いんせい!! #22 謝恩会!!

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調査素材の確認のため散らかったフォルダ内を確認していると、万感の表情が幾重にもまたたく集合写真を見つけた。
 

#22 謝恩会!!

 
W大人間科学部では毎年3月下旬、秋学期卒業者向けの卒業式を開催する恒例があることは何度か紹介してきた。上野ゼミではそのうえ、卒業式後の当日夕方から夜にかけて「謝恩会」を開催していた。卒業式は学部単位とはいえ大規模であるため、先生とゼミ生がゆっくりと最後の語らいをできる場所は実質的にこの謝恩会のみであった。
 
謝恩会には卒業する学生や院生はもとより、在学生や関係の先生方も参加するのが通例であった。卒業式とはなぜか縁遠い筆者でも、謝恩会には毎年参加していた。ちなみに「謝恩会」という言葉の意味をよく考えると、卒業式がらみでは「学生が先生を謝恩する」形が想起される。しかし実際は全員会費制のパーティーであり、そのことに気づいた烏山先生が「卒業パーティーって言った方がよくない?」と進言したのはごく最近であった。あまりにも自然にその言葉が収まっていると違和感に気づかないものである。本コラムでは面白いのでこのまま「謝恩会」という呼び名で続けていく。
 
毎年の謝恩会の最後は、烏山先生による集合写真撮影でいつも締めくくられた。みんな最高の笑顔である。写真の質感も独特である。なにしろ烏山先生はプロカメラマンでもあるので、本来はお金を払った方がよいものである。一度一緒くたに一つのフォルダに収められる筆者の写真フォルダの中に混ざっていても、悔しいかな特殊な風合いである。そして日付を繰っていくと、在りし日の記憶が蘇ってくる。
 

13期:渋谷(宮下公園横)

 
筆者一押しの個性派集団:13期の謝恩会は、サイボーグ化が進行中の宮下公園を眺められるお洒落な渋谷のレストランを3時間程度借り切って開催された。
 
これは後から本人経由で聞いたことであったが、当時M1の新大久保くん(12期生・院生)は本チャンの卒業式で昏倒していた。元ヤン時代の古傷なのか、突如として貧血に見舞われることがあるという。それがたまたま晴れの舞台で起こってしまい、救急車で運び出されたというから驚きである。
 
しかしもっと驚いたのは、当の本人が治療を終えてこの謝恩会に出ていたことであった。さすがに安静にしておきなさいよと言いかけたが、元ヤン的には晴れの舞台は外せないのだろう。しかも彼が所属していた某体育会系の部活は出席がきわめて厳しく取り扱われており、欠席という概念がない中でこれまで生きていたとのことであった。大学の科目でも、さすがにそこまで厳しい出席基準を設けているものは聞いたことがないというか、その割に新大久保くんもゼミはちょこちょこ休んでいたような気がするが、元ヤン的には自然なポリシーらしい。ちなみに元ヤンの件(くだり)は、すべて筆者の想像である。
 
謝恩会では見え見えのサプライズとして、お世話になった先輩(先生、院生)へのプレゼントが用意されていた。先生や院生もそれを見越して、必ず餞別を用意していた。この辺りの伝統は、まあまあ他所でもありそうなものである。しかし実際送る側になってみると難しいもので、そこそこ記念品になりそうなものを探すのに毎年骨を折った。
 
ちなみに小金井さんは、周りが引く程度に泣いていた。一分の隙もない見事な引き際である。小田原くんは最後まで学生を送り出す先生の風格であった。
 

12期:渋谷桜丘町

 
その1年前の12期の謝恩会は、渋谷の再開発地域(桜丘町)のレンタルスペースのような場所であった。ちょっと場末感がすごかったが、室内は特に辛くもなかった。最後の最後になって笑顔のやりとりが増えてきた12期であったが、結局は13期の黄金の輝きに敵うことはなかった。
 
プレゼントへの餞別は、めでたく院生に進学することになった新大久保くんには誘導灯のレプリカを差し上げた。両の膝から崩れ落ちていたので、大事にしてくれそうだと思った。
 
