いーすく! #14 大会発表!

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冬の名残がまだある2月、ゼミ生一同は所沢キャンパスに集まっていました。大会発表の準備のためです。
 

#14 大会発表!

 

もうひとつの卒論、「要旨」

前回コラムでは卒論を書き上げるまでの右往左往をお伝えしましたが、そこで書き忘れたことがありました。それは卒業論文本体と共に提出が義務づけられた「要旨」の存在です。
 
卒論の提出要領には卒論本文に加え、所定の書式1ページに収めた卒論要旨、要は要約した卒論を添付することが必要でした。この要旨、仮に60ページの卒論を要約するとすれば、情報量を実に60分の1に抑えなければならないかのようにも思えます。そこがまさに工夫のしどころで、あれだけ悩み抜いた論理展開を一旦背骨だけにして、必要最小限度の肉付けを行うことを求められます。そのさまは高速走行でいきなりバックギアに入れるかのごとき難しさで、改めて自分の論理構造が「構造」と呼ぶにはあまりに複雑怪奇であったのかを思い知らされます。
 
もちろん、そうはいっても書き上げなければ卒論は提出できません。先生の中には卒論本体より、短い時間で内容を把握できる要旨を重要視するという場合もあるようで、油断することはできません。時系列的には卒論を本体を書き上げた三が日の後、本提出前の僅かなインターバルを活用して、なんとか書き上げました。そして口頭発表を終え、卒業の二文字がやっと現実の物となるかならないかの頃、ゼミ生の2名が所沢キャンパスに招集されました。大会発表への準備、いわゆる「梗概」を書くためです。
 

もうひとつの卒論、「梗概」

 
また某ヨーロッパの某連合王国の紳士も真っ青な二枚舌見出しになってしまいました。これから取り組むのは、ゼミが属する領域の学会(A学会)で年に一度行われる全国大会での発表原稿、いわゆる「梗概」の執筆です。
 
梗概とはぶっちゃけ「要旨」とほぼ同じ意味で、この学会の場合は所定の書式2ページに収めることとなっていました。仮に60ページの卒論を要約するとすれば、情報量を30分の1に抑えなければならず、工夫のしどころです。しかし卒論の要旨と比較すると2倍書けるわけですから、まあ要旨を2倍に膨らませればいいじゃないかって話です。
 
しかしやはりというか、その考え方だとだいたいうまくいきません。これは写真の解像度を考えてもらえば分かりやすいでしょう。フルサイズで撮影した高精細画像を小さい記事に掲載すべく、長辺480ピクセルに圧縮しました。しかし今度は少し大きめの記事に同じ写真を用いる必要が出てきました。ここに480ピクセルの画像を2倍に引き伸ばして貼ってみますと・・・
 
もう、なんで最初に言ってくれなかったんですかね上野先生は。小さくした画像を無理矢理引き伸ばしたりしたら印刷屋さん怒り出しますよホント。とぼやいても後の祭り、結局卒論本体を一から読み直し、拾うべき項目を自分なりにチョイスして、改めて梗概を組み立てることにしました。激しい幻聴、蘇る卒論の追い込みの日々。選んだテーマは今も興味があるものですし、説明できるといえばできるわけですが、考えるたびに悩んだ日々の傷跡にも触れることなりますので、なかなかしんどいものです。
 
それでも少ない知恵をしぼって小さくまとめ、先生と教育コーチのチェックを経て、投稿は締め切り(4月上旬)の数日前に完了しました。冷静に振り返ると要旨も梗概もなかなか粗っぽい出来なのですが、当時の自分は「いちいち頑張ったんだよ・・・」という努力の跡さえ伝わればいい、と思っていました。実際、一歩を踏み出したことは大きな出来事であったと今でも思います。ただまあはっきりいって、頑張ったんだなということもそんなには読み取れないような原稿ですけれど。
 

(良い方の)デジタルタトゥー

 
さて、要旨と梗概の物理的な違いについて紹介しましたが、実はもっと根本的な違いがあります。それは内容がCiNii(サイニー)に掲載されるか否かです。これには卒論が基本的には学内向けの論文であることに起因します。実は、卒業論文はそれだけでは世界に公表されません。あれだけ頑張ったのに、夜討ち朝駆けで書き切ったのに、その結晶が所沢キャンパスの豊かな自然の外に出ることはないのです。なんとなくのイメージとして、論文=世界に発表されるもの、と思いがちですが、実際に世界に発表されるためにはもうひと手間が必要です。
 
