いーすく! #08 楽単!

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ふたたび春です。別れの季節、出会いの季節、そして科目登録の季節です。
 

#8 楽単!

 
手探りの履修選択からゼミ選択まで、このコラムもこのコラムで取り上げたエピソードにおいてもキャンパスライフの折り返し点まで来ました。キャンパスライフに限定して語ると、一周ならまだしも、三周目、四周目に入ると誰もが熟(こな)れてくるものです。そこで今回は、履修した中でなかなかに興味深かった専門科目を、誠に僭越かつ勝手に紹介していきます。負荷は分かりません。
 
なお選出にあたっては、必修科目や筆者がゼミ選択において取り上げた科目については対象外とします。要は「研究テーマにはしなかったけれど興味深い」科目たちですから、素の実感ではないでしょうか。
 

私選 eスクール科目アワード

 
さあ始まりました!素晴らしい専門科目に勝手に賞を送りつけるという、第1回eスクール科目アワードのお時間です。
 
ではさっそく賞の紹介に参りましょう。まずは、eスクールというフォーマットをフルに活用しつつ、大学の講義としての重みを両立させていたこの科目です。
 
・おもしろいで賞 学習とメディア(保土ケ谷先生(仮名))
受賞理由:これぞメディアリテラシー
 
この科目の内容紹介の前に、eスクールの講義映像がどのようなロケーションで収録されているかを説明いたしましょう。基本的には ①スタジオ ②教場(教室) ③研究室 ④フィールドワーク(例えば自然観察) に大別されます。特に通信向けに凝ったことを行おうとすると、教員は①または③を選択する傾向にあります。
 
さて、保土ケ谷先生はというと、第1回講義から ⑤外でレクチャー という新しい概念をぶち込んできました。外というのは文字通り外、お外です。しかもロケ地は毎週のように変わり、なんと確か2回目は多摩湖のほとりでした。その場所でなければならない、というフィールドワークであれば納得なのですが、先生が(外で)話している内容は終始メディアリテラシーに関するものなのです。コントかな? これがこの科目の第一印象でした。
 
続いて先生が行ったのは、クラスごとに分断されていたBBSの一元化です。既報の通り、eスクールではコミュニケーションの質を上げる意図もあって仮想のクラス分け(1クラス20~30名)を行っています。しかし先生はその壁を早々に破壊してしまいました。せっかくの工夫が台無しです。当然、BBSは大量の学生が入り乱れるカオスとなります。謎。カオス。不安に思うなという方が無理です。
 
かように破天荒な保土ケ谷先生の方針に対して、この科目の田浦教育コーチは丁寧な返信で場を慣らしていく・・・かと思えば、突如として自作動画(英語)を投下するというコンボ攻撃。コーチまでもが破天荒では、もう収拾は付きません!
 
しかしここで補足しますと、そんな中でも先生はメディアリテラシーに関する講義をきちんと行っているのです。重要人物であるマクルーハンについて時間を掛けて説明してくれました。ただその場所が多摩湖のほとりというだけです。コーチももちろん、受講生からのコメントの返信は丁寧かつ適切に行っているのです。ただし常に斜め上から話題や素材を投下してきます。
 
もうお分かりかと思います。この科目の構造も、メディアリテラシーを養うための仕掛けだったのです。
 
カオスにもやっと慣れてきた講義中盤、保土ケ谷先生は「eスクールならではの、深い学習と暗黙知を生かすため」、つまり社会人学生が多いとされるeスクール生の社会経験を科目の素材として当て込んでいたこと、そのための方式であったことを明らかにしてくれました。多摩湖もカオスも、化学変化狙いだったのです。コントかどうかは置いといて、私達は最初から舞台の上に居たのです!
 
なにしろ何が飛び出すか分からない緊張感の連続ですから、受講には他科目より相対的に多くのエネルギーを費やした気がします。しかしそれはたぶん、とても正しい疲れなのだと思います。オススメです!
 
 
続いてご紹介するのは、王道の中でも王道であった科目です。
 
・エレガントで賞 水域環境変遷学(井野先生(仮名))
受賞理由:全15回の絵巻物
 
保土ケ谷先生のようなイレギュラースタイルが興味を惹くのはある意味必然です。しかしオーソドックスな講義スタイルでも、なかなか感心させられる科目もありました。その中でエレガントだったのが「水域環境変遷学」でした。なんだか小難しそうな科目名です。筆者も履修をためらいました。
 
講義は私達にとって身近な「水」の現状についての説明から始まります。その内容はさすがに前提知識ゼロの筆者でも理解できます。
地球に存在する水のうち、人間が利用可能な水資源は僅かです。限りある資源を大切にすべく、水資源の管理と状況の把握は重要です。
水資源の指標として「水収支」があります。現在の水収支は水量の計測あるいはシミュレーションで分かるわけですが、実態を深く知るには過去の水収支も把握したいところです。
過去の水収支が分かれば、その時代の植生や気候、地殻変動も推定できる可能性が高まります。過去から現在までのデータが積み重なれば、未来の予測や懸念にも役立つでしょう。
しかしそもそも、そんな都合の良い水辺など・・・あるのです。それが「湖」です!
とある湖とその周辺を調べていくと、時代によって湖水面の高さが異なっていたことが分かってきました。湖がもっと大きかった時代もあれば、小さかった(なかった)時代もあったということです。その変動が何によってもたらされてきたのか、様々な説があります。もしかしたら、地球だけではなく太陽の動きなども関わっているかもしれません。
一方で何百万年と「湖」であった湖の地層を調べると、急激に湖水面が下がったと推定される箇所が見つかりました。ここでは地球全体が急激に寒冷化するという「ハインリッヒ・イベント」が起きていて、それが湖水の地層にも記録されていたのです。遙か昔の気候変動が記録されている地層ということは、その地層はもはや地球のレコードといえるのではないでしょうか!
 
とまあ、なんちゃって教養番組のようなあらすじ書きで申し訳ないのですが、講義ではもっと流れるように、学術的知見また知見と、確かなデータを元に話題を細かくシフトさせていました。講義終盤にはこの科目を通して「水域環境」に本格的に興味を抱いた人間の知的探究心を満たすように、水域環境調査の具体的な研究方法の説明がなされていきました。
 
ちなみに研究の方策についても簡単に説明すると、湖を網羅的に音波探査したり、ひたすらボーリング調査したり、他地域の湖や火山のデータと照合したり・・・と、簡単に言うのも憚られる大変な作業です。ドミノ世界記録更新なるか!?とラテ欄で煽る文字数は少ないですが、並べる方はとんでもなく大変なわけで。詳しくは水域環境に関する文献をぜひご一読ください。
 
とにもかくにも、最初から最後まで流れるようにスタートし、ゴールした科目として真っ先に思い浮かんだのが個人的にはこちらでした。人間科学ではデータに基づく論考が求められる(おそらく人間科学でなくても求められる)のですが、理路整然という熟語が相応しい科目です。必見です。
 
 
さて、いよいよ賞も残すところ、グランプリの発表のみとなりました。栄えあるグランプリ科目はこちら!
 
