いんせい!! #26 大学院!!

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アイロン台と小型のアイロンがあれば、もうちょっと綺麗に仕上がったかなあ。下宿先の洗濯機で洗ったワイシャツのしわを取りたくて、ああだこうだと悩んだ日々を思い出していました。

 

#26 大学院!!

 
もういい加減身体がしんどいということで、博士課程突入後しばらくして筆者は下宿部屋を借りました。下宿場所の候補地として副都心な池袋やキャンパスに近い小手指も検討しましたが、結局は都心にもキャンパスにもすぐ行ける所沢駅付近に決めました。幸いにも好立地かつ静穏性の高い部屋を見つけることができ、ゼミの前泊・後泊や体調不良時の静養場所としてフル稼働してくれました。
 
なんちゃって所沢市民になって所沢市内を散策してみますと、物価の安さと閑静さにすぐ気がつくことができました。確かに夏はクソ暑く冬はクソ寒いのですが、下宿に戻ってくるたびにホッとしている自分がいました。外からの印象や評判とは裏腹に、所沢はとても住みよい街でした。あえて言えばちょっと道路事情がよろしくなく、金山町交差点の地獄ぶり、唐突に終わる所沢入間バイパスなどどうなのよと思いますが、それはこれからの市政に期待です。
 
下宿部屋にはとりあえず揃えられるだけ揃えてみたくて、結構まともに白物家電を充実させていきました。洗濯機なんて今思えば過剰投資なのですが、洗濯物がフワッフワになるドラム式の有能さに感動していました。ただし柔軟剤の入れすぎには要注意です。あと糸くずフィルターの掃除もとても大事です。
 
駅前のプロペ通りには徒歩数分でたどり着くことができましたし、所沢駅のグランエミオと西友は通学ルートの一部でした。西武百貨店は少しルートから外れていましたが、大規模再開発が進展中できっとこれからより充実することでしょう。駅改札口前に設置された重厚な工事用のフェンスが取れるまでには修了したいなと願いつつ、しかしもしそうなったら工事が終わる頃に自分はこの街にいないのでしょう。寂しいですが、そうなれば完成後にまた遊びに行きますね。
 
博士課程における通学面での多忙さのピークは2年目で、執筆にしゃにむに専念した3年目は部屋を活用する機会が減りました。しかしこの部屋が存在しているという安心感が、ラストスパートを支えてくれたと確信しています。実際に過労はかなりのもので、ゼミ後の一泊でお昼過ぎまで寝っぱなしということもそれなりにありました。昼下がりの所沢は晴れでも雨でも穏やかで、疲労困憊の心身にはとてもありがたかったです。
 
結局下宿部屋は博士論文提出完了まで維持しましたが、所沢で仕事に就くわけでもないため泣く泣く解約しました。一時でも世間から隔絶されていたいという思いから、結局最後までゼミ生や先生にさえ場所を教えずじまいでしたが、これから入居なさる方のことを考慮し、部屋の特徴や隣近所の思い出については胸の中に留めさせてください。
 
筆者が大学院への通学を完遂するにあたり、様々な人やモノに支えられてきたことは議論の余地がありません。モノとしての代表格が下宿部屋で、人については家族や友人やらもう書き切れないくらいです。一時はどうなることかと思えた博士論文も課程内の年限通りに締め括ることができましたが、それは支えてくれた人やモノへのせめてもの恩返しになったのだと思います。ありがとう、感謝しています。
 
さて、博士論文が合格となってからも、延長生(4年以上)は合格判定時即座に学位が授与されるのに対し、課程内(3年)の学生は3月まで学位を授与されません。理屈の上では当然で、3年間は在籍しなければ課程を修了したことにならないからです。
 
しかしさしもの博士課程も、もはやこれ以上の課題は与えてきません。そのためここに至った博士課程の学生は、あとは無事に生き延びて3月のその日を待つことだけが求められているといえます。大学院生活の放課後とでも言うべきこの時期は、しみじみと過去や人のことに目を向けるくらいしかないのです。
 

みんなのこれから

 
人のことという意味では、まずは上野ゼミのそれからについて。元ヤン疑惑のド根性野郎な新大久保くん(12期・院生)は、ルンド大学への留学を経てVRを用いた研究で成果を出そうとしています。実は筆者もそれなりに注目していたVRなのですが、お試しで酔うという恐ろしいまでの適性のなさから速攻で諦めていました。修士課程修了の暁には、より上級の誘導灯を差し上げなければなと思います。
 
続いて来期より新しい院生として、社会人の新大久保さん(仮名)が入ることになりました。同じ苗字なのですがこちらの新大久保さんは見るからに常識人で、これからの上野ゼミを理性的に牽引されていくはずです。学部生の期も15期(4年生)、16期(3年生)という陣容となります。もはや筆者を知らない学生たちによって、上野ゼミは新たな歴史を刻んでいくでしょう。
 
