いんせい!! #14 修論!!

f:id:yumehebo:20201231010020j:plain

サンタクロースの肩代わりを命ぜられた大人達が街の経済を回す頃、筆者は2年ぶりの学位論文執筆にせっせと勤しんでいた。
 

#14 修論!!

 
2年前の卒論指導において、上野先生は筆者に対し繰り返しこう述べていた。「修士論文じゃないので、卒論はこれでいいです」。
 
筆者が既に進学を決めていたからというのもあったようだが、何がこれでいいのかと釈然としなかったことが何度もあった。あまりにその類の指摘が続いたのでより詳しい説明を求めると、「分かりました、以後この表現は使わないようにします・・・」となぜか折れるという有様で、それだったら最初から言うんじゃないよ、と更に釈然としない思いを引きずったことを覚えている。
 
それから卒論執筆と卒論添削を一回ずつ経験したM2の秋、筆者は卒論に苦しむ4年生に事あるごとにこう言うようになっていた。「修論(修士論文)じゃないから、これくらいでいいんじゃない?」
 

卒論と修論の違い

 
卒論と修論(修士論文)の違いを端的に示す言い方に「卒論は執筆のお試し、修論は研究のお試し」などがある。もちろん学問領域やゼミによってその位置づけは大きく異なると考えられるが、確かに少なくとも筆者が所属した領域においてはこのような認識を多くのゼミが抱いていると感じた。
 
ただこの言い方は、卒論と修論に対して世間全般が抱いているなんとなくの認識と微妙なズレがあるのではないだろうかとも思う。世間側の感覚をより正確に示すならば「卒論は研究、修論はより本格的な研究」という風に、卒論とは少なくとも“お試し”の意味合いなどない程度には本気のもののように思えるのである。指導側からすればもちろんそうなることが理想であると言うだろう。実際にそうなってくれるケースもあるようだ。ただしその理想を適用することは非現実的である、ということも指導側は強く認識している。
 
もう少し明確にこの曖昧な事態を説明すると、第一に卒論論文は指導期間が1年しかない。1年もかかって何を言うかとも思えるが、「芸事」的に考えてみると、何も知らないレベルからその道のエキスパートが唸るプロフェッショナルレベルまで技能を高めるに際し、1年は短すぎるということは多くの人が体感できるだろう。第二に卒論は合格ラインの引き方が、時間的制約も相まってゼミごとに多様であるといえる。研究において重要なポイントは「新規性」「品質(論理展開、調査方法など)」「執筆者が主導したか」など多々あるが、それらのどれをより重要視するかは結局はゼミ長たる教員の判断、としか言いようがない。言いようがないというか、それがまさに教員の専決事項である。そこまで教員からスポイルしてしまっては、教員はただの賢い中高年になってしまう。
 
もう少し掘り下げると、例えばとあるゼミでは学生に卒論のテーマを考えさせない(=教員側からテーマを授けて作業させる)こともあるという。上述のポイント群は必ずしもトレードオフの関係にないが、テーマ授与方の卒論は教員や院生との共同作業となるわけだから、その品質や新規性もかなり担保される可能性が高い一方で、執筆者主導という前提は弱くなる。対してテーマ決めに幅のあるゼミにおいて執筆者が持ち込んだ卒論のテーマは「新規性」かつ「執筆者主導」が成し遂げられやすい反面、「品質」は必ずしも教員の力によってプロフェッショナルレベルまで至らしめられるとは限らない。
 
以上を踏まえて卒論について強引にまとめると、(筆者の周辺ゼミにおいての)卒論は「①(品質はそれなりだが)自力で完遂したか ②(補助輪つきだが)高品質で完成させたか」という大きく分けて2つの成し遂げ方があると言えよう。ゼミによってはどちらかしか選べないし、さらに手心が加えられるケースもあるだろう。現実を積み上げていくと、特に人間科学における「卒論の合格ライン」は学部内で完全一致させることもきわめて困難ではないかと思う。繰り返しになるが、いっぱしの研究として形になっている優秀な論文が書けるならそれに越したことはない。卒論生が「これは卒論だから~」と、手加減を意識する必要もない。指導の補佐をする側としても、品質と残り時間は常に天秤に掛ける必要がある。その結果として、「これくらいでいいんじゃない?」という常套句が頻用されるというわけだ。しかしいずれにしても、研究としての形(=執筆)は最低限整えていなければならない。その現状を柔らかく示した言い方として「執筆のお試し」という表現が生まれたなら、なかなか言い得て妙である。
 
筆者の卒論はどちらかというと「自力で完遂する」タイプであったので、上野先生的には品質向上を猶予しつつ完遂を優先させたと想像される。しかし筆者からの予想外の反論がなされ、いちいち説明するのも面倒くさいなと思ったのが真相であったのだろう。やだなあ先生、もうちょっと最初から説明して欲しかったですわ。
 