・グランプリ:文化人類学(倉賀野先生(仮名))
受賞理由:文化人類学の第一人者と向き合えた貴重な半年間
 
元々「文化人類学」は人文科学の花形といえる領域で、ここ人間科学部でもその位置づけは揺るぎないといえます。その証拠に、技術と文化の関係性について論じた六合先生(仮名)、多文化が共生するスペインを対象に研究を続けている安中先生(仮名)など、文化人類学に包含される教員の陣容は重厚です。今回はそんな文化人類学系科目の中で、ズバリ「文化人類学」という名称で開講された倉賀野先生(仮名)の科目を取り上げたいと思います。
 
「理解したつもりになってはいないか」
事実というのは無数にあるものですが、その真理を私達は忘れがちです。のみならず、実は一部しか見ていないのにも拘わらず、すべてを知ったような気になって語ることの何と多いことか。文化人類学では、テクスト(表層)の比較とコンテクスト(深層)の着目が前提となると考えます。それがものごとを的確に捉えるために不可欠だからです。
 
「モノから何を読み取るか」
とある事象からどれだけの情報を引き出せるかが文化人類学の使命です。倉賀野先生は、モノが自らの外に示す特徴(示標性)、文化の生態系(エコ・カルチャー)、社会的想像力(イマジネール)などの新しい概念を発明し、テクスト(表層)とコンテクスト(深層)の情報をあの手この手で掘り出そうと試みています。
 
「構造主義とその先」
もちろん、講義では文化人類学の根幹にある構造主義やポスト構造主義(脱構築)についても詳述されました。より具体的なキーワードとして紹介された「交換」や「蕩尽」といった文化あるいは個人を結びつける理論は、一見不合理な伝統文化のテクストを理解するためのヒントを与えてくれます。
 
「歴史は操作されている」
文化人類学はよく「未開社会の文化学」あるいは「民衆の歴史学」というような言い方をされます。これは(英雄的な)歴史学と対比して、意地悪く見れば地味であることの当てこすりの意味すらあるかもしれません。しかしそもそも両者は不可分であるはずですし、だいたい文化人類学から見れば「歴史」なんて恣意的な見方そのもの、操作されたものに過ぎないのではないでしょうか。
 
などなど。いやー惜しい。何が惜しいって、筆者はこの科目をゼミ選択のあとに履修してしまったのでした。もしもっと早めに履修していれば、筆者の歴史は変わっていたかもしれません。
 
一つ補足しますと、この科目の教育コーチであったいわきコーチ(仮名)は、「本科目は文化人類学というより『倉賀野人類学』と捉えた方がよいかも」というコメントを残してくれました。今や広大な文化人類学という領域で、おそらく同じ業界のスペシャリストであろうコーチにここまで言わせてしまう先生ですから、よほどセンスが突出していたのでしょう。
 
それは受講している最中でもひしひしと感じることが出来ました。とにもかくにも、含蓄が重いのです。けれどそれが単なる豆知識にしかならなさそうなレベルのものではなく、今後様々な学問を学んでいくうえで、あるいは異文化と触れ合う場面で不可欠な視座と思えるわけです。この講義を受けてからだいぶ年月が経過したのですが、素敵な先生の素敵なお話を聞けた、という実感が今でも残っています。いやー惜しい。もっと早く出会っていれば、文化人類学者を目指せたかもしれないのに。超オススメです。
 
 
以上、グランプリの発表も終わり・・・
 
ちょっと待った!
 
歯の浮くような自作自演で恐縮ですが、これで終わりとするのはもったいないじゃないですか。ではでは、グランプリに相応しい科目をもう一つ、ぜひとも紹介させてください!
 
 
・グランプリ Mark II:リスク心理学(伊勢崎先生(仮名))
受賞理由:ハイレベルなスリルとカタルシス(婉曲表現)
 
文化人類学の層の厚さを指し示した舌の根も乾かぬうちに、別の領域の分厚さもお示ししたいと思います。実は人間科学部には「心理学」という、これまた人文科学のエース領域で活躍する精鋭を多数取り揃えており、伊勢崎先生(仮名)はその中でも新進気鋭、急先鋒の先生です。伊勢崎先生ご担当の「リスク心理学」はその名の通り「リスク」を題材としながら、堅苦しさが横たわる大学の授業のイメージをひっくり返した傑作科目です。
 
・リスク心理学って何?
講義の全体像としては硬派です。リスクという言葉の意味、その大小を評価するための様々な指標をおさらいしつつ、客観的に算定できるリスクと人が感じるリスクの違いを心理学の立場から説明していきます。今や有名になったプロスペクト理論やリスクホメオスタシス説、(心理学に限らないものとして)見せかけの相関の話など、地デジ8番の某番組で取り上げられそうな理論が次々紹介されていきます。随所で教場での受講生(通信の映像はその様子を録画したもの)を対象にリアルタイムで結果が分かるアンケート機能を導入しているところも新鮮です。
 
・そこ、うるさい!
伊勢崎先生は教員では若い方で、つとめて陽気に振る舞っています。しかしその姿を見て誰もが思うのは、実は怖い人なんじゃないか?ということです。同系統の雰囲気の先生と筆者は認識している藤沢先生も、いかにも怒ると手がつけられなさそうなピリピリ感を隠しきれずにいます。イベントが起きたのはある週の最後でした。伊勢崎先生が調子よく喋っている最中、ジリリリリリ!と警報ベルが鳴り出しました。ざわつく場内。伊勢崎先生はそこで「落ち着いて!そこ、うるさい!いいから座って!あとちょっとなので続けますね」と着席を促し、ベルが鳴り終わるのを確認した後、授業は最後まで行われました。場内の学生は色々と察して、全員が着席していました。最後に伊勢崎先生が微笑みながら言いました。
 
「これが正常性バイアスです」
 
ちなみに警報ベルの音は伊勢崎先生が自分のiPhoneで鳴らしていたものでした。
 
ちょ、この先生、なんでもありだぞ。今風の動画タイトルなら「リスク心理学という科目がヤバすぎた!」とか書かれちゃいそうです。まあそういう動画の内容のほとんどすべてはヤバすぎるなんてことはないし、ヤバくもないけれど。
 
・原発はお湯を沸かしているだけなんですよ
筆者の受講時期は震災から1年が経過した2012年秋学期でしたが、震災に関する話題は情報の整理がなされたこともあって旺盛でした。そしてこの科目で特に取り上げられたのは「原発」でした。
 
原発ってお湯を沸かしてるだけなんですよ。放射性物質はヤンキーと同じです。にらみ合うとすぐケンカしちゃう(反応しちゃう)のです。原子炉の制御棒はその反応を良い塩梅で止めるためにあります。ベクレルとシーベルトの違い、財布の中の小銭でたとえると、ベクレルは「コインの枚数(=原子の崩壊回数)」、シーベルトは「コインの総額(=人体への影響度)」です。そもそも基準値基準値言うけど、その数値の意味は何でしょう。年間20ミリシーベルトという許容量って、どんなリスク評価で決めたのでしょう。
 
