いんせい!! #16 査読論文!!

f:id:yumehebo:20210104010237j:plain

長かった修士論文にも一応の片が付き、束の間の休息がもたらされた2017年の春。諸事情から卒業式と入学式の双方に参列できなかった筆者は、重信公像に見守られたとこキャン事務局にて修士課程の学位記を受け取った。黒い装丁の学位記は、これから飛び込むであろう闇を示しているようだった。
 

#16 査読論文!!

 
「査読論文であれば指摘しますが」
 
修論発表会での武蔵小杉先生が発したこの言葉について、まずは説明を試みようと思う。査読論文とは「査読付き論文」というそのままの意味で、同じ領域かつ筆者の研究に関与していない専門家が査読者(審査員)を務めたうえで発表された論文である。
 
世の中の文章は「論文」か「それ以外」に分けられる、と言うのはいささか雑な二分法である。小説とか新聞記事とか、その辺りの価値どう判断するのって突っ込めてしまう。しかし世の中の論文は「査読論文」か「それ以外の論文」に分けられるというみなし方は、結構な説得力がある。要は外部の人間が審査した論文と、そうと言い切れない論文のどちらがより信じられますかという話である。
 
査読論文の説明から分かるように、卒論や修論といった学位論文も厳密には「査読論文」に該当しない。査読論文が「査読付き」という語義の通りの価値を認められるには、査読を行う態勢を整備している学会や出版社への論文投稿が欠かせない。また筆者がよく拙文を投稿している日本建築学会も、主催大会が募集している梗概(大会発表原稿)は査読論文に該当しない。こちらはより単純に、査読プロセスを経ていないからである。
 
一方、社会で「論文」とみなされるものは基本的に「査読論文」のことを指すと考えてよい。またこれは専門領域によって異なるが、メジャーな出版社からの書籍刊行を査読論文と同等の実績とみなすこともあるようだ。完全なる類推であるが、出版社の編集部門が事実上の査読プロセスとして機能しているとその領域が判断しているのかもしれない。
 
ちなみにこの考え方を拡大適用すると、著名出版社から刊行された小説は「査読つき文芸作品」であるし、著名新聞社から発刊された新聞記事は「査読つき記事」、著名テレビ局から放送されたニュース映像は「査読つき映像素材」とちょっと無理はあるがみなせるわけである。昨今は色々と怪しくなっているケースもあるような気がするが、査読(編集)プロセスがアウトプットの信頼性にきわめて大きな影響を与える存在であることは現在も疑いようがない。
 
そのため査読論文の本数はほぼそのまま、研究者の実績とみなしてよい。何本の査読論文を世に送り出してきたか、あるいは何年間査読論文を書き続けているかなどはデータベースで一目瞭然である。論文内容が世界へと開示されているかという意味では言語が英語かどうかも重要であるが、日本語でも何でも「本数」があることがまずは重要である。
 
話は少し逸れるが、だからこそ既往研究への言及において「それ以外の論文」を採用することは慎重になるべきである。これまた単純な話、内容が信頼に値するかについて第三者の誰も判断していない記事を鵜呑みにするのは迂闊だからである。しかしそれでも「それ以外の論文」を引用したい場合、その研究者の実績(査読論文や書籍など)を確認することで別の判断を行うことができる。
 
これは例えば原稿が大会発表の梗概(査読なし)でも、発表者が査読つき論文を定期的に書き上げている方なら、まあまあ信頼できるのかな、という情緒的な話である。出版社や新聞社についても、基本的には社名の下に同じ信用があると考えていくべきだろう。昨今は相当に色々と怪しくなっているケースもあるような気がするが、みんな大好き虚構新聞さんでも誤報を連発してしまうような難しい時代なのだから少し労ってあげてほしい。話を戻すと理想的にはやはり、参考とする既往研究は査読あり論文を軸とすることが望ましい。
 
いずれにせよ卒論と修論と大会発表複数本を積み上げた筆者の、研究者としての現時点での実績はどうなるかというと「ほぼゼロ」である。さすがにまったくのゼロというと学位の重みも無視することになるので過小評価と思うが、それよりも査読論文が1本あるかないかは大きな差がある。なにせ、社会が「論文」とみなすようなものは1本も出していないのだから。せめてもの慰みにカジュアルな比喩を用いると、試合に出てシュートも何本か打っているけどまだ得点は決められてないよねということである。
 
