復刻ぼべみあ:楽園なりニューヨーク・後編(2019)

※本記事は2019年6月に「note」へ投稿した記事のリライト版です。本記事公開後に執筆した「いんせい!!」と登場人物名を合わせるなどの修正を行っています。

 

#14

 

これぞ雨降って地固まるなのか、数日前まであれほど荒れ狂っていた夫妻もずっとおとなしいままで朝を迎えた。近くに位置するHYATT Grand Centralには申し訳ないが、今回はお世話になることはなさそうだ。あとホテルのフロントマンがいたく気さくで、とても心地よかった。支配人は彼の待遇をよりよくすべきである。名前は知らない。

 

さて、いよいよここから後編である。学会も終わり、本当ならトンボ返りしてもおかしくないところ、上野先生の意向と筆者の意欲がほどほどに合致し、二日ほどのアンコール日程が組まれたわけである。ちなみにこの旅日記で、多少時系列が前後している部分はあるが、基本的にはノンフィクションで構成している。筆者は今後もなにかにつけてノンフィクションをリリースしていこうと腕をぶしているのだが、個人が特定されるようなことはなるべく書かないように努めていくつもりである。特に心配性であるゼミの大船さん(仮名)は安心してほしい。

 

10:00 42St 街歩き

 

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さて、14丁目で行ったと同様に、42丁目界隈についても少し散策してみようと思う。といっても42Stは言わずと知れた都心部であるから、もし施設を書こうものなら既に多くの人が立ち入ってきた場所ということになるだろう。それでもよいのだが、せっかくなので今回はよりディテールに凝った部分をレポートしてみようと思う。

 

・街の喧騒

なんちゃってニューヨーカーになってから気づいたことの一つに、街の喧騒がある。結論から言うと、ニューヨークは基本的にやかましい。ほとんどはハンズフリー通話であるのだが、何も持たず喋っている歩行者の多いこと。あとは伝説上の存在と思っていた、ラジカセを担ぎながら歩く若人。通行人に話しかけまくる通行人。ストリートミュージシャン。緊急走行中のパトカーや消防車による荒っぽいクラクション。揉めてるのか再会を喜んでいるのかも分からない、当たりの強めな会話。そのすべてが不規則でありながら、全体としては東京のそれより温かみを感じるのが面白い。ニューヨークの騒音は、どれも人由来であることがそう思わせる要因ではないだろうか。東京も賑やかさ自体はあまり変わらないようにも思えるが、デシベルが全体的に抑え気味であることと、機械音(特にBGM)が多い印象がある。特にBGMやCM音楽は、単体ではまだポジティブであるのに、食べ合わせは非常に悪い。東京も、礼儀正しいという美点は保ちつつ、「音の景観」も考える時期に来ているのではないだろうか。

 

・似ている公共空間

42Stグランド・セントラル駅に繋がる地下道は、驚くほどシンプルな内装であった。シンプルを超えて、デジャヴを感じさせるような佇まいである。実はJ・F・ケネディ空港に降り立った時から感じていたのであるが、公共空間の寸法や色味のコンセプトは、意外なほど日本のそれとよく似ている。これは東京都心部というより、少し郊外の駅やアンダーパス、公共施設の気配である。思えば日本の「一時代前の現代的な造作」は、和の雰囲気がそもそも希薄である。生まれてこの方そういった景色が存在していたため違和感を覚えなかったが、一時代前の現代的な造作、はやはり外から持ち込まれたプロポーションであったのだ。そしてその源流はヨーロッパではなくアメリカであり、だからこそニューヨークにも「日本の地方的な景観」が刹那的に登場するのではないだろうか。日本の地方の公共物は、オリジナルがアメリカに存在する二次創作物なのかもしれない。

 

・Hey, Brother.

pod39には目に見える場所に売店がなかったため、近隣のスーパーに足繁く通うこととなった。というより、もはや普通のスーパーに入って買い物をこなすことの心理的な障壁は完全に取り払われていた。英語の能力が劇的に向上した訳ではない。ただコミュニケーションにおいて「伝える」ことを最優先する結果至上主義を受け入れてから、プロセスを気にする心は消え去っていた。例えばこのスーパー、地上1階・地下1階の二層構造であったが、日本にしかないようなものが大概売られていて、何のために日本から衣類やら絆創膏やらを持ち出したのかわからなくなるほどであった。よくよく考えれば、キズパワーパッドなど「Johnson & Johnson」というアメリカの会社の製品であるから、アメリカにないわけがない。もはや何でも揃えられる、という気持ちは心をまた一つ穏やかにした。

