いんせい!! #19 博士課程!!

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新幹線と市電を乗り継いで、住宅地の真っ只中を通り過ぎた先に、今年の発表会場となる大学のキャンパスがありました。
 

#19 博士課程!!

 
このところずっと悩んでる場面しか書いていない気がしましたので、たまには表に出て格好いいところを見せていたんだと、こう言いたくて書いてみる次第です。しかしそもそも格好いいところを探さないと見つけられない段階で無理すんなよと言いたくなる筆者にとって、3回目となる日本建築学会の全国大会への参加の季節がやってきました。この年は広島でした。
 
発表内容は研究テーマこそこれまでと同じながら、上野先生というより武蔵小杉先生寄りの手法にトライしたもので、博士論文の中でどのように位置づけるか悩みどころなものとなりました。とはいえこの時点で博士論文はまだ影も形もなく、よくわからないけどまあなんとかなるさ、の気持ちでした。
 
発表は武蔵小杉先生寄りということで、もはや議論の余地はなく、クマさんの巣部門へのエントリーとなりました。知っている人でも容赦なく切り刻んでくる人たちですから、知らない人への切り刻み方なんて、もう想像を絶することだけは想像できます。発表の序盤には地域(今回の場合は広島)のご当地な何かを盛り込んで、少しでも場がほぐれないかなとあがいてみたのですが、咳一つ反応が返ってこないので怖かったです。
 
発表を終え、質疑もとりあえずよどみなく答えることだけを心がけ、大ケガは避けられたような発表でした。聴講していた武蔵小杉先生からは「良い発表でしたよ、社員みたいで」という、たぶんポジティブに捉えて良いんじゃないかなというコメントをいただきました。そしてこの日は発表後、別セッションにおいて、司会2という大役も担うことになりました。司会2の仕事は本当に筆舌に尽くしがたい重労働で、発表者の持ち時間が終われば鈴を鳴らし、あとは黙って聞いているだけという偉大なものです。
 
発表終了後、時を同じくして発表に挑んでいた籠原くん、池袋くんらと共に、世界遺産として有名な宮島に渡りました。完全なる観光です。シカさんがいました。もみじ饅頭も食べました。ちなみに籠原くんはM1ですが、池袋くんは会社を休んでの発表でした。彼にとっては最後の卒論発表でした。
 
池袋くんは実家(福岡)の具体的な住所こそ教えてくれませんでしたが、一見チャラそうに見えて身も心も格好いい男で、おそらく11期の出世頭になる逸材です。実は大学院への進学を検討していた時期もあったようですが、親御さんに就職してくれと泣きを入れられ、あっという間に結果を出しました。
 
池袋くんを見ていて思ったのは、あらゆる場面で迷いがないということです。言い換えれば迷うという行為に浪費する時間がどれだけ無益かを熟知しているかのようでもありました。年齢とか年代とか関係なく、見るべきものがあるすぐれた人材というのは、概観しているだけで勉強になるので有益です。
 
一方で進学した籠原くんも、ごく稀に逆流することはありますが、その処理能力は傑出していました。そのため早い段階から「スーパーTA」、あるいは「終身名誉修士」などと崇められ、直属の学年となる13期生に慕われていました。
 
よく考えると「終身名誉修士」って修士になれていないし、むしろ道半ばで何かあった人が背負うような称号ですが、修士号取得に不安を覚えていた人は誰もいなかったと思います。彼の唯一の趣味は釣りで、台風一過で時化た鴨川(千葉県)に仲間と釣りに行って以降LINEの既読が途絶えた際には、思わず「南無釈迦牟尼佛」と唱えてしまいました。
 
籠原くんなどのゼミ残留組はそのままの雰囲気でしたが、池袋くんは半年ですっかり社会人となり、筆者も博士課程をまっとうしなければと思ったことは割と本当です。時系列的には前回コラムの直前でしたので、その決意に具体的なビジョンが伴わなくてもあまり気にしなくて良かった状況があったことも、まあ良かったなと思います。
 