筆者の、原発に関する総括情報のほとんどはここで形成されたと言っても過言ではありません。また、震災でもその後の災害でも、メディアの種類を問わず時折見られるヒステリックな論調が冷静な議論(リスク評価)を阻害している、というこの講義でのメッセージを、筆者は今も大切にしています。
 
・レポートはありませーん
この科目の成績評価は、毎回の小テスト(数百文字程度の記述式)と出席の積み重ねで行われました。通例こういったポリシーでも、期末には到達度確認の意味合いでレポートなり試験が課されることが一般的です。しかしこの科目、内容は特濃でしたがレポートはありませんでした。もう一度言います。レポートはありません。読み飛ばしてしまった人のためにもう一度書きますと、レポートはありません。ちなみに最終回の講義映像の先生の最後の言葉は「お疲れ様でしたー。レポートはありませーん」でした。
 
眩しい・・・もう神・・・
 
以上、真の受賞理由は最後だけだったんじゃないか?と迫られましても困りますが、仮にレポートがあったとしても充実の内容でした。ちなみに伊勢崎先生は(当時の)必修科目「人間科学基礎実習」においてはエグい量のレポートを課してきましたので、自分がサボるためとか人気取りとかそういうことをする先生ではありません。なにより冷静に考えると、毎週の小テストで書いた文字数を合計するとレポート2本分くらいになりますので。
 
以上、グランプリ2作品の発表で・・・
 
え、まだちょっとだけいけそう?
 
であるなら、もう一科目紹介いたしましょう。
 
まあつまり、グランプリも受賞科目も甲乙とかつけようがないんですわ。察してください。
 
 
・グランプリ Mark III:緩和医療(与野先生(仮名))
受賞理由:これぞ大学の講義
 
文化人類学、心理学という人文科学の巨頭をご紹介しましたが、やはり人間科学部の基幹は福祉系の学科にあるといえます。筆者は指向性の違いからその恩恵にあまりあやかることがなかったのですが、それでもこの科目をスルーすることはできませんでした。あの「医療」という領域がパラダイムシフトを余儀なくされる領域、緩和医療学のお話です。
 
・医学博士による膨大な情報量
W大人間科学部は医学部ではないのですが、与野先生(仮名)は歴とした医学博士、つまりお医者様です。専門科目では他にも医学やその近接領域を扱うものが多々ありますが、この「緩和医療」はその中でも異色の領域と思われます。第1回講義の冒頭、挨拶もそこそこに、与野先生の少し早めの口調による講義が始まりました。そのテンションは、全15回の講義の最後まで一度たりとも緩むことはありませんでした。講義内でのスライドって何枚あったんだろう。お医者様ってこんなに勉強しなきゃいけないんだな・・・。膨大な情報量に戦慄を覚えつつ、お医者様の見方も変わりました。
 
・リスクコミュニケーションを考えるために
講義内容としては、緩和医療に関するトピックの他、前述した「リスク心理学」とほぼ同じ話もありました。他にもフェールセーフなど、内容全てが今まで知らなかったことではありません。しかし繰り返しになりますが、情報量が多いこと多いこと。五感をすべて働かせて、なお今週の講義を理解できたのか未だに自信がありません。しかし、筆者がなんとなく抱いていた「大学の講義」のイメージは、この科目が一番近いと思います。受講の前と後で受講生のいる世界は変わり、その影響は受講が終わってからも続くのです。
 
・物語(ナラティブ)の力で新しい時代の幸せを求める
この講義の結論的部分だけを取り出すと、緩和医療において重要なのは治療そのものだけではなく、患者や家族、医者や関係者すべてが共有・受容できる「物語(ナラティブ)」を構成すること、物語が持つ大きい力によって、新しい時代に相応しい幸せや安らぎを得ることができるのではないか。という趣旨です。しかしこの結論だけを取り出しても、小説の裏表紙のあらすじを読んだようなものであまり意味はないのです。正直、このテーマを短くまとめることは筆者には無理です。先生でも難しいのに、できるわけがないのです。しかしもし「たった1科目だけ人に受講させることができるとしたら」という問いがあれば、筆者はおそらくこの科目を選ぶと思います。
 
・偉人、目白コーチ
そしてこの科目で最も驚いたのは、目白コーチ(仮名)の誠実な運営でした。素人から心得者までまさに玉石混淆のBBSで、実に丁寧にコメントを返し続け、筆者も何度も理解を助けられました。その目白コーチから、講義中盤にある提案がなされました。
 
「講義スライド、ご所望の方は印刷してお送りします」
 
実はeスクールの講義スライドは、pdf資料として配布されることもあれば、教員の意向や権利関係などから「映像のみで無配布」ということもあります。この講義も著作権などの事情もあってスライドがそのまま配布されることがなかったと記憶していますが、それを案じた目白コーチが紙での郵送を提案してくれました(当時から学校の授業における紙での複製資料配付は合法)。板書に疲弊していた筆者は脊髄反射的に「ください!」とメールし、そのメールを送ったこと自体を忘れていました。
 
講義が終わり、秋学期が始まり、それもだいぶ進んだ頃だったと思います。eスクールから、入学時の資料並みに分厚い茶封筒が届きました。おそるおそる封を開けると、そこには緩和医療のスライドが印刷された資料の束が。
 
そんなに時間かかってたの!????
 
筆者は驚き以上に申し訳なさで一杯になりました。むしろ恐ろしさを覚えたほどでした。もう成績は確定しているのに。そもそも印刷を依頼した本人もそのことを忘れていたのに。スライドも最初は両面印刷であったのが、手間が掛かり過ぎたのか早々に片面印刷仕様となって、それもあって枚数がかなりのものになっていました。A4の4分割タイル印刷で分厚いのですから、総数は結局未だに数えていません。
 
この資料は捨てられない。道義的に!!
 
そしてその時は受講に一生懸命で思い至る余裕がありませんでしたが、これだけのボリュームを講義に持ち込んだ与野先生もまた聖人です。職業柄、色々と言われることが少なくないお医者様ですが、少なくとも与野先生と目白コーチ、お二方の心の基礎は誠実さだけで構成されていることでしょう。なお蛇足ですが、与野先生が隔年で開講されている「死生学」も同様のボリュームで、オススメです。
 
 
以上、私選、第1回eスクール科目アワードのお時間でした。それではまた、来世でお会いしましょう!
 

結局、楽単ってどれ?

