いたという段階なの」と、なんとも殊勝に話していたのが印象的だった。しかしこの謙虚さが現場に息づいているのなら、少なくともこの施設の未来は明るい。
そして行程最終日。お待ちかねの地下鉄乗り回しタイム(自由時間)がやってきた。名所とかもうどうでもいい。
なに、これより先は工事による代行バス区間だと。読めないがこれは間違いなくそういうことだろう。
あっちにたくさん止まってるのがそれか。貴重。コペンハーゲン郊外に朝の小手指駅が再現された。
30年前の武蔵野線みたいな無骨さ。最高。
コペンハーゲン市内で開通している地下鉄は2路線のみであったが、コペンハーゲンカードは近郊路線も乗り放題であったため手の届く限りの近郊路線を乗りつぶして自由時間が終了した。この件についてはあと3万字くらい書けてしまうのであるが、紙面の都合もあるので自重する。
以上、実は今回も時差ボケなどこっそりと色々あったプロジェクト科目@コペンハーゲン&マルメであるが、結構な数の受講者のおかげで楽しい数日間であった。総じての感想は昨年と同じく、公共の福祉において日本はかなり健闘しているという実感である。北欧というとなにかと理想郷として取り上げられがちな地域であるが、移民問題に端を発する治安の問題も含め、日本が先んじている分野も多々あると感じる。しかしそれによって日本が今後も安泰かといえば、もちろんそうではないし、ある意味でこれからの日本が直面する問題を彼ら北欧諸国は先取りしているだけとも思える。そう考えると確かに、彼らから学び取らなければならないことも数多い。おそらく北欧諸国と日本は、世界に並び立つ「福祉先進国連合」として、共に世界を牽引する役割を担うべきなのだろう。
プロジェクト科目:都市フィールドワーク(仮名)(1単位)
さて、あまりにも趣味が暴走してしまいそうになりましたので、プロジェクト科目の受講報告に戻ります。といっても最後に紹介するこの科目のテーマはズバリ「地下道探索」、筆者にとっては黙って参加していれば単位は来るんじゃないかというウマウマな科目です。
この科目、時系列上はM2の8月、つまり2年目の春学期の最終科目として受講しました。コペンハーゲンよりも僅かに前となるため、筆者の脳裏に比較対象として存在していた景色はストックホルムの地下鉄でした。対して本科目で取り扱う地下空間は、世界に冠たる首都圏の中心部、東京駅です。
おそらくよく知られていることですが、東京駅はその四方を地下通路に囲まれています。それもすべてラチ外(改札外)の空間ですので、特に入場券を買わなくても踏破できるようになっているのです。
更に豆知識を追加しますと、この地下道を延々と歩くと、なんと東銀座駅前の歌舞伎座まで到達することができます。よって「歌舞伎座での観劇を済ませて東京駅に行こう、しかし雨がひどいからどうしよう」と悩んだとき、地下道を延々歩けば東京駅に濡れずにたどり着くことができるのです。
更に更に余計かもしれない知識を投下しますと、八重洲地下街は首都高速道路と直結しておりまして、タクシーが横付けできるようになっています。ここから乗車はできないのですが、マイカーで人を迎える場合はやはり首都高速道路直結の八重洲パーキング(写真はその出口)を利用できます。パーキング出たらいきなり高速道路とか、色々と急ですが便利です。なんだか風格がありすぎて近寄りがたいイメージがある東京駅ですが、自動車によるアクセシビリティは意外なほど充実しています。
更に行幸通り地下通路の周辺部では・・・これ以上はさすがにもう読むに堪えないかなということで割愛いたしますが、東京駅周辺というのは全体が巨大なひとつの建造物なのではないかと思えるほど、上も下も人工物で満たされています。この辺り、非常に詳細に調べられている書籍やブログもありますので、興味を持たれた方はぜひ資料探索のうえの現地探索をお願いいたします。ミステリーはありませんが、ヒストリーは満載です。
さて、フィールドワークで与えられた課題はシンプルで、東京駅丸の内南口地下改札前の「動輪」モニュメントを起点に地下空間を一周し、その認知地図を作るというものでした。認知地図の材料となる認知を行うため、受講者は地下空間を一団となって散策します。
それにしても綺麗な、スッキリした地下道ですね。さすがに古い箇所はところどころ雨だれのような染みがありますが、特に最近整備されたエリアの気品は公共空間として最高レベルだと感じます。さしもの北欧の地下道も、清潔感や高潔感はまったく及びません。ただそれでも筆者は、ストックホルムの地下道を無下にできないのです。東京は見慣れているので、やや批判的に眺めてしまうという事情もあるかもしれません。そのため異様に辛い物言いになってしまうかもしれませんが、あえて言うと、あんまり楽しくないのです。なぜそう思ってしまったのでしょう。東京と北欧の地下空間の違い。何があるのか。片や最高な地下空間。此方素敵な地下空間。
一条の光が差した思いでした。そっか、最高か、素敵か、か。
身の内の大きな課題が解決した気分になった筆者は、一層自由気ままに動き回るのでした。引率の藤沢先生はちょっと疲れていました。
なお課題は、認知地図もなにも、こういった事情から完全に地下空間の構造が頭の中に存在している筆者は図面を書き起こしてしまい、あんまり評価されませんでした。課題の主旨からして、たぶんそういうことじゃないんですよね。わかります。しかし信教上の理由で山手線をもはやただの真円と描けない人間なのですみません。でもですね、山手線の線型を真円にデフォルメしても、例えば品川駅を円の一番下に書くのって、合ってないんですよ。そこは昔の目黒川信号場がある位置で、その施設名はまあ重要じゃないのですが、品川駅は少なくとも大崎駅と同じy座標上に位置させないとほかの路線が綺麗にハマらないのですよ。ほら、カラオケの採点機能でオリジナルの歌手は良い点が取れないっていうじゃないですか。そういうことです。
プロジェクト科目、THE 大学院な科目たち
こうして筆者は、ゼミ「重複履修」によって埋められなかったぶんの単位数を、主にプロジェクト科目の履修によって充足することができました。余談ですが先述の東京駅探索は、院生として最後に取得した記念すべき単位となりました。
特に「プロジェクト科目」について改めて眺めてみると、これぞ大学院と申しましょうか、大学院という最上級の教育機関において相応しい科目プラットフォームであると感じます。むしろ必修科目をもっと少なくして、あるいは専門科目(基本的には教員が単独で担当する科目)の多くをプロジェクト科目仕様に模様替えして、もっと自由な展開を許容しても良いのではないかと筆者は強く思います。しかも人間科学なんですから。インターディシプリナリーが大事なんですから。
え、来年はフランクフルトなんですか? ちょっとそろそろOKANEの方が・・・
(初出:2021/01/25)