あとこのとき他に同行していた皆さんをここにきちんと書けなくて申し訳ないです。これ以上キャラクターが増えすぎると、筆者の著述能力では書き分けられません。
 

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鳥居さんです。
 

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シカさんです。
 
なおこのときの発表は、どうも本当に悪くなかったようで、後日建築学会の環境工学部門より「若手優秀発表賞」をいただきました。
 
やったぜ。でもなにこれ。建築学会全体で授与される賞なのかな。などと色んな疑問が湧きましたが、もはや環境系の主であらせられる辻堂先生の説明によると、若手のモチベーションアップのために設定されているとのことでした。どうやらそれぞれの部門でそれとなく審査され、特に定員は決められず、その年ごとに発表されるようです。確かに芸歴?的には若手ですが、若手扱いでいいんでしょうかと思いつつ、まあもらって嬉しいものなので良かったです。クマさんの攻撃にめげずに立ち向かっていれば、たまにはこういう良いこともあるもんだな、としみじみ思ったのでした。ただし大会期間中、現地にて都合をつけてもらえた辻堂先生との査読論文に関する打ち合わせで、例によって例のごとく原稿をボコボコにされたことは秘密です。
 

史上最大?の実験

 
博士課程であるからという理由ではないのですが、最上級の学生であるという事情は確かに作用するもので、主には上野先生による数々のプロジェクトによく駆り出されていました。本コラムでも既にいくつか断片を書いてきましたが、特に思い出深いのは、とこキャンの体育館と多数の被験者を用いた実験でした。
 
その実験は上野先生を総監督に、研究職に就かれた今市さんと、ゼミ創設以来かもしれない美女・小金井さんが主に取り組まれているものでした。その実験には今市さん所属の研究所の所員さんといった完全なる社会人の方も参画されるようなレベルで、筆者は上野ゼミ側の助っ人1番手くらいの位置づけでした。
 
実験の規模、はまず置いといて、被験者多数という実験内容そのものにおいて避けて通れない審査があります。それは「人を対象とする研究に関する倫理審査」で、早い話が研究倫理です。申請時期は実験期日のだいぶ前だったと記憶しています。研究における研究倫理の重要性はすべての大学院生が受講を義務づけられている「研究倫理概論」にてもちろん習熟していましたが、至近距離の傍から見ていると(実験遂行までに)ここまで頑張る必要あるのか、という工数でした。
 
晴れて倫理審査を通過すると、いよいよ、研究目的の整理と実験内容の精査に入ります。これ以上、についてはもう絶対に言ってはいけないことなのであえなく企業秘密とさせてもらいますが、ちょっとだけ面白かったことを書いておきます。
 
大がかりな実験というのは不測の事態への想定が欠かせません。しかしどう工夫しても結局は神に祈るしかない、という要素もたくさんありました。数ある中で特にどうしようもないものを挙げますと、一つは天候、そしてもう一つはお弁当の手配です。
 
天候は言わずもがなと理解していただけるかと思います。なぜ弁当?そんなの簡単では?と思われる方は、ぜひ一度まとまった数の人が集まる集会かなにか(お弁当つき)を企画していただきたいと思います。思いつく限りでポイントを書き上げますと・・・
 
・予算
・食数
・メニューの種類
・飲み物つきでトータルで安くなるか
・何日前まで食数調整が可能か
・当日何時に受け取るか
・そもそもどこで受け取るか
・そしてどこで保管するか
・どうやって関係者に渡すか
・(色んな観点で)安定しているか
・つまり美味しいか
・アレルギーチェックは大丈夫か
・ガラをどうするか
・領収書はちゃんと切れるのか

 

などなど、ぶっちゃけ実験の内容とは何一つ関係ないのに、何一つとして気を抜けないのです。
 
万が一足りなくなったら、何か問題が発生したら、昼食休憩は瞬時に修羅場と化すことが容易に推測されます。特にとこキャン周囲には大口の依頼を受けられるお弁当屋さんが少なく、上から下まで何でも知ってるともっぱらの噂の上野先生ですら、信頼できるお弁当屋さんは1軒だけでした。
 
「○福(店名)さんのところはご家族でお店を切り盛りしていて、この食数だとお姉さんが出勤している時しか対応できないかもしれません。だからお姉さんが仕込みの日に居るかどうかが鍵になります」
 
緊張感漂うミーティングにおいて、全く遜色ないテンションで先生から放り込まれるお店のご親族の情報が、お弁当ミッションの重要性を示しているといえましょう。お店の方も「(自分たちこそ)実験の成否を握るキーパーソンである」ということなど夢にも思うはずがなく、いやむしろ今後も、知るとビビるかもしれないのでずっと知らない方がよいかもしれません。
 
幸いにもお姉さんは在宅の日だったようで、当日は無事に搬入されました。美味しかったです。
 
そしてもうひとつの懸案:天候ですが、こちらはかなり厳しいというか、絶望的な情勢でした。その実験の開催時期は夏だったのですが、会場とした体育館にはエアコン機能のない送風設備しかなく、無対策では蒸し風呂になることが容易に想像されたからです。そのため会場内にありとあらゆる冷房設備の搬入と設置を行うなどして、予想される高温、埼玉が誇る熱波を迎え撃つことになりました。というか室内競技の部活の人たちは、夏場に冷房のない体育館で運動して大丈夫なんでしょうか。本番までにバテちゃいますよ。
 