 
これだけ紹介してなお、表題を忘れていない読者がいらっしゃるとしたら、なかなかしぶとくなってきたじゃいか・・・と目を細めるところですが、アワードで取り上げた科目について、少なくとも負荷的には全て大変です。まあまあ最後まで読んでおくんなまし。それではさすがにタイトル詐欺なので、まとめとして「科目登録のコツ」を書き添えたいと思います。
 
・科目登録のコツその1:遠い将来まで想定する
科目登録というとどうしてもその学期だけの履修計画を考えがちです。しかしほとんどの科目の場合、翌年も同じ形で開講されるため、「来期に回す」というのはアリな選択肢です。バーチャル時間割作戦とも似ていますが、これは初回コラムで書いた「科目登録会」において教わったテクニックで、あるいは一般的な作戦かもしれません。加えてその時に先輩からいただいた履修計画Excelシートはかなり良い出来で、最後までフル活用しました。特にこのシート作成者には御礼申し上げたいところです。
 
ちなみに履修計画のコツは、計画変更を恐れないことです。実際、レベル1で「レベル4には受講したいな~」と思っていた科目の中で実際にその時期に履修した科目はほとんどなく、ある科目は前倒しで、ある科目はいつの間にか履修を忘れてしまっていたということもありました。これは気分の変化もありますが、新年度で新規科目が登場する、あるいは担当教員が退職されるという事情もありました。特に退職による科目廃止は、直接的に調べることは難しいのですが、ゼミの受け入れ(前回参照)が行われているかどうかで間接的に推測することが可能です。
 
・科目登録のコツその2:科目テーマに連続性を持たせる
同じ学期にたくさんの科目を履修する場合、全く異なるジャンルの科目を揃えるよりは似た科目を複数揃える方が楽であるというお話です。そりゃまあ当然で、どんな専門用語でも違うシチュエーションで二度三度とお目に掛かると「それ聞いたことあるわ~(喜)」となります。極論すれば、快適な学習のコツは「自分が興味を持つ状態を維持すること」ですから、新鮮な状況が付随した既知の情報の提示というのはそれに大きな貢献を果たします。
 
ただし重要なこととして、重なりすぎていると飽きるということがあります。科目でいえばほとんど同じ内容を何度も繰り返し聞く形を作ってしまうと、「それも聞いたことあるわ~(落胆)」とテンションが下がってしまうのです。そのためあまり「同じ領域をくっつけねば!」と意地にならず、たまに接点が生じるかな?という程度の重なり方を目指すとよいでしょう。
 
・科目登録のコツその3:ホームの領域を見つけておく(履修前の段階で)
これまで何度も語ってきたように、人間科学で取り扱う領域は広範です。しかしだからといって、既存の専門領域すべてを同じスピード、同じ濃度で理解することは困難です。この現実への手っ取り早い解決方法として、入学前からホームと呼べる領域を想定し、その視座に基づいて他領域の学習に取り組む方策をオススメします。実際に専門家レベルである必要はありません。まずは「このジャンルは好きだな」くらいの思い入れでよいと思います。
 
ホームの設定によって、他領域との距離感が明確になります。それぞれの領域にはそれぞれの価値観があり、時にぶつかり合うという状況も生じます。歴史学と文化人類学はその好例かもしれません。そうした衝突点に遭遇したとき、あなたとあなたのホームはどちら寄りの立場(あるいは第三の立場)であるのかを知ることができれば、その領域がどちらかというと敵か味方かがはっきりしてきます。もちろん、この思索がゼミ選択に大きな影響を与えることは言うまでもありません。
 
そしてもうひとつ、ホームは移してもよいものです。入学時は○○領域が好きだったけれど、学んでいく内に△△領域の方がおもしろそうだ、となれば、それは引っ越しの合図かもしれません。一方、ホームの数についてですが、個人的には1つのみ設定することをオススメします。才人ならホームを2つ3つと増やせるのかもしれませんが、それも大元の1つを確立してから踏み込んだ方がよいでしょう。
 

結局、楽単にするもしないもあなた次第

 
W大では「マイルストーン」という、大学のすべての科目に関する短いレビューが掲載された非公式本が毎年刊行されています。そこに書かれている内容に間違いは少ない・・・のかもしれませんが、それがあなたの履修満足度、キャンパスライフの向上に貢献するかというと、必ずしもそうとはいえないことは踏まえなければなりません。加えてeスクールは通学と全く異なる講義システムを採用しているケースが多いため、実際「マイルストーン」の情報はほとんど宛になりません。第一、違うものなんだから、宛にする方がおかしいのです。
 
ただし科目を楽単とする下準備を自分で行うために、その材料としてマイルストーンのような情報誌を活用することはアリかもしれません。大事なのは結局、自分でしっかりと決めることなのです。大学生活を楽に、楽しいものにしようと思うのであれば、最小限の労力で手近な情報に流されるのではなく、何が最適解か?の解明に全力を尽くすのが、学生に求められる姿勢ではないでしょうか。
 
そうした工夫の末に履修した科目は、少なくともあなたにとって楽単となる可能性は高くなります。一人で戦い続けられる余地も、少しずつ増えてきます。人間、切羽詰まったときには一人にならないことが鉄則ですが、学び取ろうという意気が少しでもある状況であれば、むしろどれだけ一人で決められるかがその後のベネフィットを決めるのではないでしょうか。
 
 
次回、せっかくゼミに入ったので、eスクール生のゼミ生活について触れていこうと思います。
 
 
 

いーすく! #09 演習!

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どうしてこのゼミに入ろうと思ったのですか。卒論はどんなテーマで考えていますか。家はどこですか。通うのって大変じゃないですか。

 
一年後に後輩が出来たときに備えて、質問を考えておかないとですよ。
 

#9 演習!

 
筆者が配属された上野ゼミはスクーリング必須、ということは前々回書きました。ここからは筆者がどうやってゼミ1年目(スクーリング)を乗り越えていったかについて書き連ねることにします。
 

ゼミの運営パターン

 
ゼミの紹介回で書きそびれましたので、まずはゼミの運営形式のパターン化を試みたいと思います。
 
パターンはわかりません。
 
いきなりさじを投げてしまいました。実際、ゼミというのはゼミ長(=教員)の研究機関でもあるため、活動内容が完全にオープンというケースは稀です。正確にはどんな方針で運営されているかとか、週のいつ活動しているかなどの基本情報はさすがに分かりますが、活動の中身に関しては門外不出ということが少なくありません。中身が門外に出るときは、研究が発表されたときか、物盗りにでも遭ったときだけです。
 
加えて研究の中身は専門領域の事情に最適化されるため、極論すれば二つとして同じゼミはない、と推察されます。教員間に師弟関係がある場合や、領域内の大きな合意事項によって活動を共にするケースはあるのですが、それも採用するかどうかを最終的に決めているのはそれぞれのゼミ長(教員)です。領域の事情に寄せつつ、秘匿性の高い内容を取り扱う。そのうえ「人間科学」領域は様々な領域の専門家が同居していますから、ゼミの多様性度合いは国内屈指かもしれません。
 