 

レジではアルバイトがせわしなく対応していた。「Hey, Brother」と彼は言った。信じられないことに筆者は「Yeah」などと返していた。たわいない会話でも、やりとりになっていることに静かな感動を覚えた。このとき初めて、外国かぶれの大人が学生に留学を勧める理由を心の底から理解した。日本に帰ってきてから英語能力を誇るのではなく、単に学生に見聞を広めて欲しいだけだったのだ。人はみな望む答えだけを聴けるまで尋ね続けてしまうものだから、単に尋ね続ければよいのだ。生活に困ることであれば、それでいつか伝わるのだ。となると今まで英語を押しつけてきた気持ち悪い人たちの中にも、本当はその気持ちだけで薦めてきた人がいたのかも・・・いや、それはないかな。思い出補正をもってしても。

 

なおポケトークは最後まで出番はなかった。よく考えてみて欲しい。レジの向こうのBrotherに対し、懐からいきなり機械を出して突きつけたらどう思われるだろうか。それは冗談としても、なかなかマイクを突きつけるというシチュエーションを作り出すことは難しかった。ただし自分で話しかけた文をかなりの精度で英語に訳してくれるので、勉強には悪くないツールである。

 

・Uber

ニューヨークにおいて主要な交通機関は、地下鉄、バス、タクシー、鉄道である。最近ではレンタル自転車という選択肢もあるようだが、ここに最近新たな選択肢が加わった。言わずと知れたUberである。初のUber体験は学会期間中、上野先生の現地集合仲間の一人である烏山先生(仮名)が利用したUberに同乗したことがきっかけであった。Uberの仕組みを簡単に説明すると、素人送迎サービスである(素人といっても、Uberでドライバーとなるには登録が必要)。普段は別の仕事を行っている人間が隙間時間で車を転がし、舞い込むニーズに柔軟に対応するのがUberの特徴である。利用者はアプリに現在地(乗る場所)と目的地を入力し、指定の車が目の前に着くのを待つ。ドライバー側には「○○通り○○番地へ行け」という指令が届き、その通りに動く。乗り込んできた客はドライバーに直に目的地を告げることはない。なぜならドライバー側のアプリに目的地が示されているからである。価格も基本的には乗り込む段階で決定される。ドライバーは多く人を乗せるほど(仕事を得るほど)多く稼ぐことになる。また、顧客からの評価もドライバーのステータスに影響を与えるようだ。話は長くなったが、マンハッタン都心部にはUberサービスで待機している車が溢れていた。そのため一度呼べば数分で車がやってくるのだ。利用客側には車種とナンバーが明示されているので、間違える可能性は低い。突発的な事情で乗せられなくなる、目的地が変わるといったことへの対応は試していないが、おそらく合理的な処置が行われるのであろう。値段はタクシーと比較して高い場合もあるようだが、完全なる door to door が実現するという意味では素晴らしいサービスである。今回はpod39から42丁目の少し北にあるMoMA(ニューヨーク近代美術館)を目指した。ドライバーは気さくな兄ちゃんだった。星5つにしておいた。

 

#15

 

・MoMA

 

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ニューヨーク近代美術館。その名前は遠く日本でもよく知られ、箱根彫刻の森美術館などでもオフィシャルグッズが売られていたと記憶している。なおここからはふたたび上野先生が同行している。

 

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新館は日本人建築家の谷口吉生によるもの(by上野先生)。すべてのフロアを繋ぐような大胆な吹き抜けが印象的な館内は、展示されている近現代作品に負けない迫力を与えてくれる。どうして日本にこういう建物を建ててくれなかったのかと思う。もちろんクライアントやら法令やら、現実的な理由はいくらでもあるのだろう。ただそういった制約が一切取り払われたとしても、ザハ・ハディドが設計した新国立競技場が一切形にならずに潰された経過を考えると、この建物のように思い切ったことができる環境は、日本にはほとんど存在しないのかもしれない。

 

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この美術館も基本的にはスナップ撮影がOKであった。アメリカにいるからといって日本のことをあまり腐してはいけないが、日本のほとんどの美術館の撮影禁止ルールは潔癖が過ぎると感じる。フラッシュなど作品に影響を与える行為は別であるが、芸術と市民を近づけるためにもうちょっと緩めて良い余地がある気がする。

 

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私的にはアブストラクト系が好きであるので、よく知らないがもうちょっと時間を掛けて鑑賞したかったところである。現代クラシックが音楽そのものの叫びであるなら、現代美術は美術そのものの叫びであると勝手に考えている。正しくても間違いでもかまわなかった。何かを感じることが答えなら、もうそれでいいと思う。冷静に考えれば、これが人体の美しさだ!と言いながら骨格標本見せられているだけのような気もするが