はい、だから頑張りましょう。博論どうこうの前に、実績を残しましょう。
 
以上は筆者が博士課程1年目を迎える直前のタイミングで、査読論文とは何ぞや、という初歩的な問いについて、助手の山北先生や共同研究者の辻堂先生に訊いた結果をまとめたものである。特に辻堂先生は何を訊いても全方位的にディスるので辟易していたが、絶対に論理破綻を許さない熱血グリズリーゆえ仕方がないと途中から諦めた。とりあえず大変なところに足を踏み入れちまったのは間違いない。
 

博士後期課程おさらい

 
ここまで長くする必要はなかった気がする査読論文の説明を経て、博士後期課程(「博士課程」表記も意味は同じ)のカリキュラムを紹介しよう。これももう大学院ウェブサイトの説明が単純明快なので、そちらを引用させてもらう。
 
博士後期課程の修了要件は、通常3年以上6年以内在学し、論文作成のために必要な研究指導を受けた上、博士論文の審査および試験に合格しなければなりません。合格者には「博士(人間科学)」の学位が授与されます。授業科目について必要な単位はありませんが、指導教員の指示により、修士課程の授業科目を履修しなければならない場合があります。(早稲田大学大学院人間科学研究科ウェブサイト「カリキュラム」より引用)
 
これだけである。実際に確認してもらって構わない。修士課程(2年制・1年制)ではより少し詳細な表が示されていたのに、である。これはなにも省略しているのではなく、これがすべてなのである。
 
それでもあえて細かい部分を解説していくと、もっとも目に付くのはこの一文ではないだろうか。「授業科目について必要な単位はありません」。ないったらないのである。必修科目も選択科目もプロジェクト科目も、修了に必要な単位ではないのである。
 
これはつまり、学費を3年間納めれば修了のための単位的要件が揃うことを意味する。お金か。お金の話なのか。説明文にはその後に「担当教員の指示により~」と注釈めいた一文がくっついてはいるが、いずれにせよ数字としての「必須○単位」といった目安は一切存在しないのである。
 
では何が事実上の学位授与条件かといえば、言うまでもなく論文の審査である。てか、もうそれしか残されていない。事態はここに及んで、この上なくシンプルになったといえよう。博士論文が合格しさえすれば、博士号取得である。そしてW大の場合、博士論文の提出には「筆頭著者である査読論文2本の添付」が必須条件となっていた。
 
やっとここで短い伏線を回収することができたが、査読論文の実績は博士論文提出の前提条件なのである。いやちゃんとカリキュラムのところに書いておけやと思ったが、これがまたややこしい話なので機会があれば補足しようと思う。
 
なにはともあれ、博士課程での目標は早々に決まった。査読論文を2本書いた上で、博士論文を提出するのである。どうやって?とかいつまでに?とか、そういうのはこれから分かっていくだろう。ちなみに博士後期課程の「前期」はどこいったという部分であるが、これはお察しの通り修士課程が「前期」に相当する。気になる方は「区分制博士課程」という用語を検索して事態を把握してもらいたい。
 

査読論文の説明、ふたたび

 
現時点ではこれ以上博士課程について説明することもないので、当座の目標である査読論文の執筆プロセスに話を移す。共同研究である筆者の場合、まず決めるべきは「著者順」である。
 
査読論文に限らず、共同研究の成果報告は連名となることが自然である。その際に(適当にしておくと)問題となるのが、貢献と実績の配分である。一般的に考えて、3人いれば貢献度が3分の1ずつという風にすんなり割り切れることは少ない。たいていの場合は主役と脇役、お目付役といった形で貢献度合いや役割が異なっている。それをどのように明示するかについて、多くの学会では「著者順」をその指標としているようだ。
 