こんな状況ですから、通信のゼミというものもパターンを見出すことは困難です。それこそ負荷がどうこう、という話を始めたら、そもそも比較可能な情報からして多くないので、負荷の多少に関する実感が正しいのかすらわからないのです。
 
こういった閉鎖的なコミュニティーは時として不正やハラスメントの温床になってしまうわけですが、本質的に開放しようがない以上、事前の対策にも限界があります。あえて安心できることを経験則から書きますと、ほとんどすべての先生は指導や研究に真摯に取り組んでいますので、入る前から警戒心バリバリで臨む必要はないです。頼りないアドバイスになるのは申し訳ないですが、そういうことは被害に遭ってから考えても(たぶん)間に合います。
 
ただこれでは何の説明にもなっていないので、筆者のゼミ1年目の情報を交えながら、「eスクールゼミの運営パターン」という論点に絞ってここでは説明していきます。
 

eスクールゼミの運営パターン(筆者の知る限り)

 
上野ゼミのスクーリング初回は2013年4月、都内で行われました。所沢ではなく都内です。配属決定後のメール打ち合わせにて、他の同期学生の動向も踏まえて決定されました。これだけで時間にして2時間、交通費でも1000円前後セーブされました。
 
<開講場所パターン>
eスクールにおいて第一に気になるのが開講場所です。ここではオンラインとオフライン(スクーリング)を取り混ぜながら場合分けしています。
 
①オンライン型
eスクールらしく、ゼミもオンラインで完結させるパターンです。らしく、と書きましたが、こうでないと困る方も多いのではないかと思います。
 
②スクーリング(任意の場所)型
対面のゼミ形式にこだわるも、学生の事情などに応じて開催場所を所沢キャンパス以外とするパターンです。学生の多くが、なにしろ所沢は距離があるので・・・という思いを共有すれば、教員も考慮してこのような対応を取ることがあるようです。
 
③スクーリング(@所沢キャンパス)型
しかし最優先としなければならないのは教員の予定です。ゼミを定期的に設定する場合、所沢での教務がある先生は所沢キャンパスから動けない、ということは大いにあり得ます。そうなると学生側も腹を括るしかありません。
 
実際の運用では、①~③が事情に応じて採用されるということがほとんどではないでしょうか。しかし当初から「①オンライン型」を宣言していたゼミが、蓋を開けたら毎回「③所沢キャンパスまで来い!」というのはいかにも酷い話ですから、①メインのゼミは②や③の回数はあまり多くならないと考えてよさそうです。一方で「③所沢キャンパス」を基準としながら、随所に「①オンライン型」を取り入れるということは自然にあり得る話で、つまり「スクーリングがある方はオンラインもあり得るが、逆はあまりない」という傾向が導かれそうです。
 
上野ゼミのスクーリングの開講形式は、通学と連携しない、通信として独立したものとのことでした。そのため参加者は先生、教育コーチ、そしてゼミに配属された学生数名となります。この陣容で、1年間の演習に取り組みます。
 
<開講形式パターン>
eスクール生として場所に続いて気になるのは、通学制との関係性です。基本的に通学制は週に一度のペースでゼミが開講されていますが、eスクールでそのペースはなかなかに過酷なものとなることが想像できます。しかし月4回開講されているゼミのうち、1回ないしは2回だけ参加するというのは、それはそれで話題についていけるのか不安になるところです。
 
①eスクール独立型(通学と関連しない)
上述の懸念を払拭してくれる形式が、eスクールとして別個にゼミが開講されるというパターンです。正直、すべてのゼミがこの方式であれば(こうしなければならないというルールでもあれば)、この部分は類型化をする必要がありません。
 
②eスクール・通学同一型(通学制に吸収される)
しかし学生の人数や実習を重視するゼミの場合、分けての開催が困難です。そうなると人数比からして、eスクールが通学ゼミに吸収される形で同居することが避けられません。出席の頻度についてはなんとも言えませんが、通学制と同様の出席態度を求められることを完全に否定することは難しいでしょう。
 
③eスクール、通学ゼミ一部参加型
こちらは①と②の良いところ取りで、基本的にはeスクールとして独立したゼミを開講しつつ、要所でeスクール生も通学ゼミに合流するというパターンです。これには通学ゼミで行われる内容の中に、単発回で終わるワークショップのようなものが随所に挿入されている場合が多いと推測されます。言い換えれば、そうした一話完結型ではなく連綿と同じミッションに取り組むことを主とするゼミでは、なかなか起こりにくい開講形式です。
 
上野ゼミの日程は、先生、教育コーチ、学生の合議で決定されることになりました。単純に、全員の都合がつく日程に入れていくということです。そのためある程度の目安はありますが、基本的には曜日に縛られない形での開講となります。
 
<開講周期パターン>
場所と形式が見えてきたところで、次にケアしなければならないのがゼミ開講周期です。ここでは身体的負荷が低そうなものから順に紹介しています。
 
①1~2ヶ月に一度のペース、不定期開講型
eスクールゼミにおける学生の招集の難しさを考慮し、月に一度程度集結するというパターンです。春・秋学期合計で10回前後の開講となります。その間、学生はゼミで提示された課題に取り組んだり、本コラムの今後の回で紹介予定の卒業研究に関するタスクをこなしながら過ごします。このパターンにおける具体的な開催期日は、先生や学生の都合によってその都度決定されることがほとんどと推察されます。なお理屈の上では「月一で定期開講(例:毎月の第4月曜日)」ということもあり得ますが、かなりのインターバルなのでここではすべて「不定期」と分類しています。
 
②2週間に一度(月に2回)程度のペース、不定期開講型
主にオンライン、オフライン(スクーリング)を取り混ぜた形式で行われうる開講形式です。スクーリングは月に一度程度だけれど、その隙間をオンラインで埋めるというイメージです。特に演習では課題が出題されますから、その中間チェックを行うために「2週間」というインターバルは適切と思えます。ただし先生の都合によって、月に2回の内のどちらかがスキップされることもある程度にはフレキシブルです。
 
③2週間に一度(月に2回)のペース、定期開講型
こちらは厳然と、隔週ペースの決まった曜日(例えば通学ゼミの開講される曜日)にゼミが設定されるパターンです。ゼミとしてはeスクールと通学の歩調を合わせたいという意向を持っているけれど、eスクール生の事情にも配慮したい・・・という先生側の親心があると、結果としてこの頻度に落ち着くと考えられます。
 
④1週間に一度(月に4回)のペース、定期開講型
こちらは完全に通学制に取り込まれたeスクールゼミのパターンです。年間のゼミ回数は30回にのぼります。気分は完全に通学生です。あるいは通学制と同じ熱意でeスクールゼミを運営したい、という熱い先生の場合、曜日をずらしてそれぞれのゼミを開講するということもあり得ます。
 
筆者が配属された年の上野ゼミは、筆者含めて合計3名が配属されました。しかし上級生は昨年度を以て卒業されたとのことで、学生は上級学年のいない状態の3名のみとなりました。
 