 

最後は土産物コーナーでまんまとトートバッグを購入。箱根彫刻の森美術館と同様の品揃えで、更には目立つところにユニクロとMoMAのコラボTシャツコーナーがあった。あれ、意外とこの美術館、日本のエッセンスも取り入れているのかも。

 

・グッゲンハイム美術館

 

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セントラル・パークの東側、アッパー・イースト・サイドに位置するこの美術館は、名建築家フランク・ロイド・ライトによって設計された、巻き貝のような外観が特徴的な建築物である。中に入ると外観の通りのスロープが何層にもわたって巻かれ、入館者はそのスロープを昇りながら、道中に鎮座する美術品を鑑賞していくことができる。

 

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この美術館も撮影OKの領域が多く、建築物や空間そのものを切り取ろうとする客も多数見られた。建物はモダンからポストモダンへと時代が移り変わっていた1959年の竣工で、独特の形状や動線から、建築許可や施工にかなりの苦難が伴ったことが偲ばれる。ただその甲斐あってかこの美術館は、世界にも類を見ない独創的な建築物として、今もなお建築史、近代美術史の双方に大きな影響を与え続けている。更に建築物の特徴について具体的に触れると、あらゆる寸法が独特で、維持費どうなってるんだろうという代物である。壁面や床はシンプルな白色であるにも関わらず、柱や壁には特別な形状が与えられ、一つ一つの空間に特別な意味を与えている。

 

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・・・これ以上書くと、この美術館への来訪を薦めてくれた(が諸事情でニューヨーク入りできず、この美術館への訪問も叶っていない)藤沢先生(仮名)に申し訳ないので伏せますが、建築デザインが個人に与える影響をわかりやすく体験させてくれます。みんな違ってみんないい時代とはいえ、傑作というものはやはり存在するのですね。

 

そして滞在七日目。遂にその時はやってきた。

 

#16

 

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12:40 ヤンキー・スタジアム

 

夢の舞台。至高のピンストライプ。元祖金満補強。優勝以外に意味はない。遂にやってきましたヤンキー・スタジアム。1923年に開場、幾多の名選手を生み出したスタジアムは、2009年に伊勢神宮式年遷宮のごとく隣の敷地へ移転し、リニューアルオープンしました。リニューアルといいながら完全な新築物件ですが、21世紀新球場の潮流である新古典主義のコンセプトと、過去のヤンキースタジアムが持っていたエッセンスを見事に両取りしています。今回はアメリカの野球場の防災面の課題の確認、もといベイスターズがワールドシリーズに出場したときの予習ということで、この夢の球場への入場が叶うことになりました。顔をそむけずに恥ずかしがらずに、生きていなけりゃここまで来ることはなかったと思うと、感無量です。

 

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数多のネット記事曰く「入場にはかなりの時間がかかる」とのことでしたが、確かにセキュリティチェックは厳重であり、炎天下でしばし列に並びました。しかし最近の横浜スタジアムの大混雑からすれば、全然良心的でした(横浜スタジアムも頑張ってくれてはいます)。チェックを通過し入場すると、そこは夢の劇場の上品なバックヤード。

 

今回は全体を俯瞰したいという上野先生の意向から、3Fフロアの最前列を確保しました。すごいでしょ。実はMLBでは「StubHub」というチケットリセールシステム(正確にはリセールを公式に委託されている業者)があり、持て余されているシーズンチケットなどが直前になると一定数出品されています。ヤンキースの場合は宿命のライバル:レッドソックス戦や同都市対決:メッツ戦、首位攻防戦やポストシーズンなどの人気カードチケットの入手は難しいようですが、今回のように「パドレス戦、平日、デーゲーム」という不入り要素満貫のカードは大量に安く出品されています。今回は価格が理性的、しかし強い印象が残るであろう最前列(row1)を選択し、今日の観戦に至りました。野球ファンの野球観戦にかける情熱をなめてはいけない・・・といいたいところですが、仕組みさえ分かれば誰でも購入することができます。

 

エントランスの1Fから3Fまでは、エレベーターや階段もありますが、最もポピュラーなルートはスロープです。単純に3レベルといってもスタジアムですから、実際は6階くらいまで上るような距離感です。しかし試合開始前とは偉大で、疲れなどを一切麻痺させる効能がありますね。入場から着席までの野球ファンって、気持ちが先走って幽体離脱できてるんじゃないでしょうか。このときの自分がそうだったかはわかりませんが。