ちなみに再開発地域はその後完全に外界と隔てられ、場末感あるビルもなにもすべて過去のものとなった。意味合いからしても、素晴らしい会場選定だったと思う。12期はやはり遅れてから結果を出す一団であった。ただし泣いてる人は特にいなかったと思う。
 

11期:新宿歌舞伎町

 
筆者一押しの能力者集団:11期の謝恩会は、歌舞伎町の雑居ビル内のバーを借り切って開催された。
 
場内は関係者全員がギリギリ入る程度の狭さであったが、誰も大して気に留めている様子はなかった。この年用意することになった餞別はたまたま全てがふわふわ女子向けであったが、唯一餞別担当から外れた北本さんにもかわいそうなのであげることにした。中身はラスカ熱海で見つけたスライム状の石鹸で、よさげだけれど全然熱海っぽくないなと渡してから思った。
 
このときは烏山先生が特に写真に残してくれていて、筆者もそこそこ良い笑顔で写っている。もったいないので、facebookのプロフィール写真に流用しちゃダメかな。
 
その後二次会か三次会まで付き合って、結局その日は都内で一泊した。しかし思い入れが大きかった割に、この時のことはあまり覚えていない。でもたぶんそれは、大きな問題がなく会が終わったからこそなのだろう。
 
いや、やっぱり、どう考えても、前の年のインパクトがありすぎたからだと思う。
 

10期:新宿歌舞伎町

 
一次会会場から少し歩いた場所にある二次会の会場は、何らかのクラブでした。ホストさんやお嬢さんはいらっしゃらなかったのですが、そうだと思う以外にないシチュエーションでした。
 
まず入口の前には、黒スーツと黒サングラスで固めた屈強な(たぶん)外国人さんが見張りをしていました。こういうエージェント・スミスな出で立ちの傭兵さん、実際の世界では初めて見たかもと思いました。
 
そしてビルのファサードはなんというか、女性モデルさんの尻で構成されていました。何言ってんだこいつって思われると思うのですが、そうとしか説明しようがない写真の看板でした。とにかく、尻が並んでいました。雑居ビルですからさすがにそのお店そのものにこれから入るのではないと思いたいのですが、みんなその看板に向かって歩かざるを得ないわけです。
 
さすがにこれは・・・と逡巡した参加者もいたようですが、あまり前で溜まっていると傭兵が動き出しそうなのでとりあえず入ろうという流れになりました。
 
漆黒のマットな壁で整えられた階段を進むと、確実にクラブっぽいフロアがありました。一行はさらに別室の、やはり全体が黒っぽい個室に通されました。全員着席の後に店員さんがやってきました。お飲み物いかがなさいましょうか。
 
おうおうどういうことじゃてめえなにやったかわかってんのか!指詰めろや指!という儀式が行われかねないような雰囲気と申しましょうか、この後に何らかのドラマが起こるしかないようなシンプルな空間でした。あるいはいきなりマシンガンを持った足立区の至宝たる監督が乱入してきて、間もなく全員蜂の巣にされまーすというレイアウトです。
 
そして部屋の入口付近では、謝恩会幹事の宇都宮くん(10期)が上野先生に土下座していました。清々しいまでに、自然と身の内から土下座衝動が湧き上がってきたかのような完成度の高い土下座でした。
 
組長もとい上野先生は終始笑顔でした。まあいいですよ。いや良くないんじゃないですかね!と心の中で相当早いツッコミを入れましたが、実際はとてもじゃないけれどそんなようなことを言い出せる雰囲気ではありません。強いて言えば他の院生とかが言っていたような気がしますが、まあでもネタ的には面白いよねということで誰もが現実を受け入れ始めていました。
 
いやだってこのビル、いわゆるお水とか風なんとかさん系のビルですよね。しかもかなーりディープな方だと思うのですよ。日本のお水の聖地たる歌舞伎町で、多数の尻を看板に掲げられるようなお店が半端物なわけがないんですよ。
 