そのもうひと手間とは何か。色々あります。大学によっては自ら「紀要」などの論文要旨掲載誌を発刊したり、単純に内容を開示するだけでよいなら、ゼミが開設しているウェブサイトにデータを掲載するという方法もあるでしょう。しかし最も効果的なのは、著名な学会が主催する大会へ投稿することです。
 
若干のタイムラグはありますが、投稿に関する情報は国立情報学研究所が管理する「CiNii Article(サイニー・アーティクル)」というデータベースに掲載され、原稿は科学技術振興機構が管理する電子ジャーナルのデータベース「J-STAGE(ジェイ・ステージ)」に収納されます(2020年4月現在)。論文に手を染めたことのある日本国内在住の方なら多くがフル活用したであろうCiNiiでエゴサーチをかけると、自分の論文が出てくるようになるのです。これは一生の記念です。ひ孫の代まで自慢できます。良い方のデジタルタトゥーです。しかも今日日、あまり良くない意味でのデジタルタトゥーは気持ち次第で消せるようになってきましたが、こちらはなかなか消せそうにないですね。いや、消さないでください。
 
などと上野先生にそそのかされ、筆者はまんまと作業に着手することにしたのでした。
 
ちなみに学会が主催する大会への投稿には学会員となることが必要ですが、このA学会の場合、学生向けの準会員(年会費などが割安)という資格を用意するなど、学生発表者への配慮が垣間見られます。また大会の梗概は査読(専門家による内容チェック)がないため、ここだけの話ですがやりたい放題です。本当にやりたい放題をやり過ぎるとさすがに学会の大会運営を司る人々に見つかって怒られてしまいますが、基本的には「この見出し、二枚舌じゃないか!」などといった内容面への指摘を受けることはありません。そうはいってもあまりに幼稚であると大会発表に相応しくないので、そこは先生がお目付してくれます。
 

発表は9月!

 
春先の空騒ぎのことはすっかり忘れ去った9月、A学会大会の本番です。日程自体は投稿の段階で分かっていることでしたが、結構なインターバルです。人間半年もあれば色々あるものですから、大会のことはものの見事に忘れ去っていました。いよいよ当日が近づいてきた8月下旬、そういえば発表が間近だったといきなり慌てふためいた当人、先生、教育コーチが再集結し、卒論を読み返し、梗概の内容と齟齬がないように発表スライドを作り、発表と想定される質疑の練習をひたすら繰り返したのでした。
 
大会の会場は、なんと神奈川県の西部、筆者の住む地域から車で1時間とかからない山奥に位置するT大学平塚秦野キャンパス(仮名)でした。あの所沢キャンパスと比較すれば(個人的には)近いのなんの、買い物のついでに立ち寄って発表できそうなレベルです。近くには大学名を冠した駅があり、電車で行くことも可能な場所でしたが、どうも駅から延々と登り坂を歩かなければならないという宜しくない情報を聞き入れ、車で向かうことにしました。ただ駐車場がなかったため、近くのコインパーキングに駐車しました。
 
大会は3日間の日程で開催されていました。3日にわたり、会場内の数十箇所(教室)で、ジャンルが細かく分割されたおびただしい数の発表が矢継ぎ早に行われていきます。筆者は3日目(最終日)の午後という、お世辞にもあまり注目されなさそうな時間帯に、まばらな数の聴衆の前でひっそりと発表を終えました。卒論の口頭試問でも聴衆は10人居たか居ないかのレベルでしたが、今回もそれくらいでした。発表が炎上しなくて良かったなと思う反面、あまり注目もされなかったなという複雑な心境でした。まあでも、いいでしょう。とちったわけじゃない。たぶん。
 

大会の正しい楽しみ方

 
ちなみに大会というのは発表を行うだけが目的ではありません。発表を聴くことが大事です。しかし先述のように、大きな学会の全国大会となると参加者も発表の本数も膨大です。加えてほとんどの学会では毎回それなりのテーマが設定され、それに合わせて高名な先生方を集めたシンポジウムなどが開催されます。よって全部聴くのは無理です。TDRのアトラクションやイベントを一日で全部乗って観て味わうくらい無理なことです。そのため参加者は、各自それぞれの興味に合わせた聴講計画を立てます。ちなみに発表には会員資格が必要ですが、入場(聴講)は入場料を払えば誰でも可能です。
 