またゼミOBという観点で何名か紹介しますと、筆者を支え続けてくれた藤枝さんは東海地方にある千種大学(仮名)の教職の座を射止めました。W大在学中は常に忙しそうにしていましたので、千種大学では藤枝先生のペースで研究できるとよいなと願っています。他に本コラムに登場した院生の皆さんも、院生としてのキャリアが活きるスペシャルな職場への就職を叶えたようです。彼らの人生もまた続いていき、全員が同じ立場で相まみえることは二度とないのてす。
 
先生方は、在学中もおそらくその後も何の変化もありません。環境系のクマ様方も、変わらず阿修羅であり続けるでしょう。環境が許す限り、そうあってほしいものです。
 
最後に、オチがつきませんので筆者について。職業ではありませんが、大学の招聘研究員に任命されることになりました。研究を続けるに際しては、この立場で活動することになります。ただし今はバーンアウト気味と言いますかあまりその先を思い描けていないので、その後はそれから考えようかなというところです。いずれにしましても、基本的には4月から普通の社会人です。
 

人間科学とは?

 
書き残したことはないかなと振り返ってみて、そういえばこの学部のテーマについて真面目に書いていなかった気がします。学問領域に少しでも興味を持たれた方は結構な割合で疑問を持たれるはずです。人間科学とは?
 
大学のディプロマ・ポリシーや教旨については適宜ご参照いただくとして、筆者の思う「人間科学」を一足飛びに説明したいと思います。人間科学とは、「人間化」学(あるいは「科学の人間化」)だと考えています。そのこころについて、ちょっとだけ説明してみます。
 
人類が構築してきた様々な科学は、それぞれに人間の幸福や社会の発展を十分に見据えながら進歩してきました。その一方であらゆる科学はそれぞれが掲げる目的の高度な達成のため、人間を支持あるいは支配する「人間以上」の存在を生み出す宿命にあるとも言えます。それでなおすべての人間にとっての幸福がつつがなく実現していれば良いのですが、果たしてそれは真実でしょうか。人間を統べる科学の何かは、あるひとりの人間にとって本当に幸福なのでしょうか。よりよい幸福はないのでしょうか。あるいは不幸が潜在していないでしょうか。いずれにせよこの諸問題を解決するための基本的な視座として、「人間目線(人間化)」を軸としてみるのはどうでしょうか。
 
人間目線で考えるということは、取りも直さず様々な「科学」の柱を眺めることを意味します。その視点はそれぞれの科学(専門領域)がもしかしたら見過ごしてきた視点、あるいは向かうべき未来なのかもしれません。いずれにしても人間科学は、旧来の科学が積み上げてきた崇高な歴史と実績を前提としつつも、それぞれの価値が更に向上するような、則ち真の意味での人間の幸福に繋がるような道を指し示すことが至上命題なのです。
 
うーん、まだ75点ってところですかね。節目節目で考え続けて、まだこれからも考えていくのだろうと思います。人間科学部に所属する先生方もそれぞれにこの答えをお持ちのようですので、ぜひ訊いてみてくださいね。
 

ホントは色々あったのよ

 
本コラムを改めて読み返してみますと、色々上手くいったなあと思ってもらえるかもしれません。そうだとしたらとても嬉しいなと思う一方、なんのなんの大変なこともありました。
 
精神汚染度で言えば、応援していたとあるアーティストの違法薬物スキャンダルがピカイチでしょうか。あの日の西武新宿線の急行の車内で「ライブ延期」の第一報に触れたとき、冗談抜きに気が遠くなりました。年季が入っていましたので、それがただごとではないことくらいは直ぐに理解できたのです。現実はその予感すら軽々と凌駕して、大立ち回りの末に屋号は吹き飛びました。もちろん人は罪を償えば許されるべきですし、失地からの復活を応援していくのもファンの役目かもしれません。しかしその後のとても誠実とは言いがたい言動の数々が、いかに違法薬物が恐ろしいものかを教えてくれました。燃え尽きてしまいましたよ。今も胸が痛みます。
 
最近でも数少ない中高時代の同期に珍しくご飯を誘われて、日程を本決めしたうえで当日ドタキャンされたのもなかなかヘヴィーでした。社交辞令かなにかだったのでしたら、せめて日程を決めないで欲しかったです。気にならないと思いますけど、お金も時間もちょっとだけ掛かるのですよ。わかってはいましたがどうやら、筆者が現役時代の同期の人々に「同じ人」と見てもらえる未来はもう永久に来ないようですね。わかってはいましたけどね。今も胸が痛みます。まだまだありますよ。そもそもなんで修士の卒業式に出られなかったのかっていうと・・・
 
けれどきっとその数以上に、守られたものもあったのだと思います。例えば健康面。随所でご迷惑をおかけしてしまいましたが、入院加療を要するような疾病やケガとはついに無縁でいられましたし、海外でもなんとかやり過ごせました。交通警ら隊のパトカーさんにキップを切られることもありませんでしたし、お仕事を失うことなく過ごすことができました。もちろん信じてくれた家族や友人に恵まれたことも見逃せません。様々な幸運が少なからずの試練を持ちネタにしてくれました。改めて、感謝してもしきれません。
 
