長い廊下のように美しく整備されようとしている瑞巌寺の参道を歩いていると、ようやく顔なじみの声が聞こえてきた。またしても途中参加となった夏合宿に、遅ればせながら追いつくことができたようだ。
#18 またまた合宿!!
代わり映えしようのない地獄の論文合宿と比較して、夏合宿は毎年の学生の趣向が色濃く反映されるプログラムとなっていた。筆者にとっては2回目の参加となるD1時の夏合宿は、石巻・松島・仙台を巡るという理性的な内容であった。
ここでコラム内の時系列的にも3年目以降の話がメインとなるので、この夏合宿にも参加している13期の面々を紹介しよう。
13期(すべて仮名)小金井さん ダンサー 英語が嫌い 背の高い永野芽郁中浦和さん バレエ 福岡 声が子供菊川さん 名前の読みが難しい 郷土を軽くdisってから敵意がすごい上野さん やかましい小野上くん 名前の読みが難しい とこキャン祭メンバー高崎さん 群馬の人前橋くん 群馬の人 ハンドボール早川くん 背の高いイケメン 超優良物件浜松さん フィギュア好き キレたら怖そう小田原くん 広島 風格がすごい
筆者にとっては院生初年度から苦楽をともにした11期が1人(籠原くん)を残して旅立ち、淋しい気持ちであった。しかし13期は、それを埋めて余りあるほどの個性派揃いであった。まず早川くんは数年来随一の背高イケメンで、しかも宅建持ちで趣味が美術館巡りとなればもう何を喰ったらこうなれるんだという威容である。億で売れるし、億は余計に稼ぎそうである。続いて小金井さんはこれまた高身長の美女で、同じく親はどんな黒魔術を使って錬成したんだ言うてみよという美貌である。この二人が秋葉原で絵を売ったら、たぶん50枚は余計に売れる。
一方それ以外のメンバーは駄馬かというと、もちろんそうではない。実物が伝えられないので読者にはもどかしい思いをさせてしまうが、とにかく感性がぶっ飛んでる上野さん、ハンドボール部のエース前橋くん、21歳にして教授の風格を備えた小田原くん、小金井さんのキラキラ感に隠れているが美形な浜松さんと高崎さん、敵意しかない菊川さん、大人しいかと思えば全然怒る中浦和さん、自信なさげな割に全く意見を変えない小野上くんと、11期以上に話題に事欠かないチームである。要はアルバムで言えば外れ曲なし、オアシスでいえば「モーニング・グローリー」のようなラインナップである。当然ながらゼミの雰囲気は終始明るく、それは夏合宿のような団体行動でも変わることはなかった。
話を筆者の合流時に戻すと、彼らの誰かが筆者を見つけてくれた。わーまさゆめさん!まさゆめさんですね!どうしたんですかまさゆめさん!お久しぶりですまさゆめさん!!あーこれこれ、山門の前で実名を叫ぶでない。あと2日持つかなと思いつつ、やや深めの傷を負った新潟の悪夢を乗り越えられる予感を抱いていた。
1日目(伝聞):石巻
筆者が不在であった1日目は、震災の傷跡が色濃く残る石巻市周辺の見学プログラムだったようだ。特に大きな問題は起きなかったようだが、夕食時にM1(11期)の籠原くんが食べ放題の唐揚げを食べ過ぎたがため逆噴射芸をしでかしたと聞いた。あらゆるタスクを飲み込める籠原くんも、消化能力には限界があるようだ。唐揚げ美味しいもんな。でもアホやろ。
2日目:松島
筆者が合流したのは、一行が塩竃を経て松島に到着したときのタイミングであった。仙石東北ラインの開通によって、仙台と松島の心理的距離も近くなったのではないだろうか。海辺には瑞巌寺の一部である「五大堂」があり、一行は学年ごとに記念撮影した。
全く書き忘れていたが、この合宿には4年生(12期)も参加していた。12期の面々は気だるそうに記念撮影スポットに並ぶと、撮影が終わると同時に自然に散っていった。なんという取っかかりのなさであろうか。オアシスでいえば「ビィ・ヒア・ナウ」のようなラインナップである。続いて元気いっぱいの3年生(13期)が撮影に臨んだ。その一部始終を劇団かなにかが観察していたら、良い勉強になったに違いない。人間はただ集まるだけで、明るさを変えられるのである。なにより、4年生が驚いていた。