 

3Fフロアのコンコースにたどり着き、座席のあるブロックへの通路を通り抜けると。

 

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美しい。それ以外の言葉は必要ありません。


甲子園球場のグラウンドを初めて見たときも感激しましたが、やはりヤンキースタジアムは別格でした。屋根が届いていないために陽射しが強烈ですが、このときばかりはどうでもよいことです。

 

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座席に着く頃、ちょうど試合が始まりました。先攻パドレスの攻撃。秋にヤンキースへの移籍をほのめかしつつ、パドレスへの移籍を選択した、要はヤンキースをダシに年俸釣り上げ工作をやってのけた3番:マチャドに厳しいブーイングがぶつけられます。

 

上野先生「どうしたの?急に」
まさゆめ「いえ、これはですね、恨まれてるということで」
上野先生「そうですか・・・」

 

実は上野先生は防災関係の専門家であるものの、野球の試合そのものに特に興味がないため、よく意味を理解せず着席していました。ただ最前列ということから、場内をしげしげと眺めながら「いい避難計画してるね」などとつぶやいていました。そうですか・・・

 

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試合は2回に入りました。鮮烈な第一印象も薄れ、ちょっと暑さが厳しくなってきました。この回を終えたところで一旦場内巡りすることに。

 

先生「遠くても意外とボールって見えるんだね」
まさゆめ「はい」
先生「もっとこう、ホームランって打たないの?」
まさゆめ「はい?」

 

ホームランを打てのサインはないんですよ、先生。そんなものがあればとっくに出して、と言ったくらいのタイミングで、パドレスが先制ホームラン。

 

先生「おお、でも静かだね」
まさゆめ「・・・ビジター球団ですから」
先生「じゃあヤンキース、ホームラン打って!盛り上がってるところが見たい!」

 

ホームランを打てのサインはないんですよ、先生!野球はそういう競技ではないんです!


などという趣旨のことを非常にまろやかにお伝えしていたところ、なんとその裏、ヤンキースが反撃のホームラン。場内大歓声。

 

先生「おお、盛り上がるねえ」
まさゆめ「・・・ホーム球団ですから」
先生「でもさ、このチームって本当に強いの?」
まさゆめ「は、はい?」

 

いやまあ、諸説はありますが皆英雄だと思いますよ!

 

先生「今打席に立っているのが・・・ガードナー選手?うまいの?」
まさゆめ「うまいです!今日の打順9番だけど!」
先生「うまいならホームラン打て!ほら打つんだ!」
まさゆめ「・・・」

https://www.youtube.com/watch?v=t73WTjcP5lQ (件の場面は2分17秒から)

 

先生「すごいねえ、うまいんだねえガードナー選手」
まさゆめ「・・・」

 

ホームランのサインってあるんですね先生。というか、先生っていついかなる時でも結果を残しちゃうんですね。サムライブルーに欲しい決定力です。おみそれいたしました。

 

ちなみにヤンキースタジアムの右翼フェンスは横浜スタジアム並みに近いので、実は相当にホームランが出やすい環境であることは内緒です。

 

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気を取り直して、場内巡りを始めます。
ヤンキースタジアムはバックネット裏などのVIPゾーンを除き、コンコースは自由に往来することができます。通路での観戦はさすがにNGですが、スナップ写真などは撮らせてもらえました。サービス精神も一流ですね!

 

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ただ素晴らしい施設に反して、売店などの列はかなり流れが悪い様子でした。需要予測の不備かレジ打ちの練度が低いのか、キビキビと流れている売店はほとんどなかったように思います。これだとどれだけ人が入っても、人が消費できるお金に限りが出てしまいますから、マイナスです。というより、横浜スタジアムやら神宮球場の売り子さん達は、本当に手際が良いことが分かります。ビールいかがですかー!の眩しい掛け声と笑顔は、世界レベルでした。

 

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3Fスタンドから2Fスタンドへ移動しました。こちらは熱気がこもっており、やや空気が淀んでいました。デーゲームゆえの事情でしょうか。観戦するにはあまり気にならないポイントですが、コンコースの居心地はよくなかったです。観戦環境自体はどこからもグラウンドがよく見えるため、申し分なしです。

 

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巡回で一番テンションが上がったのは外野ゾーンに足を踏み入れた瞬間でした。メインデッキは観光客やファミリー層も目立ちましたが、こちらはいかにも常連の雰囲気を漂わせる人々が多かったような気がします。昔から見慣れた、外野からの景色はヤンキースタジアムでも絶景でした。基本的に鳴り物応援のないMLBですが、外野は自主的に「Let’s Go Yankees!」と叫んでいる酔っ払いが多数いました。応援歌の有無はあれど、根拠なくゴキゲンなおっさんが管を巻いているのは世界共通ですね。

 

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中盤、ヤンキースに中押しのチャンスが訪れます。場内はますますヒートアップ。ここまでホームラン以外はマチャドへの八つ当たり以外の反応がなかったスタジアムでしたから、とても楽しい瞬間でした。ニューヨーカーといえば、結果を出せば大喝采、出さなければ非難轟々というイメージでしたが、さてここではどちらが聞かれるのか。
2死1・2塁、カウント3−2。

 

結果は空振り三振!