話をM2時代に戻すと、卒論のテーマを修論に持ち込む場合、何を求められるかを推し量るのは容易い。おそらくそれが最も時間のかかることだとしても、卒論でやり残したことに今度こそ向き合わなければならない。筆者にも当然ながら、卒論で看過された「論文品質の向上」が求められた。内容の充実はもとより、研究として必要不可欠な新規性の説明をより明確にするような論理展開が課せられた。同時並行のTAにおいては身も心もボロボロであった4年生(11期)の卒論の相談も受けていく必要があったため、労働量は相当であったものの経験値が着実に向上していくのを体感できた。なお蛇足だが長泉ゼミは上野先生が帰還した秋学期直前を以て終了し、秋学期は上野先生の人間味溢れる指導に全員が胸をなで下ろしたという後日談に触れておく。
 
卒論と修論の内容的な差異の説明はこれくらいに収めるとして、もうひとつの大きな違いは「副査」の有無である。修論では「主査(しゅさ、通常はゼミの教員が担当)」の他、「副査(ふくさ)」を最低2名設けなければならない。副査の役割は主査同様に論文の指導と審査であるが、主査以上に厳しい指摘を投げかけることもある。筆者の修論では当初、同領域の武蔵小杉先生と藤沢先生に副査を打診した。朗らかな武蔵小杉先生は快諾してくれたが、藤沢先生はなんと「サバティカルで引き受けられない」とのことであった。なんてこった、もう馴染みの先生いないじゃん。結局は近接領域の小山先生(仮名)に副査をお願いして事なきを得たが、もうサバティカルとか廃止してくれないかな。
 

ジャイアントパンダ武蔵小杉先生の豹変

 
学部時代のゼミ選択からたびたび登場してきた建築系トリオ(藤沢先生・上野先生・武蔵小杉先生)の中で、武蔵小杉先生のエピソードはやや乏しい状態であるので少し説明しようと思う。武蔵小杉先生は専門領域こそ上野先生・藤沢先生と同一であるものの、その方法論はだいぶ毛色が異なるものであった。本コラムの文脈に則って簡単に説明すると、バリバリの「環境工学」側の先生であった。加えて研究実績を紐解く限り、環境工学(クマ)陣営であるらしいテディベア長泉先生やグリズリー辻堂先生と頻繁に交流していることが伺えた。あのクマ軍団の中で一定の立ち位置を確保する先生であるのだから、本来であれば超獰猛なボスクマの風格があってもおかしくない。
 
しかし実際の武蔵小杉先生は物腰柔らかく、研究相談においてもこちらの主張を概ね納得してくれる草食系であった。そういえばゼミ面談の段階から、朗らかさには一片の変化もないように思われた。クマはクマでもこりゃジャイアントパンダだな、と筆者も心から安心した。あとメールをちゃんと返してさえくれれば、もう完璧なジャイアントパンダである。
 
執筆が進み提出を済ませ、いよいよ修論発表会がやってきた。製作過程を相当にすっ飛ばしてしまったが、作業内容は卒論時とさほど代わり映えしないので省いてもいいだろう。実際のところとして論文をまとめるには十分な数の調査研究も行っており、複数本の大会発表という実績もあることはある。今思えばなんというか、ヌルッとこの日を迎えることができた。
 
修士論文審査会は秋学期末、大詰めといえる時期の平日に行われた。審査会は公開制で、主査・副査と共に一般の教員や学生も聴講することができた。20人も入れば一杯になってしまいそうな教室の中は、教員とゼミ関係者でほどよく埋まっていた。定刻となり、筆者には25分程度の発表時間が与えられた。やや長いようにも感じられるが、思う存分話してやるぜという気合いの上ではこれくらいがちょうど良い。
 
その甲斐あってか自分としては相当滑らかに説明できたなという手応えを残した発表の後、喋り出したのは副査の武蔵小杉先生であった。この章の分析は意味がありません。比較してはいけない結果を並べて示してはいけません。ラテン方格法を採用するのはいいけれど、交互作用を犠牲にした以上は結果の取り扱いをより慎重になるべきところこの考察はいかがなものでしょうか。
 
文章にするとこうも味気なくなるものだなと自らの表現力のなさに閉口するが、ここだけ奥行きのある表現を取り入れても不自然なのでそのままにしておく。言い方は相変わらず優しいのであるが、繰り出される言葉はどれもこれも反論の余地が一切ないものであった。ワーワーと口やかましい指摘を受けることは多々あれど、この日の武蔵小杉先生の指摘は異次元に重いパンチであった。受け止めることもカウンターすらも無理な打ち込み方をしてくるのである。本当に怖い人ほどいつも笑顔でいるというのはきっと本当である。今や安全な場所はどこにもなく、ただただ恐ろしい瞬間であった。発表の充実感の余韻が残る中、修論通らないかもなあと観念したことを覚えている。笹は主食でなく、食後のガムのようなものだった。武蔵小杉先生はジャイアントパンダではなく、顔周辺が白いだけのツキノワグマであったのだ。永遠とも思えたハードパンチの最後、しかし武蔵小杉先生はいつもの微笑みを取り戻しながらこう述べてくれた。
 
「査読論文であれば指摘しますが、修士論文なのでこれくらいでよいでしょう。お疲れ様でした」
 
どうやら命だけは助けてくれそうだ。冗談抜きに助かったと思えた。同時に、この上のクオリティーがあるということを嫌でも認識させられた瞬間だった。来たるべき博士課程に向けて、大きな反省と克服すべき暗闇が明確となった修論審査会であった。

 

yumehebo.hateblo.jp



(初出:2021/01/24)