筆者がこの後査読論文を投稿する日本建築学会の場合、大雑把に以下のような貢献順とされている。
 
1番目・・・執筆者。研究の中心にいた人
2番目・・・研究に大きく貢献した人
3番目・・・研究にそこそこ貢献した人
最後尾・・・お目付役、あるいは指導教員

 

内情は研究当事者のみが知りうるものであるが、少なくとも1番目=執筆者というのは事実上のルールとなっている。実は先述の博士論文提出要件の説明にて「筆頭著者」としれっと書いているが、筆頭著者=1番目である。仮に筆者(博士課程)が単独で研究を行っていて、査読論文を発表した場合は
 
まさゆめ(←筆者)、上野先生(←指導教員)
 
という著者順となる。一方共同研究においては、誰を筆頭著者とするかを当然合議しなければならない。幸いなことに筆者の場合、
 
辻堂先生「まさゆめさんの研究ですし、博士課程ですから1番目でいきましょう」
 
この一言によって問題なく筆者が著者順1番目かつ査読論文執筆者となることが決定した。ありがとうみんな。辻堂先生もグリズリーとか言ってごめんなさい。1本目の論文は、貢献順などを吟味して最終的に以下の著者順となった。
 
まさゆめ、辻堂先生、羽田さん、今市さん、上野先生
 
なおこの著者順システムは学会ごとに異なっているようで、例えば最後尾に指導教員を置かないケースもあるようだ。それぞれのしきたりもまた学会や分野それぞれの尊重すべき歴史でもあるので、ここでは「論文の著者順には何らかの貢献順が暗示されている」ということだけ理解して欲しい。
 
また研究実績の評価方式について、筆頭著者の論文本数だけを評価する場合、2番目や3番目でもそれなりに評価する場合、どの順番でも名前が乗っていれば「1本」とみなす場合などこれまた多岐にわたっている。もしこのコラムの読者が将来的に研究実績を心配するような立場に置かれたら、実績の評価方針については絶対に誤解しないよう何度も確認することを強く推奨する。
 

ついでに査読システムもおさらい

 
続いてまたしてもガチガチな話となるが、学会の査読システムについてもおさらいしておこう。といっても細かく説明するとかなり複雑であるため、本質的な部分のみ箇条書きで示す。
 
・査読者は2〜3名
・査読者は投稿された論文の分野を専門領域とし、かつ当該研究に関与していない専門家が任命される
・査読者は「採用」「不採用」のほか、一度だけ「再査読」と判定できる
・査読者(実名非公開)2名の「採用」判定で論文集への掲載決定
・一方で2名の「不採用」判定で論文集への掲載見送り
・査読者は最初は2名のみ任命される
・3人目は、必要な状況が生じたとき初めて任命される(つまり2名分の判定で白黒がついたら3人目は登場しない)
・「再査読」判定を受けて返却された原稿について、執筆者は一定期間内に再提出すれば「再査読」判定を返してきた査読者の再査読を受けることができる
・再提出に際して、執筆者は査読コメントへの回答票を用意する

 

詳しくは日本建築学会のウェブサイトに要領が掲載されているが、絵心あるどなたかによりわかりやすいインフォグラフを作ってもらいたいと思うのは筆者だけであろうか。このようなややこしいシステムを採用している具体的な理由は不明だが、おそらく人的リソース(査読要員)の節約と掲載論文品質の確保を両立させるための苦肉の策と考えられる。単純に考えれば最初から「査読者3名の多数決方式」としていればよいと思うが、確かにそれだと人数を消費する上にフリーライダー(残り2名が判断するから自分は適当でいいっしょ)を生みかねない。それが現行方式によって、形の上ではすべての査読者が責任ある判断を求められる。この方式のオリジナルがどこにあるのかは調べていないが、知恵者が集うと知恵のある方式ができるものだなと感心した。
 
ただ結局査読システムがどうあれ、執筆者として取り組むべきことは変わらない。「再査読」という再チャレンジ指令が出たときのみ、再提出の機会があるという風に捉えておけば問題はない。また「言うてもそんなに不採用にはならんでしょ」と淡い期待を寄せたくもなるが
 