<学生数パターン>
そして蓋を開けてみなければ分からない要素に、学生数(主に同期の人数)があります。意外にもこの人数の差が、指導内容や演習の充実度に影響を与えます。
 
①マンツーマン型
eスクールは学生の全体人数が少ないため、ゼミ定員も少なく、そもそも配属希望者も少ないことが一般的です。更に上級学年がいない状態で配属されると、学生1名のみという贅沢なことになります。狭き門として名高い東京芸大の指揮科ですら学年ごとの定員は2名ですから、学生としては嬉しい誤算かもしれません。先生、教育コーチのすべての熱量が学生に注がれるため休まる暇がないというのが難点と言えば難点ですが、一匹として生きてきたeスクール生には、むしろ望むところかもしれません。
 
②学生2~3名(別学年)型
こちらはより一般的に、毎年1~2名の配属があるゼミの標準的な陣容です。先生、教育コーチに加えて上級生がいるので、孤独感を感じることは①より少ないという利点があります。さすがに先生や教育コーチの熱意をすべて我が物とすることは難しいものの、適度に刺激し合いながら学べるという意味ではeスクールゼミとして最適なサイズ感といえます。
 
③学生2~3名(同学年)型
しかし稀に、複数の学生の学年が同じということが起こりえます。こうなると頼れる上級生がいない分、配属初年度の複数学生の心境は「①マンツーマン型」の中の贅沢成分が削ぎ落とされた状態となります。とはいえ複数名が居るというメリットは課題遂行において計り知れず、ディスカッションも(単独受講よりは)実のあるものとなります。ちなみに筆者が配属された時期の上野ゼミは前にも後にも配属者がいなかったため、ずっとこれでした。質問を考えた意味はなかったです。
 
④学生4名以上型
人気のゼミには安定して定員一杯の学生が配属されます。そのためeスクールといえど4名以上のまとまった勢力が構成され、通学制と遜色ない形の課題の提示も可能となります。トレードオフとして、学生1人あたりの先生占有時間が下がることになりますが、教育コーチや大学院生(後述)にも相応の役割を与えることで、そのマイナスは埋め合わせられます。
 
一方で上野ゼミの指導側の陣容としては、先生と教育コーチのみとなりました。これはeスクールゼミが通学ゼミとは分離されて開講されること、場所も異なることなどが大きな要因です。
 
<指導側人数パターン>
学生の人数と同様に意外と読めないのが、指導側の人数です。この人数を直接的に左右するのは大学院生の存在です。
 
①教員+教育コーチ型(総勢2名)
eスクールでは標準的なスタイルです。コラム第5回において「教育コーチは教員に準ずる働きをみせていた」と書きましたが、ゼミの教育コーチもそれは同じです。学生数が少ないほど、指導側人数もこれで十分です。なお教育コーチが配属されないケースもありそうですが、筆者は把握していません。
 
②教員+教育コーチ+大学院生型(総勢3名以上)
eスクールではお馴染みの陣容に、大学院生が付随するパターンです。そもそも教育コーチの資格は「修士学位」ですから、博士課程の大学院生が教育コーチを担当することがあり得ます。加えてeスクールゼミが通学ゼミと近接して開講される場合、eスクールゼミに教育コーチ役ではない大学院生がオブザーバー的に参加することや、そもそも教育コーチが複数名任命されるという事例も考えられます。こうした措置が取られるのは主にeスクールゼミの学生数が多い場合です。
 
上野ゼミのゼミのカリキュラムは「1年目演習、2年目卒業研究」となりました。演習ではゼミ開講ごとに出題、発表(提出)を繰り返し、最後に卒業研究へと繋がるミニ論文を提出する運びです。
 
<演習形式パターン>
最後に、演習そのものの形式についても大まかに2パターンがあります。
 
①演習と卒業研究が独立している
1年目は演習と称し、主には卒業研究に取り組むためのスキル習得を目的とした課題を課せられ、2年目(最終学年)の春より卒業研究を本格化させるパターンです。両者は必ずしも完全に分断されている訳ではないのですが、卒業研究のテーマとの関連が薄いスキルに関する課題でも課せられることが大きな違いです。
 
②1年目から卒業研究に入る
eスクールゼミの場合、開講回数などの制約から、事実上1年目から卒業論文に着手することを選択するゼミも少なくないようです。科目名と内容が異なるとも言えますが、実際に学生が取り組む内容は「卒業論文執筆のためのスキル習得+執筆」ですから、ほとんど変わらないと考えることもできます。強いて言えば②の方が、卒業研究に即したスキル”のみ”を習得する訳で、無駄がないように思える反面、学生として会得しておきたいスタンダードなスキルを取りこぼす恐れがあることに留意しなければなりません。
 
以上の項目を積の法則に基づいてすべて掛け合わせると、
 
3*3*4*4*2*2=576通り
 
のeスクールゼミ運営パターンがあることが分かります。ここに演習の内容や進め方に関する個性、例えば課題の提出形式がレポートなのかプレゼンなのかその両方なのか、夏休みや冬休みも稼働するのか、演習の締めくくりとして長尺のレポート(ミニ論文)を課すのか何もないのか、なども勘案すると・・・
 
ね。パターンなんてないんですよ。
 
でもゼミ配属面談では、希望するゼミが上記のどのパターンなのか把握するとよいかもですよ。
 

いよいよ演習に突入・・・?

 
はてさて、開講形式だけでだいぶ文字数を費やしてしまいました。いよいよここから、演習に関する本格的な説明を・・・
 
と思ったところで、忘れていました。そうなんです。ゼミって活動内容がオープンってことがあんまりないんです。ですのであんまり書くのは面白くないかなって。
 
いや、そここそを知りたいんだけど、とな?
 
ええいもう、いい子だから黙ってて。
 
なにより、演習に入ると思っていた矢先の2013年の5月。上野先生からとある提案があったことも理由にしたいと思います。
 
「合同ゼミ、出ますか?」
 
 
この続きは次回。
 
 

いーすく! #10 またスクーリング!

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稲荷山公園駅を降りてタクシーを待っていると、見慣れた顔と出会うことができました。
 

#10 またスクーリング!