そしてこうした大がかりな大会のもう一つの側面が親睦です。大会とは則ちその領域に関する同志が集まる場であるわけですが、通常、同志は全国の大学や企業、研究所といった職場に散り散りになっています。加えて研究者というのはほぼすべての場合、その人が関わった大学、研究所や会社などがあり、お世話になった先生方や先輩方が多数居るものです。そういうのが一箇所に集まれば、書くまでもなく、同窓会が無数に発生します。意気投合すれば昔話に花が咲き、そのまま平塚やら厚木やらの飲み屋で盛り上がり、勢い余って新しい共同研究の話なんか浮上しちゃったりなんかして。
 
ちなみにこの年の大会、筆者は時間の都合もあって自らの発表時間帯以外のイベントには一切赴けませんでしたが、公式行事としての懇親会やゴルフ大会まで設定されていました。一般参加の場合はさすがにそのような場にまで入ることは難しいですが、それはその年だけのこと。興味のある分野で興味深い先生の発表を聴き、思い切ってご挨拶でもしてみれば、そこからあなたの興味と人脈は劇的な広がりを見せる・・・かもしれません。そんなに数を打たなくてもよいので、気になる発表者(先生)にはぜひご挨拶と感想をぶつけてみて、できれば知り合いになりましょう。次の年の大会では、もうあなたは発表者になっているかもしれませんよ?
 

自らの手で卒論を説明する最後の場

 
最後に、大学生(学部学生)にほぼ限定したエピソードを書き添えたいと思います。学会が主催する大会の開催時期はそれぞれの学会によるため一概には言えない部分もありますが、卒論の内容を大会に持ち込む場合、たいていの場合は卒論発表の後にそのタイミングが訪れると考えられます。
 
これは言うなれば、大会発表とは学生が卒論を自ら説明する事実上最後の場である、ということです。偉業の度合いは異なりますが、こういうシチュエーションは「部活の最後は全国大会だった。最後の最後に一番大きな舞台にたどり着いた」というような、儚さと同質の格好良さがあると思うのは筆者だけでしょうか。まあ格好良いかどうかは別としても、個人的に、大会発表はぜひ卒業生の誰もが体験して(目指して)欲しいと思います。
 
ただ大会発表が卒業後となる場合、学生は既に社会人一年生となっています。社会人学生の場合はこの限りではありませんが、仕事ないしは主婦業など、学業以外の新たなルーチンで日常が埋められていることは想像に難くありません。様々な逆風(有給を取れるか、会社が許可するか、日程が重要なものと被らないかetc)を乗り越えて発表の機会を得られるかは、実際問題微妙なところです。
 
しかしできることなら、ゼミの先生が「大会に出してみようか」と言いたくなるような内容の卒論を書き上げた学生はもれなく大会発表までたどり着いて欲しいと思いますし、先述のように真の意味で「世界に発表した」ことが確定するからです。
 
大会での発表を行う新入社員が社内にいる」という事実を会社の財産と捉える気運が盛り上がることを、密かに期待しています。
 

祭りのあと、さてこれからどうする?

 
発表終了後。すなわち大会自体の終了後、上野先生をはじめとするゼミ生が会場入り口付近に集結し、簡単な打ち合わせを済ませた後に解散となりました。祭りのあとはまだ熱気の残る、それでいてどこか冷気の重みも予感させるような秋の風が吹いていました。筆者はコインパーキングに停めていた車に向かい、え?秦野って数時間停めるだけでこんなになるの?ぼったくり?と財布に思わぬダメージを受けつつも、帰路で立ち寄った大磯のサンマルクで舌鼓を打ち、食べ放題のパンを懐に隠し持つ誘惑を振り払いながら帰宅しました。よもぎパン、美味しい!
 
さて、特に終盤はやたらと卒論、卒論と喧しいコラムでしたが、当初予告通りこの「いーすく!」は今回(第14回)が最終回となります。eスクールでは、多くのことを学ばせてもらいました。多くの友人に恵まれ、多くの経験を得る、すばらしい日々でした。
 
でもなんだか、このコラムの締めとしては軽い気がします。書いている人間がそう思うのですから、我慢して読んでくれた方にはもっとそう思ってしまっているのではないかと心配になります。
 
そういうことです。
 
 
ま、大丈夫そうなんで。
 
 
 
(fin)