一行は気を取り直して、松島遊覧船に乗船した。絶対これ島じゃないでしょ岩礁でしょ、とか思いながら優雅な時間は過ぎていった。下船後、3年生の面々が4年生を連れて岸壁に並びだした。みんなで同じポーズを取って、写真に残しましょう。
若さってほんとにすごい。なんでもできるんだな。
3日目:仙台
どこまでも重い12期とどこまでも明るい13期、そして前日の院生の粗相という好条件が奇跡的に噛み合ってか、2日目の夜は終始正気なまま更けていった。熱々の源泉と海水が混ざって、極上の湯加減になった海辺の露天風呂のようなものであろうか。明けての最終日はいよいよ仙台市内の見学である。
せんだいメディアテーク。市民図書館やギャラリーが同居した、新しい形のコミュニティースペースである。その特色はなんといっても、名建築家:伊東豊雄氏による斬新な造形である。建物を支える柱(チューブ)は不規則に配置され、特異な室内空間を実現している。
今回は特別に、屋上まで上がらせてもらえた。すごいな、さすが大学の合宿である。なおこの合宿のプランナーは、卒業した11期の池袋くんである。11期が4年の時の夏合宿は別の行程に振り替えられ、宙に浮いていたプランを12期が丸ごと拾ったらしい。4年生(12期)見直したぜと褒めそやす気満々な文脈であったが、やっぱり真実を書き残しておくべきだと翻意した。
一行は一旦解散し、筆者は藤枝さんと共に定禅寺通りから仙台駅まで歩いた。定禅寺通り、非の打ち所がない。途中に寄ったラーメン屋は狭かったが、まあまあ美味しかった。
最後の訪問地は、海沿いに位置する「仙台うみの杜水族館」であった。三陸のお魚たちの展示を過ぎると、イルカショーが行われていた。ふと街を見遣ると、そこに街はなかった。ドキッとしたが、そこは公園として整備される予定の土地とのことだった。垣間見える震災の傷跡を背に、すべての生き物は生きることを止めていない。
見学終了後、一行は最寄りの駅まで徒歩で駅に向かった。シャトルバスが終わっていたためであった。若いと簡単に徒歩を選択しよる。
なんというか、楽しい二日間であった。これといった問題も起こらず、行程もかなりの完成度であった。ただ不思議なもので、いよいよゼミから気持ちを切り離す時期が来ていることを悟った。まずもうだいぶ前から気づいておけよという話であるが、筆者も年を取ったのだ。それも年いっているというより、年老いているという感覚である。それによって今の学生たちと共感できる部分が、無理をしても存在しないように思えたのだ。暮れなずんでいてくれた夕陽も、ついに沈んでしまったのだ。
続いてゼミが上手くいっていることが、嬉しい反面の寂寥感を加速させた。もはや老骨にむち打って、あれこれ頑張る必要はないのである。放っておいても、彼ら(13期)は彼らなりに苦労しながら羽ばたいていくだろう。あとはもう、自分の研究のことだけを考えてやっていこうじゃないか。
そう思い至ったとき、今度は修了への不安が去来した。まだまだ博士課程半年であるのに、砂漠を、暗闇をひたひたと走っているだけなのに、ゴールのなんたるかについての漠然とした不安を押し殺すことができなくなったのだ。きっと筆者は、ゼミ運営によって自らも支えていたのだ。それが必要ないと改めて分かり、かつその先についての心許なさにようやっと気がついてしまったのだ。ゴールって、何だ。終わりって、何なんだ。行くのか帰るのか、それとも登るのか降りるのか。
帰りの新幹線の車中、眠りこける学生達の寝顔を横目に、筆者の懊悩は深まるばかりであった。
(初出:2021/01/28)