 
いや、個人的には「また」ではないのですが、そんな筆者にとって自由なスクーリングの時間がやってきました。上野先生から「武蔵小杉ゼミ、藤沢ゼミと合同ゼミを行うのだけど、参加する?」というお誘いを受けたのが1ヶ月程度前のこと、筆者は好機到来とばかりに「行きます!」と元気よく答え、そもそもどういうコンセプトのゼミなのかも理解せぬまま参加を決めたのでした。
 
ここでひとつ新しいキーワードが出てきたので説明します。合同ゼミとは、その名の通り複数のゼミが合流して一つの活動を行うことで、上野ゼミの場合は同じ研究領域の武蔵小杉ゼミ、藤沢ゼミが相方となることが多いようです。合同ゼミの開催タイミングは全くの不規則で、ゼミたるもの合同ゼミを行わなければならない、という決まりはありませんが、結構行われるとのことでした。
 
また合同ゼミといいつつも、人材を合同で持ち出すタスクフォースが形成されることは多くなく、現実的には、どこかのゼミが発起した企画に他のゼミが相乗りする、というケースが多いようです。そして今回の合同ゼミの企画の発起人は藤沢先生である、という情報を上野先生から聞きつけたことも、二つ返事で参加を決めた理由だったかもしれません。
 
いや、藤沢ゼミを選ばなくて申し訳ないかな、と。一言挨拶しておいた方がいいかなって。
 
そしてこの3ゼミの場合、合同ゼミが企画されるのは通学制のゼミのみでした。通信はやはりトータルでの人数が少なく、日程を合わせることも難しいためです。そのため(通学制)合同ゼミについては、希望によって通信生の参加を認めていました。だからこそ上野先生は「お誘い」という形で筆者に合同ゼミの存在を示していたのでした。
 
これが参加必須のゼミであるなら、学生は出欠を訊かれる立場にないわけです。いろいろと回りくどい説明をしましたが、筆者にとってこの事実が意味するのは、初めて通学生、いわゆる現役の大学生と相まみえるということです。苦節3年とちょっと、苦行感はあれど大学生である実感はやや乏しかった筆者にとって、いわゆる本来の大学生が学ぶ環境に飛び込めることは、怖くもあり楽しみでもありました。
 
さて、ここまでこのコラムで挑戦していたことがひとつあって、それは絵図のゼロ使用ということです。よせばいいのに、写真や図を使わずどこまで臨場感をもってお伝えできるか、挑戦していたのでした。しかし今回に関しては、さすがに何枚かの写真を挟むことをお許しください。いや、むしろここまでの結構な場面で写真やら図表を盛り込むべきだったところがあったと思いますが、今更付け足すのも微妙なのでそれは各自で補足をお願いします。大学の公式サイトとか行けば分かりやすいのあるし。
 
では、時計の針を合同ゼミ当日に戻したいと思います。
 

2013年6月11日正午 稲荷山公園駅

 
池袋から西武池袋線でおよそ40分。稲荷山公園駅小手指駅からさらに2駅ほど奥まったところにある、やや小ぶりの駅である。今回の合同ゼミの集合場所は稲荷山公園駅からタクシーで向かう必要があったため、まずは駅においてタクシーを拾う必要があった。降りてみるとタクシーは居らず、そうこうしている内に藤沢先生らとの一行と合流した。
 
「久しぶりじゃん。元気?」
 
開口一番、やはり酔っていない藤沢先生は何を言っているかが明瞭で、良い大人という印象である。筆者は「元気です」などと生返事を返しつつ、タクシーに同乗させてもらった。車中ではあまり話が盛り上がらなかった。というか、何を話せばよいのか分からなかっただけなのだが、それよりも通学制の合同ゼミに参加できるという高揚感が勝っていたため、気にならないまま目的地に到着した。
 
あれ、アメリカ・・・に来たのかな?どういうこと?
 

午後1時 ジョンソンタウン

 
ジョンソンタウン。その名が示すように、太平洋戦争後に米軍に接収され、ジョンソン基地(現在の航空自衛隊入間基地)と共に、長く日本におけるアメリカとして存在していた地区である。米国による管理は戦後しばらく続いたものの、昭和53年には基地ごと日本へ返還され、ジョンソン基地は入間基地に、ジョンソンタウンにはアメリカ風の住宅と景観を残した日本の住宅地となった。
 
返還後、ジョンソンタウンは特に歴史的価値も見出されなかったのか、荒廃が進み、返還前から存在していたアメリカ風住宅は次々と取り壊されていった。転機が訪れたのは平成8年、ジョンソンタウン一帯の地主であった会社の社長の世代交代であった。こうして、今に続くジョンソンタウンの復興プランが動き出した。
 
復興プランにおいて、ジョンソンタウンは「アメリカ風住宅の町並み」を保存することを選択した。そのため関係者は、オリジナル建物の補修と返還後に建設された日本家屋のアメリカナイズリフォーム(平成ハウスと呼称)を断続的に実施していった。合わせて喫茶店などの観光客向け施設も拡充され、2013年現在、ジョンソンタウンは今や狭山地区の貴重な観光資源として脚光を浴びつつある。
 
 
今回の合同ゼミ最初の見学地はこのジョンソンタウンであった。アメリカといっても、そもそもアメリカに行ったことのない人間なので、前述の印象が真実かどうか疑わしいものであるが、少なくとも日本ではない違和感を覚えた。言うまでもなく、その違和感が建築のどの部分から発せられているか(発せられていると思うか)を考察するのがこの合同ゼミの目的であろう。
 
 
いくつかの家屋は展示用なのか、屋内まで見学することができた。白い壁や高い天井など、ものすごくアメリカに寄せたような努力が垣間見られる。一方で梁や台所の寸法など、「さてはおぬし、日本家屋の居抜きだな?」と感じさせるような場面も観察され、それが結果的にジョンソンタウンの個性となっている。そう、これは住宅の新しい様式なのである。
 
 
一方外の景観に目をやると、ここでもアメリカっぽさ(日本っぽくなさ)を感じさせる一瞬を数多く見つけることができる。見つかるのだけれど、冷静に考えるとアメリカほどアメリカではない気もする。つくづく不思議な街である。
 
 
先述のように、ジョンソンタウンは今や一つのプロジェクトとして、住民と建築の有識者を大いに巻き込みながら成長している。将来、より観光客を迎え入れられる設備が整えば、観光スポットが豊富と言えない西武池袋線沿線における貴重な観光資源として存在感を高めていくことだろう。
 
 
ひっくり返った猫ちゃんかわいい!!
 

午後2時 入間市駅までひたすら歩く

 
ジョンソンタウン見学を終え、一行はここから入間市駅まで歩くこととなった。数十人の大学生と数人の大人が、何の統率も取れていない集団を為して小綺麗な歩道を闊歩していた。
 
筆者は子供の頃から遠足が嫌いではなかった。ただしそれは集団行動が好きだったのではなく、集団から自分のペースでつかず離れずを保ちながら行動することが好きだったのだ。まあ天邪鬼なのかもしれない。流れがあると逆らいたくなるくせに、流れがないと動かないのである。実際は流れがない、つまり一人で歩くことも問題はなかったが、集団で歩くことの楽しさもしっかりと認識していたように思う。
 
もちろん何度か失敗もやらかしている。地元の町で行われた、子供会単位で参加していた行事の終わり、おもむろに退却した一団になんとなくついていってしまった筆者(小学校低学年)は、しばらく消息不明者として捜索されていたらしい。ついていった一団は隣の地区の子供会で、会場から遠いがために早めに離脱していただけだった。そういえば途中から、うちとは違う方向にみんな歩いて行くな・・・まあいいや、と、取り付いた集団の素性を探ることもなく、マイペースに離脱し自宅に到着した。帰宅後、親を含めた子供会の大人たちにどえらく怒られたことを覚えている。
 