てかどうして宇都宮くんはここを予約されたのですか。そもそも正気ですか。いやサークルでも仲間内でも、ゼミ仲間とでも公式イベントの後とかなら全然いいんですよ。先生いてるんですよ。どうして先生連れてきちゃったんですか。他の誰も大丈夫でも、先生に尻を乗り越えさせちゃマズいですって。事実上のゼミ公式行事の最後の最後ですよ。もうこれしか思い出に残らなくなるじゃないですか。
 
宇都宮くん(10期)の供述を人伝に聞いた限りでは、ホットペッパーかなにかで予約し、かつ立地の下見を怠り、当然お店側はWELCOMEという何重かの奇跡によってこの事態を迎えたとのことでした。幸いにもフロアは歌舞伎町にしては時間が浅かったのでしょう、他の客も入っていないような状況でした。
 
お店は別に問題ないわけです。でも教育上はですね。んーと教育上ですね、いやもうどうでもOK!
 
おそらくお店が本気を出す時間帯になる直前、二次会はお開きとなったのでした。あれですね、ヤンキースタジアムのグラウンドツアーのようなものですよね。よい社会勉強になりました。いやほんとに。レジ打ちのお兄さんと入口の傭兵さんに御礼を言って、一行は無事生還したのでした。
 
ていうかそもそも、一次会から会場がおかしかった気がするんですよ。同じく歌舞伎町の、やたら室内が暗い部屋で、やっぱり雰囲気が謝恩会の趣旨とマッチしないというか、まあでも居心地は悪くなかったのでそれはいいです。
 
それより戦慄が走ったのは、餞別渡しのシーンでしたね。烏山先生が全員分の写真を用意されていたのですが、当日になって来ない(そもそも出欠を伝達していない)子が居ましてね。
 
もうパーン!って音がしましたよね。銃声ではなくて、烏山先生が欠席した子の写真を床に叩きつけてたんですね。よっぽど悔しかったというか、やるせなかったのでしょうね。ほんとにもう、最後の最後までマズいですって。
 
ちなみに筆者にとっては、この時が初めての餞別用意側に回っての謝恩会参加でした。とりあえず頭クルクルパーっぽく、派手派手なサングラスでも渡しておこうと思って買いました。受け入れてくれるか心配でしたが、ウケてくれて良かったです。
 
お騒がせ10期は最後までお騒がせで、きっと今はそれぞれ就職した会社で最高のモチベーターとなっていることでしょう。
 

来たるべき修了式と謝恩会に向けて

 
ちょっと途中で思わぬ丁寧口調を余儀なくされてしまったが、全体的には楽しい記憶ばかり蘇ってくるのは幸せなことなのだろう。なにより卒業の瞬間をきちんと締めくくるというのは、とても大事なことだと思う。
 
筆者はこれまで基本的に、送る側一辺倒で謝恩会に参加してきた。しかしいつかは、送られる側になるのである。その時は、最上級生として何か偉そうに話した方が良いであろうか。
 
ちなみに博士学位の場合、総長から個別に学位記を授与されることになっていた。そのため名称も、「修了式」ではなく「博士学位授与式」となっている。そしてこれも完全に伝統であるが、博士学位を受け取る者は全員がアカデミックガウンを着用することになっていた。
 
アカデミックガウンというのはいわゆる式服で、W大では校章のモデルとなっている帽子も合わせて着用する。ガウンは裁判官が着用するようなシンプルな黒地のものだが、スクールカラーの臙脂と学位を示す二色の衣を上から羽織る形である。
 
いやー似合わないだろうと思いつつ、まずはそれを着られる目処を立てなければ話にならない。やるべきことをきちんとやりきらないと、ガウンも着られないし学位授与式にも出席できない。出るつもり満々だったのに論文が間に合わなかったら、その年度の謝恩会は少しだけ気恥ずかしいことになってしまいそうだ。
 
まあそれが何年後にせよ、おそらくこれが人生最後の卒業式(修了式)になるわけで。心密かに、楽しみにしておきますか。
 
 
 
写真の中のいつまでもあの頃でいてくれる学生たちをぼんやりと眺めつつ、筆者は論文のための写真の整理にふたたび熱を入れるのだった。
 
 
 
(初出:2021/02/01)