 

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そのときの1塁側の雰囲気は、完全なる無反応でした。無反応というのは言葉を失うということではなく、「チャンスなんてなかった」「野球なんてやってなかった」といわんばかりのリセットぶりでした。これは驚きでした。日本ではどの球団でも、ホームチームの逸機には「あ〜」といったため息が巻き起こります。それがブーイングになることは極めて稀ですが、何の反応もないことはほぼありません。あ、10年近く前の横浜スタジアム、500人しか客がいなかったときは何もありませんでしたが。それがヤンキースタジアムでは、割と不入りのカードでありながら3万人近くいる状況で、ため息が聞こえなかったのです。


勝利にしか興味がない。失敗をなじっても勝利には結びつかない。落ち込んでいる暇があるなら次のチャンスを活かせ。ヤンキースファンの高い志を肌で感じた瞬間でした。

 

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場内一周と土産物購入を果たし、再度3Fの自席へ。直射日光は相変わらず強めでしたが、しばらく観られないであろう景色を目に焼き付けていました。ただ、今日はこの後にもう一つの見所に向かわなければなりません。本当は名残惜しいのですが、最後まで見ていては数万人の帰宅ラッシュに揉まれること確実です。8回裏が始まったくらいの頃、体力のある内、空いている内に、スタジアムを後にすることにしました。まあ、ベイスターズ戦じゃないから、そこは納得しています。


また来るよ、ヤンキー・スタジアム。次は真のワールド・シリーズで。

 

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場外に出て記念撮影。や、この衣装も敵情視察の一環ですって。ちなみに背番号は19番マー君です。マー君がマー君着てます。その事実に上野先生は無反応でしたが、写真は撮ってくれました。

 

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ちなみに言い忘れましたが、ヤンキー・スタジアムはあの要警戒地域:サウスブロンクスにあります。ヤンキースの別名が「ブロンクス・ブラザーズ」ですから、地名を厳密に球団名に取り入れるなら「ブロンクス・ヤンキース」です。途端にヤバい人たちの集まりみたいな球団名になってしまいますが、でもそういう荒っぽいところと上品さが背中合わせで共存しているのは面白みがあります。だいたい野球場なんて、繰り返しになりますがそもそもいつの時代も治安が微妙なところにあるわけですよ。一昔前の横浜スタジアムですら、根岸線を越えた先に間違って足を踏み入れた時にちょっと震えたくらいですから(今は全然です)。平和台球場なんてどこが平和なのかというような血塗られた歴史があるようですし、東京スタジアム(光の球場)なんて下町のど真ん中。川崎球場は工業地帯にありすぎて遂にスタンドを取り壊してしまいましたし、西武ドームには今も山賊が出ます。

 

さて、ヤンキー・スタジアムの最寄り駅「161St Yankees Stadium」に戻ってきました。地上に緑の4号線、地下にオレンジのB・D線が乗り入れ、マンハッタンの各所から直接ここまでたどり着くことができます。ちなみにガチの治安の状況としては、ヤンキースタジアムと駅の間で何かに巻き込まれる可能性は低いですが、スタジアムから一歩でも離れると映画で観たようなちょっとやんちゃな街路が目に飛び込んできます。これは確かに行かない方がいいかも。というか、横浜スタジアムも根岸線から反対側の方はやっぱりあんまり行かない方がいいかも。

 

飲み過ぎて帰れなくなりますよ。

 


#17

 

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18:00 ハドソン・ヤード(Hudson Yards)

 

ヤンキー・スタジアムでの興奮体験を経て、上野先生と筆者は34丁目ハドソン・ヤードにやってきました。筆者は実は二度目ですが、一度目の記憶はもはや確かではないので、実質初訪問です。

 

 

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このハニカム構造のまつぼっくりは「Vessel」という作品です。入場(通路内立ち入り)には事前予約が必要で、全く想定していなかったので外から眺めるだけに。個人的にこれはメインディッシュじゃないので全く問題なしです。また来るよ、まつぼっくり。