それでも熱中症を恐れた筆者、自分だけは助かるの一念のもと、自分用のOS-1を愛車内に備蓄してその日を迎えました。
 
してその結果はといいますと、これが上野先生の強運の為せる技なのか、マジモンの神風が吹きました。台風は勢力を落としながら関東に接近し、とこキャンにほどよいさじ加減の曇り空と風をもたらしたため、気温が劇的に下がったのです。冷房対策のほとんどは事実上無駄となりましたが、最高の無駄でした。むしろこういう結果は無駄とは言わないです。
 
実験は成功に終わりました。そして帰宅時、筆者の車は道中の小田原で足止めを喰らいました。国道135号線が高波で冠水し、多くの車が沈んでいる、あなたもこのまま行ったら沈みますよ!と警察の方がすごい剣幕で伝えてきました。沈むぞ!なんて言われたことは初めてでしたので、忠告に従って市内の駐車場に車をデポし、一旦電車で帰宅することを余儀なくされました。幸いにもこのアクシデントで人的被害は生じなかったようですが、道路はしばらく通行止めとなるわ駐車料金めっちゃ掛かるわ、悪天候の余波を実験関係者でおそらく唯一喰らってしまうというオチがつきました。
 
そんなこんなで大変な実験でしたが、苦労した分だけ実りも多い、ということを間近で見させてもらえたのは幸せな体験でした。
 

いかに怪しまれないようにするか

 
これまでのコラムの書きぶりから、筆者の研究テーマやフィールドが何であるかはうっすらと見えてしまっている気がしますが、改めて書くことにします。主に大きな駅の公共空間において、筆者、並びに上野ゼミの学生は様々な調査を行ってきました。
 
実験空間というのは当然ながら、研究にとって理想的に都合が良い空間を作り出すことができるのですが、そもそも世の中には実験空間を用意しにくいテーマも無数にあります。特に実際の空間の状況を用いなければ何の成果も上がらない、という研究目的を持ってしまうと、もうやるしかないわけです。
 
しかし「やるしかない」と言っても、施設管理者や利用者に対して、どんなに小さなことでもご迷惑を掛けることは許されません。特にこのようなご時世、あらゆるものが簡単に撮影できてしまう以上、撮影機材を用いるときの態度はより真摯でなければならないと感じます。
 
幸いにも公共空間の場合、いち利用者としてその場でどのように振る舞うか、ある程度自由といえます。撮影を行うこと自体、明確な禁止規定や治安上の問題などがなければ、まあ大丈夫なはずです。それでも他利用者が脅威に感じることや、そのような素振り、特に犯罪行為と誤解されるような挙動は絶対に避けたいところです。なにしろ話せば理解を得られる調査内容だとしても、釈明のチャンスを与えてくれる利用者ばかりとは限りませんし、そもそも調査対象に小さくない影響を与えるような行動計画自体が本当は好ましくないのです。
 
ちなみに上野先生も、かつて天神地下街(福岡)で同種の調査を行っている最中、警備員に見初められてから潔白を証明するのに結構大変であったとのことでした。やっていることはマジでただの調査なので、多少時間は掛かっても十中八九放免されるわけですが、やっぱり気持ちの良いものではないわけで。
 
そのため研究目的によっては、実際の場面を利用した調査を諦め、シミュレーションやバーチャル空間などで研究を進めることもよくあります。むしろそういうことができるテーマなら、今後は率先してこの種のツールを用いる方向に突っ走った方が、なにかと都合が良いかもしれません。
 
そういうことができるならば。でもそういうことがやっぱり難しいならば。結局はやるしかないのです。やらなきゃ意味な・・・なんでもないです。
 
かくいう筆者も卒業論文執筆時から、駅空間で利用者が立ち入れるあらゆる場面を対象に調査を行ってきましたが、一緒に調査してくれる人がいると効率が良いことは明らかです。そのため、特に博士課程となってから、筆者と研究テーマの比較的近い学生と共同で調査を行うというケースが増えました。いやこりゃ楽だわ、もっと早くからやれば良かった、とやってみてから思いました。
 
駅空間での調査でのパートナーはベビーヴォイスな中浦和さんでした。合わせて美女の小金井さんも招集し、駅空間内での調査を敢行しました。調査は撮影を伴うもので、決して単独行動をせず、周囲に怪しまれるような行動は絶対に取らないようにしました。
 