辻堂先生「それは甘いです。自分も厳しい判定を行ってきましたので」
 
マジかよ、おぬしも向こう(査読者)の人間だったんかい。個々の論文の査読者の氏名は査読決着後も完全非公開であるものの、正会員かつ研究実績を持つ専門家はかなりの数の査読依頼を受けているとのことであった。ということは結構な確率で、知り合いやそのお弟子(学生)さんの論文も査読してしまうのでは?と訊ねると
 
辻堂先生「全力でとぼけます。しかし急に『厳しい査読来ちゃったんだよね~』と探りを入れられるとドキッとします」
 
とのことであった。バレとるやないかい。
 

査読論文の1本目を通すということ

 
さてここまでグダグダと査読論文の仕組みについて書き連ねてみたが、D1(博士課程1年目、ディーいち)での至上命題はまさに「査読論文1本目を通す」ことであった。共同研究者に背中を押された以上は書くしかないし、しかし勝手に執筆して投稿するのも道義上あまりよろしくない。なにしろまだ1本目を通していない身分であるから、有識者のアドバイスは受けられるだけ受けた方がよいに決まっている。
 
そういう覚悟において共同研究者全員に原稿の回し読みをお願いしていったところ、これはもうお見せするわけにはいかない。赤でチェックどころか、赤しか見えない有様が結構な期間続いた。冗談抜きで、査読より査読された。
 
どうしてここで論理を飛躍させるんですか。この書き方だと質問項目がダブルバレルではないかって捉えられますよ。どうして背景で批判した現状を鵜呑みにしたような実験計画の説明をするんですか。引用してきたこの資料の内容は本当に参考としてよい内容なのですか。ああああもう全部いっぺんに言うでないわかんなくなっちゃうじゃないかもうずっとよくわかんないしすぐわかんなくなるのに!
 
ただ臥薪嘗胆の甲斐あって、一般的に簡単ではないらしい1本目の査読論文は再査読のち再提出にて掲載が決まった。投稿を春先に行って夏場に最初の判定結果が返り、掲載決定の一報は秋口だったと記憶している。そのすべてのセクションで主に辻堂先生の手厳しく緻密な指導が入り、非常に辛く長い日々ではあったがその果てに確たる成果を出すことが出来た。税務署より遥かに手厳しい税理士を雇ってしまったようなものである。大変な幸運だったと思う。
 
査読論文を書き終えてみて理解したことは、学位論文でできていたつもりのロジックはロジックではなかったということである。とんだ笹好きジャイアントツキノワグマであった武蔵小杉先生の、修論審査会での指摘が改めて思い出される。そして査読論文とは、これまで出会ってきたクマさんたちと対峙するということでもある。長泉先生のような、武蔵小杉先生のような危険きわまりない猛獣が世界にはあと何千頭も居るに違いないのだから。
 
まあちょっと冷静に考えれば、論文集たるものクマさんどうこうではなく激ヤバの専門家しか読みそうにないものである。中途半端なものを掲載して無事で済むわけがない。たとえばもしあなたがどなたかの大ファンであるとして、その人を特集した記事がえらく雑なものであったら、おそらくあなたはひどく不快に思うだろう。論文に掲載するということは、その比ではないレベルの人々に無用な怒りを覚えさせないように準備しなければならないということなのだ。恐ろしい話である。でも気持ちはよく分かる。
 
一方でここまで徹底的に精度を上げれば、世界は耳目を開いてくれるという手応えもまた得ることができた。学位論文はどちらかというと時間切れとの戦いでもあり、限られた時間の中でいかに煮詰めていくかという側面があることを否定し得ない。対して査読論文は毎月の編集業務上の締め切りこそ設けられているが、事実上いくらでも伸ばせてしまう。ゆえに学位論文や連載原稿にあるような締め切りブーストは適用できず、どこでゴールと見なすかは難しい部分がある。それでも「論文品質の到達点」があると知ることができたのは、とても大きな経験となった。
  
辻堂先生「博士論文にはあと1本ですね。引き続き頑張りましょう」
 
来たるべき博士論文を書き上げるには、どうやらこの道を走り続けるしかなさそうだ。雨はやがて上がる。本当の笑顔はそのときに出ればいい。
 
 
 
(初出:2021/01/26)