 

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ハドソン・ヤードにある商業棟(ショッピングモール)は、これまで観てきたニューヨークの公共空間でぶっちぎりアメリカっぽくない空間でした。アメリカっぽくないというか、これ、ららぽ~とです。商業棟のデベロッパーはカナダの会社のようですが、アメリカにありがちな原色ぶっ込みインテリアは影を潜め、古典でもアメリカンでもない空間を創出していました。実は屋内の色調と、外の広場のまつぼっくりはリンクしているのかもしれません。両名はキャンディなどをお土産で買い込み、2階は特に日本だねなどと感想を述べつつ退出しました。2階のテナントはユニクロと無印良品でした。ちなみにハドソン・ヤードのオフィス棟(建設中)は三井不動産が取り仕切っているとのことなので、冗談抜きにこの再開発にはジャポニズムも反映されているのかもしれません。

 

18:30 ハイライン(The High Line)

 

色々巡って発表して、それでも捨ててしまえないものがまだありました。やっとやってきました、ハイライン。

 

上野先生「最初から歩く?それとも途中から?」


だいぶお疲れなのかもしれませんが、最初から歩かないとちょっと意味がありません。


先生「じゃ、最初から歩きますか・・・」

 

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ハイライン。単純に言えば高いところにある遊歩道です。また、廃線の路盤を活用した遊歩道というのも、世界中にあるでしょう。

 

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しかしその条件が重なり、かつ過去を偲ぶように線路が残されている演出に、この旅行で最高の感動がやってきました。入り口の段階で、もうここから離れたくないと思わせるような。

 

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遊歩道は概ね歩きやすいように整備されていました。ただ往時の線路もなるべく残そうとしていて、危ない箇所は立ち入り禁止(廃線跡がそのまま)となっていました。廃線跡がそのまま。これなのです。最高にエモいポイントは。

 

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すべての箇所ではありませんが、遊歩道の半分は線路が温存され、そこに草木が生い茂っていました。おそらくこの草木は、廃線後に自生した木々をメインとしているのでしょう。はっきり言いましょう。これは鉄道です。この線路は、生きています。

 

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ただただエモい。

 

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ただただエモい。

 

後から調べたところによると、ハイラインは元々パリにある同様のコンセプトの遊歩道を参考にしたとのことでした。パリ行ったときに行けば良かった。東京で同じことができるかと言われれば、廃止になった高架橋自体が稀なので、しばらくは無理でしょう。物理的なことを言えば可能性はあります。でもそれでも、このハイラインには叶わない、同じものはできないんじゃないかと思います。それはマンハッタンの林立するビル群の存在です。これだけ超高層ビルが軒を連ねている街はやはり今のところニューヨーク以外になく、これから中国やらドバイやらでできるかもしれませんが、それらではここまで道幅が狭くとられることはないだろうとも思います。古き良き街区の寸法の谷間を通る天空の遊歩道は、ここでしか見られない景色といえます。言うなれば世界唯一の高所感、得も言われぬ浮遊感、でしょうか。

 

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振り返ってもエモい。

 

線路の横を歩いていると、往時の貨物輸送に関わった人々の自慢げな声が聞こえてきそうです。俺たちは毎日こんな景色を見ていたんだぞと。

 

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ハイラインの数奇な運命は、廃線後しばらくの放置、そしてあわや解体工事着手というところまで取りざたされた頃から変わり始めたようです。解体か活用か。決断を下す担当者は現場のこの景色を眺めて、直感的にこの未来を描いたのでしょうか。だとすれば天才的です。でもそれが起こったのだと信じたくなってしまいます。今、ハイラインの線路は、錆びてこそいますが、路線の歴史の中で最も輝かしい時代を迎えています。その輝きはこれからも、未来永劫、続いていくことでしょう。

 

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ただただエモ

 

上野先生「えーとね、この道を下りた先に、N先生がお薦めのレストランがあるんだけど、行こうか」

 

えっ!あと3分の1なのに!もうちょっとくらいいいじゃないすか!こんなのビッグサンダーマウンテンで途中下車するようなもんじゃないすか!危ないじゃないすか!殺生じゃないすか!