結果として、調査は拍子抜けするほどうまくいきました。怪しまれるどころか、そういった気配もありませんでした。まあ筆者も基本的には怪しまれたことはないのですが、あまりにスムーズにいったので驚きました。
 
その要因とはなんだったのでしょうか。あまり言いたくないのですが、調査者が若い女性だったことが大きかったと思っています。まさか若い女性が、割と無骨なこの種の調査(公共空間をフィールドとした調査と撮影)に従事していると、街往く誰もが想像していないようなのです。調査を行うにあたり、いかに怪しまれないようにするか、のメソッドに新しい解決策が書き加えられたのでした。
 
賢明な読者の皆様におかれましては、今後筆者が街中で若い女性を連れて歩いているなんて大変な場面を見かけてしまったら、見て見ぬふりをすることをお薦めします。
 
まさゆめ「そろそろ、この辺りで、いいかな・・・」
 
女性「はい・・・」
 
まさゆめ「まずこの公共空間内にある誘導灯類を一個ずつ見つけてください。続いて誘導灯類が、一般的な行動経路と正対する場合にどの程度目視できるかを確認してください。その上で用意した図面に誘導灯類の位置を記入してください。最後に誘導灯類の位置関係や一般的な目線からの写真をスナップでいいので撮影してください。これは見落としや二重カウントを防ぐための措置で(以下略
 
見てはいけないところを見てしまいましたね。見世物ではないのですよ。あんまり見てると調査に加わらせますよ?
 
なお今後同種の調査を行われる皆様におかれましては、店舗内など、「公共空間」とは一概に言えない場所での撮影は老若男女関係なくNGとなり得るのでご注意ください。またどの場所での撮影であっても、映り込んだ一般の方のプライバシーの保護、さらに機材と一般の方との衝突回避には特に厳重なケアをお願いします。
 

ふたたび仙台のその先へ

 
調査して、執筆して、発表のための旅行をして。PDCAサイクルの大学院生バージョン、と言えそうな輪廻に為す術なく乗っかりながら、季節はふたたび大会発表を迎えました。絶対無理なのでしょうけれど、調査する人と執筆する人、内容を批判的に確認する人と発表する人と新たな交友関係を築く人って全部別々に出来ないんでしょうかね。どれか一つに集中していると他の多くはできてなくてそれがまたストレスなのですが、でも筆者は後藤さん(寄生獣)ではないので、今のところ諦めて一つずつやっています。
 
筆者がM2の年の全国大会の会場は杜の都仙台でした。ええもう、11ヶ月ぶりの仙台です。この年は学部4年生にして、その卒論内容の秀逸さから、飛び級的に大会へのエントリーを行うに至ったイケメン早川くん(13期)らと共に参加しました。
 
もう早川くんはどんだけ優秀なんでしょうか。ちょっとくらい試練に遭え!と心密かに念じていましたが、堂々たる発表でした。むしろ筆者の方がボロボロでした。まあしょうがない、それもまたひとつの人生。
 
会場では数年来お世話になってきた烏山先生とも合流しました。上野ゼミの助手であった烏山先生、筆者がM2の頃に常勤職を得て羽ばたいたことは書きましたが、その後に仙台の大学への転職を果たしていました。烏山先生は心なしか疲れていました。どうも全国大会の運営方を担っているとのことで、珍しく弱音を吐いていました。筆者としてはお手伝いできることもなさそうでしたので、イケメン早川くんを差し出し、早々に大会会場を後にさせていただきました。
 
もちろんお付き合いが嫌だったとかではなく、筆者にはこれから訪れたい場所がありました。それは昨年のゼミで行けなかった場所でした。仙台から列車一本で行けるようになったと聞いて、それなら今日の宿泊地として考えてもいいかな、と思いまして。
 
烏山先生「え、今から女川ですか?大丈夫ですか?遠いですよ?」
 
大丈夫です、仙石東北ラインがありますから。湘南新宿ラインと同じようなものですよ。
 

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仙石東北ライン専用の列車(写真は昨年撮影のもの)です。電車っぽいですがハイブリッドディーゼル車です。厳密にはちょっと違いますがプリウスみたいなものです。
 
仙石東北ラインは「異なる電化方式の路線を強引にくっつけ、かつ両方を走るための特別な車両(ハイブリッドディーゼル)」を強引に用意する、という力技で実現しました。こういうことができるなら、全国にも、それどころか利用者が多い関東でもやれそうな路線いくつもあるのに。
 