それでもあえて筆者によるファインプレーをおこがましくも取り上げるとすれば、目先の状況の改善よりバランスの確保を優先したことでしょうか。イメージとしては壁登りの最中、前向きな気持ちと等価以上に落ちないようにとの意図を込めた足場作りに余念がなかったということです。どんなに不格好でも、その都度安定する状況を作ろうとしていました。現状打破のために攻めダルマとなってゴールを目指すことも人や状況によっては正解だと思いますが、きっとそこまで若くないのです。まあ若い頃から、そんな推進力はなかったのですが。
 

大学院とは

 
最後に筆者にとって大学院の5年間を大局的に振り返りますと、初めての連続でした。
 
もうちょっと丁寧に示しますと、初めてがこんなにもあるのだということを体験し続けた日々でした。一方でその景色は、いずれも続きがあるかのような雰囲気でした。実際にもしも更に飛び込んだなら、もしかすると興味深い続きを見られたのでしょう。言うなればすべてが、情感の異なるプレリュードのような。さあ本編はこれからですよ、と強く指し示してくれるような。
 
一方で筆者は社会人学生という顔もあって、社会人に戻ることが自分の中でも約束でした。実際それがなかったとしても、博士学位取得者のメジャーな就職先である教職の道を志す可能性は低かったと思います。今のところですが、そんな器じゃない気がしています。
 
しかし実際に博士学位までたどり着くにあたって、心境が変わらなかったかといえば嘘になります。様々な初めてを乗り越えている内に、この知識と経験を生かす術はないかと考え始めました。取りも直さずその最適解は教職であり(常勤の)研究職なのですが、果たして本当にそれだけなのでしょうか。
 
答えというには不十分ですが、その道を見つけることがひとまずの新たな目標となりそうです。
 

卒業式と謝恩会に向けて

 
さて、あと残すは卒業式です。博士にとっては学位授与式ですが、ここは学部生に合わせて卒業式と呼ぶことにしましょう。
 
上野ゼミでは卒業式当日の夕方から夜にかけて、謝恩会(卒業パーティー)を開催することは既に書きました。サプライズのプレゼントや返礼の餞別を各自が用意することや、勢い余って二次会三次会に繰り出すことも恒例です。
 
そうやって過去の謝恩会の記憶を蘇らせていくと、そういえば博士の人は結構喋っていました。実は2015年春の学部卒業式後の謝恩会へ、筆者は上野先生に誘われて出席していました。烏山先生の撮影された集合写真を見てもその場にいた記憶が朧気でしたので、すっかり忘れていました。ただそこで、ゼミ1人目の博士学位取得者の藤代さん(仮名)が何事かスピーチしてました。
 
そうそう、その時の謝恩会では確か藤代さんから後輩の藤枝さんに「後はよろしく!」的な伝達式めいたことをしていました。今思えばあれは、プレゼントの返礼品か餞別を渡していたのでしょう。そうそれで、その時の藤枝さんは「無理です!」と即答していました。なにこの変なやりとり、と気持ち引いたことを思い出してしまいました。
 
それから5年、も経っているのですね。マズい、ちょっとかっこつけなきゃいけない気がしてきました。例えば今年共に卒業する14期の中で、一人だけ院に進学する大船さん(仮名)に何か為になるようなアドバイスを残せたらよいでしょうかね。この子は倫理観がゴミなのですが、小さな檻に閉じ込めなければ包容力のあるモンスターになります。藤沢ゼミの川越さんとは違う次元で、何でもやってのけられる大人になれるでしょう。ただしそのためにはいっぱい怒られて、同時に未熟な部分を匿い続けなければいけません。社会はなにかと余裕がないので、子供でいることにも努力が要るのです。
 
あるいは卒業していく子の中では、仲良しな新橋さん(仮名)と高田馬場さん(仮名)は面白い人生を歩むでしょう。どちらもちょっと雰囲気が量産型なのですが、無理に世間に迎合しなくても戦っていけると気づけてからが二人にとっての本編の始まりです。人生こんなもんかなんて安っぽいところで達観せずに、自分の本編を見つけて欲しいです。一方で栗橋くん(仮名)と羽沢横浜国大くん(仮名)は、もうちょっと自分の行いが周囲に影響を及ぼすことを自覚すべきです。きっと彼らが思っているより、現実のあなたたちはデカい存在なんですよ。あああと原ノ町さん(仮名)は、お身体には気をつけて。
 
それとももうちょっと全体的に響くような・・・
 
やーめた。やっぱりそんな器じゃないです。あときっとね、今の若い人たちには何を言っても響かないなって。何も言わなくてもそれなりに生きていける力を持った子たちですし、むしろ変な影響を与えないことが一番肝心なんじゃないかなって。どこかで幸せに生きてくれれば、もうそれ以上はないのですよ。もっとサラッと、短めにしましょう。
 
プレゼントと餞別の交換がひとしきり済んで、上野先生からきっとこう水を向けられるでしょう。
 
「それじゃ、上野ゼミ4人目の博士となったまさゆめさんから、学部生に向けて何か一言」
 
どうしましょうね。皆さんはどう思われますか。例えばこういう風に、
 
 
 
 (初出:2021/02/05)