 

などと内心思いましたが、ここまで歩きっぱなしといえばそうでしたし、お腹も減りましたよね。仕方ない、一旦降りますか。

 

また活力が湧いたところで、残りを歩ければ歩きましょうか。

 

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まず、レストランはそんなに近くありませんでした。アベニューを3本くらい通り過ぎました。なんならハイラインを最後まで行って戻るくらいできる程度の距離を歩きました。やっとたどり着いた頃にはもう陽が暮れていました。N先生お薦めのレストランは、確かに美味しいハンバーガーを出すお店でした。というかN先生、我々の行程に影響を与えすぎではないですか。それこそ筆者がヤンキー・スタジアムとハイラインをねじ込んでなかったら、もう完全試合だったんじゃないでしょうか。なんかもう、色々と危ないところでした。

 

食べ終わる頃には完全に夜が更け、ハイラインの残りを歩くミッションは幻となりました。確かに筆者も疲れていました。iPhoneの万歩計は計測以来のレコード歩数をたたき出していますし、じっくり歩けただけで感謝すべきかもしれません。ハイライン自体、今後更に整備されるそうですから、残り3分の1と新路線は再度乗りに来るとしましょう。

 

生きる理由がまたひとつ増えました。

 


#18

 

21:00 タイムズ・スクエアふたたび

 

心の中ですっかり意気消沈した筆者ですが、そういえばまだ残っていたタスクがありました。お土産です。これまで書いてきたように、お土産は随時買い込んではいました。しかしどうもジャストミートするものが見当たらず、ここまで来てしまいました。

 

これまた二度目のタイムズ・スクエアになります。一度目は忘れました。

 

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夜のタイムズ・スクエアは完全なる異世界でした。あ、これは見たことある景色だ。さすがにそう思いました。


世界の交差点とはよく言ったものです。もはや交差点付近にたむろする人々は、何処を目指しているのか何のためにいるのかもよくわかりません。ただ人がいる。それもかなりハッピーでいる。潮の満ち引きのごとく寄せては返す渋谷スクランブル交差点も面白い場所ですが、タイムズ・スクエアは不滅のアメリカを象徴するかのような輝きに包まれていました。煌々と光るLEDビジョンの上で、それでも月は輝いていたように見えました。あるいはあれもビルの灯りだったのかな。

 

気を取り直して、お土産です。タイムズ・スクエア周辺にはたくさんの土産物屋がありました。しかしやはり、主要アイテムはどれも同じに見えてしまいました。もうI♥NYが目に焼き付いて離れません。さすがにこれを買い込んでお土産とするのはもらう方も微妙かと思い、ここでの土産物も最低限となりました。なぜ土産物なんて買うのだろう?と帰りの機内でずっと考えていました。

 

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(写真は交通博物館)

 

マンハッタンで最後に乗った地下鉄はシャトル便(S線、42丁目シャトル)でした。このS線は、タイムズ・スクエアとグランド・セントラルの間の1駅を延々と往復しているクレイジーな路線です。真下には7号線が通っているのにもかかわらずこのシャトルが存在しているということは、いかに両駅間の移動需要が旺盛であるかを裏付けているのかもしれません。また地上に目をやると、両駅付近には中距離・長距離列車の終着駅「グランド・セントラル(Grand Central)」と長距離バスターミナル「ポート・オーソリティ・バスターミナル(Port Authority Bus Terminal)」があり、シャトルは相互の接続を図る目的もあると考えられます。なるほど、アルタ前とバスタを結ぶシャトルがあったら、新宿よくわかんないから乗っとこうって考える人は多い気がします。

 

果てしなく長かった体験版ニューヨーカーとしての一週間が終わろうとしています。随所で心残りを置いてきましたが、そもそもニューヨークは一度二度の訪問でコンプリートできるような広さではありませんでした。よく考えてみれば、カーネギー・ホールもマディソン・スクエア・ガーデンもメトロポリタン歌劇場も行けていません。その原因の過半数は自分にあるとはいえ、もうちょっと頑張らないと、という思いだけが募る最終日の夜でした。

 

#19

 

この一週間、危ない目には一度も遭わなかったと思います。小競り合いやら言い争いは少し見ましたが、銃やら凶器が行使されたといった修羅場は見ませんでした。それだけに最終日の朝、テレビの中で繰り広げられていた登戸の惨劇が日本での出来事だと理解するのに少しだけ時間が掛かりました。来日中の大統領が哀悼の意を表し、全く以て同じ気持ちでした。日本が銃社会でないことで守られている安心は少なくないはずですが、それだけでは守り切れない陥穽があることに、日本人の誰もが自覚的にならなければならない時代なのだと思います。遠くの空から、犠牲になられた方の冥福を祈りました。

 

#20

 