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石巻駅では仮面ライダーさんとサイボーグ009さんがお出迎えしてくれます。仙石東北ラインは基本的に石巻止まりなので、ここから石巻線に乗り換えます。
 

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石巻からは女川行きのディーゼルカーに揺られます。急に一時代前の車両になりましたが、色がちょっと違うのがきっとチャームポイントです。
 

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いやー遠かったですね女川。東京来たのに秩父に宿泊、くらいの強引なプランでした。ああ道理で、いつぞやの夏合宿のときもここまで足を伸ばさなかったわけですね。池袋くんかしこい。
 

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合宿はともあれ筆者として、一個人としてぜひ来てみたかった場所の一つが、ここ女川町でした。滞在時間的には来た、というより通りかかった程度のものですが、この町が現在どうなっているのかを一目でよいので確かめたかったのです。ただしこの日は到着時すでに陽が暮れていて散策のしようもなく、駅併設の温浴施設(ゆぽっぽ)でひとっ風呂浴びた後、宿泊地であるトレーラーハウスの部屋に入りました。
 
筆者にとっても東日本大震災は、年月を経てもなお、永久に忘れることのできない出来事です。直接的な損害を受けたわけでもなく、津波遡上の映像を呆然と眺めているだけの無力な人間でしたが、あの河口に居たら何ができただろうかと今もしばしば考えます。そのうえで唯一の共通項があるとすれば、誠におこがましい話ですが、発災と学生生活が始まった時期がほぼ同じであるということです。
 
あの絶望的な惨状から、自分が学生をやってきた時間で、何がどれほど変わっているのでしょう。仙台からすぐに行けそうな場所(推定)で、なおかつ乗ってみたい鉄道があった(重要)という条件のもと、筆者は宿泊地を女川としたのでした。
 

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明くる朝、女川始発の仙石東北ライン仙台行き特別快速列車(一番列車)を見届けて、初めて女川の街並みを眺めました。復旧のための工事(区画整理や嵩上げ)も目立ちましたが、景観の質を大きく変えるような防潮堤などは一切見えず、そこにはおそらく震災よりもずーっと前からの歴史を引き継ぐ意思を持った街がありました。筆者のスケール、思い出や思い入れなんて、もうどうでもよい話です。あえてこじつけるのであれば、そのスケールがこの唯一無二の景観を知る機会をもたらしてくれた、ということでしょうか。
 

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いち学生として、海辺の田舎町で生まれ育った一人の人間として、女川の人々が選んだ未来に心を揺さぶられる思いでした。
 
「肝心なことは目に見えない」と王子様に語ったキツネの至言をここまで感じ取ったことも初めてだったかもしれません。申し訳ないですが、ゼミのわちゃわちゃした連中と一緒じゃなくてよかったのかもしれません。とはいえ大人数で来た方が観光業的にありがたいので、じゃあ次はですね、もうちょっと多めの人数で来たいと思います。
 

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ちなみにトレーラーハウスは本当にホームの真横です。こんなトレインビュー、なかなかないですよ。
 

とはいえ、まだまだ

 
女川が湛えるとこしえの景色に心癒やされつつも、しかし博士論文という、最後にして最大な関門の突破の糸口は見えないままでした。上野先生とはかれこれ5年以上、三歩進んで二歩だよねと指摘されるような研究相談を続けてきましたし、何とはなしにどこかに進んでいることも間違いないのです。
 
日常生活において感じ取ることが難しい力に「重力」があります。そして博士論文なる課題が持つ重力も、意識しなければ何のことはないものです。もしかしたらこのままずっとその支配下にあっても生きていけそうな、むしろその方が安定するんじゃないかと思えるほどに、いつまでも優しく寄り添うような課題です。
 
しかし博士課程の至上命題は博士論文の提出であり、発表であり、重力圏からの脱出です。そう思い直して重力の正体と対峙すると、しかしそれは急激に大きな存在となって、観察者を無慈悲に押しつぶそうとしてきます。もちろんそれはひとつまたひとつと積み上げた成果を元に、論文を書ききるための材料が揃うほどに、跳ね返しやすくなってくるはずなのですが。
 
筆者以外の、というと今市さんか藤枝さんしか居ないのですが、博論指導を終えたあとに上野先生がこぼした一言を忘れることができません。もちろんこれは決して能力的な問題ではなく、もっと本質的な問題、を指し示しているのだろうと思います。
 
上野先生「博士論文の指導なんて、できないんですよ」
 
 

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(初出:2021/01/29)