最終日の朝は、昼に発つ飛行機に備えた移動のみがミッションでした。さっそくUberを活用し、J.F.ケネディ国際空港ターミナル7へ。あれだけ地下鉄にご執心だった筆者ですが、地下鉄は思いのほかバリアフリーではなく、かつエレベーターを安易に利用するほど油断もできなかったため、安心確実なUberを選択したまでです。

 

上野先生「N先生が、空港のハンバーガーが美味しいよって」

 

またN先生ですか。もはやフィクサーですねN先生。しかし朝ご飯を食べていなかったこともあり、せっかくなので空港のハンバーガーを買うことに。注文から焼き上げまで20分もかかりましたが、美味しかったことは美味しかったです。N先生もN先生で結果を出しちゃうんですね。先生という人種はどんな形でも結果を出す生き物である。大切なことを学びました。でもほんのわずかでも、旅の終わりでも、ニューヨークの記憶を焼き付けられるイベントがあったことはよかったと思います。ハンバーガーを完食してしばらくすると、いよいよ帰りの飛行機の搭乗時刻に。

 

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帰りの機内では、往路では温存した映画を観ることに。特に「ボヘミアン・ラプソディ」をじっくり観ました。クイーンの曲をすべて知っている訳ではないのですが、確かにかなり時系列順に名曲がプレイされ、最後の「LIVE AID」のシーンは迫力がありました。まあ一番良いなと思ったのはエンドロールの「Don't Stop Me Now」でしたが。

 

いやもう、復路の体感なんて往路に比べたらこんなもんですよ。あとこの写真の地球いくらなんでもデカくないですか。土星くらいありそうですよ。

 

#21

 

土曜の夜が金曜に変わることでもない限り、アメリカから日本への渡航は日付がばっちり1日進みます。ニューヨークを昼に飛び立った飛行機は夕方に日本に到着し、地味に真夜中の身体をまた混乱させてきます。しかしフィジカル夫妻はここでもだんまりでした。久々の日本の安堵感と湿気が安心させたのかもしれません。またこの日を境に猛暑日が一段落したとのことで、その直撃を受けなかったことは幸いでした。上野先生ともここでお別れです。これからも結果を残す先生でいてください。

 

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成田空港駅からは成田エクスプレスで品川へ向かいました。本当に日本を感じたのは、ホームのキオスクで水分とプリッツを買った際、合計額が200円台だったことでしょうか。安い。東京の物価を安いと感じたのは初めてのことでした。

 

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帰宅すると、葵ちゃんは完全にヘソを曲げていました。しばらくは何の反応もしてくれませんでしたが、どうも幻か何かだと思っていたようです。ごめんね葵ちゃん、蘇ってきましたよ。

 

さて、ここまで一週間の旅行記、久々のぼへみあとなりましたが、ちゃんと読み切った人はいるのでしょうか。いたならいたで、お疲れ様でしたと申し上げたいです。急にメタ視点で語ると、今日日ニューヨークに関する旅行記や滞在記は無数に存在するでありましょうし、筆者の数少ない友人知人の中でもニューヨーク訪問経験者は多いんじゃないかと思います。客観的には踏み慣らされた大都市への旅行記をしたためることに何の意味があるのか、とも考えました。

 

しかし旅を終えてみて、かつ旅行記を書いてみて感じたことは、自分にとっての旅行とは過程なのだと思います。これからも、素敵な過程が書けそうな旅をできたらな、と思いを新たにした次第です。そしてもう一つ総括すると、陳腐なものになりますが、やはり旅行は楽しいものだということ。それを感じさせてくれたニューヨークは、底知れぬ魅力がある街なのでしょう。

 

でもニューヨークで最後までわからなかったものがあります。それはお土産です。


日本の主な都市にはマスコットかなにかのように名菓がありましたが、ニューヨークでは「I♥NY」以外にピンとくる土産物はなかったように思います。一体何が正解だったのか。トランクの荷物をほどいて、一応買い込んだお土産を取り出していきます。

 

14Stユニオン・スクエアで購入したチョコレート。本当に時差はきつかった。

 

学会セッションで購入したトートバッグ。神妙な気持ちになったな。

 

ヤンキー・スタジアムで買ったマー君のユニフォーム。デカいな。

 

交通博物館で買った地下鉄のマークが入ったメモ帳。もったいなくて使えないな。

 

なるほど、お土産ってこういうことだったのか。一週間とはいえ濃密な時間を過ごしてきた中、その時々のエピソードを思い出すよすがとして、お土産は機能するんだな。そっか、じゃあこれだけニューヨークに魅了されたんだから、やっぱり「I♥NY」を買ってみてもよかったんじゃないか・・・

 

や、そこかしこで売ってたから何も思い出せないわ。

 

(了)