それでも、集団があれば喜んで乗り、集団の中では動き回るという基本スタンスは今日に至るまで変わることがない。何が言いたいかというと、この年になって学生の行軍に当事者として乗れることが、楽しくて仕方がなかったのだ。土地勘もない、更に言うとランドマークと呼べるような目印もない地域で、不思議なほど不安はなかった。遠足の一団の中の一人という気持ちでずっといられるなら、一人というステータスは極上のものとすら思えた。ただ、あてもなく歩き回る時間が過ぎていった。
 
「どう?楽しい?」
 
徐に藤沢先生が聞いてきたのは道中の真ん中あたりだったと思う。筆者は「楽しいです」とありきたりな答えを返したが、それは正解(藤沢先生の聞きたい答え)であったらしい。藤沢先生は「よかった」と一言こぼして、ゼミの院生らとの話に戻っていった。今思えば、ゼミ選択で選ばなかったことを気にしていたか、あるいはやたら右往左往する筆者に不安を抱いたのかもしれない。
 

午後2時半 入間市駅

 
 
一行は小一時間とまでは行かない程度の時間で入間市駅前に到着した。駅の付近の線路は不自然なほどカーブしていて、まるで駅のために線形をねじ曲げたようにすら見える。西武池袋線(池袋~飯能)の開業は大正4年(1914年)と古く、入間市駅は「豊岡町(とよおかまち)駅」として、路線の開業時から存在していた。
 
 
しかし返す返すも不自然なカーブである。池袋線のほとんどの区間が直線的な線形で構成されているため、この凹みは余計に目立つのである。現在は周辺に入間基地があり、なんとなく馴染んでいるのだが、池袋線の開通は入間基地よりだいぶ前なのである。これから記すその理由について、ドンピシャな史料が見つからなかったため全くもって推測の域を出ないことをお断りしなければならないが、やむを得ない事情があったことが偲ばれる。
 
 
時は大正前期。この地域に線路と駅を設けるにあたり、自然な線形は上図水色のようなルートとなろう。そして仮に想定ルート上に駅を作る場合、概ね平地にあたるため、困ることはなさそうに思える。
 
 
かしそこは周囲より標高がかなり低く、線路をそのまま敷いてしまうと勾配が発生してしまう。こうした場合の大胆な解決策としては、築堤を造営し、線路の標高を高いままとする方法である。しかしこの方法は多量の土砂が必要な上、平地の土地も大きく買い取らなければならない。駅を作るとなればなおさらである。
 
もう一つの作戦として、平地の標高に合わせて周辺の線路を掘り下げていく方法が考えられる。しかしこれも当時の汽車の牽引力(の弱さ)を考慮すると、勾配は相当緩く設定しなければならない。そのためには周囲のかなりのエリアの路盤を掘り下げなければならず、相当な手間が予想される。
 
加えて建設当時、現在の国道16号線に沿う形で馬車鉄道(中武馬車鉄道)が存在していたことも少なからず影響したかもしれない。現在でも鉄道線と道路は立体交差しているが、これは開通当初からの構造である。これが鉄道線を平地まで下げると、馬車鉄道の軌道と平面交差してしまう。鉄道同士の平面交差は双方のダイヤを調整する必要が生じることから、その構造を避けようという力が働くのは不自然ではない。
 
 
あるいはルート決定にあたり、仏子駅(ぶしえき、入間市(豊岡町)駅の1つ飯能寄りの駅)周辺の製糸業者による路線誘致活動が影響した可能性もある。
 
時の武蔵野鉄道西武鉄道の前身)は飯能出身の有力者:阪本喜一と資産家であった社長:平沼専蔵両氏の情熱で、飯能から池袋までの線路を迅速に敷くことを至上命題としていた。ということは武蔵野鉄道は、豊岡町から飯能のルートについて、当初は仏子を経由しない上図破線に沿ったルートで構想していたと推測できるのではないだろうか。
 
しかし仏子の企業側の積極的な誘致によって、路線は豊岡町から急転、仏子を経由しなければならなくなった。その過程で、路線は途中で仏子側にルートを振り向けながら豊岡町駅を設置する形となり、結果として現在に残る急カーブが形成されたのではないか。
 
こうしたルート変更で急なカーブが生じた事例としては、箱根登山鉄道小涌谷駅と変更ルート上の急カーブが有名である。いずれにせよ当時の武蔵野鉄道は、社命(迅速な敷設)と施工可能なプランを勘案し、線形が犠牲となる現在の形に落ち着いたのではないだろうか。(より詳しい歴史的事実や史料をご存じの方、お知らせいただけると嬉しいです)
 
そんなことを考えながら黄色い電車を撮っていると、いつの間にか一行はガードをくぐり、線路の向こう側に到達していた。ひどいじゃないか。先に行くよって誰か聞かせてよ。
 
 
一行が先を急いだのは、入間市駅が目的地ではなかったことによる(というか、誰一人として入間市駅にもカーブにも注目していなかった)。線路の向こう側、周囲からすると低地となっている一帯に本日二つ目の目的地があった。それはもしも鉄路が線形重視で敷設されていたら、まさにその位置に豊岡町駅があったであろう場所に鎮座していた。
 

午後3時 武蔵豊岡協会

 
 
武蔵豊岡協会。1889年(明治22年)に創立されたプロテスタントの教会である。教会が現在の地に移転したのは時代が少し下って1912年(大正12年)、礼拝堂はW・ヴォリーズの設計によるものである。竣工直後には関東地震に見舞われているが、豊岡町の被害はこの教会も含めて比較的軽微であったようだ。
 
しかし震災を克服しても、あるいは入間基地建設による影響を回避しても、建物としての経年劣化と、いつ通っても渋滞していると悪名高い国道16号線の拡幅事業にはついに抗えなくなった。100年以上、地域の信者によって守られてきた教会もこれまでか、とあきらめそうなところ、なんと教会側は「補修した上で牽家」という驚くべき打開策を打ち出した。簡単に言うと、直して引っ張ってついでにクルッと回すというのである。パンクした自転車じゃないんだから。
 
これも信仰の力、と説明するのは簡単である。しかし信仰だけでこの選択肢に辿り着いたと考えるのは少し強引である。なぜなら、特に古い建物の場合、補修や牽家を行うより新築する方がおそらく安価かつ美麗な建物となるのである。つまり信仰のみが依り代であれば「安くて美しくなる」選択肢を取っても不思議ではない。つまりこの教会を守る信者には、信仰と共に、土地や建物への愛着も強く存在しているのではないか。
 
 
いや、なんというかもう、感動する話である。結果論であるかもしれないが、この教会を中心として土地の風情や人の繋がりが保たれてきたことは、ここに理屈を超えた何かがあると説明されても納得してしまう強度がある。
 
 
場内はヴォリーズ作品において特徴的な、シンプルにして清潔感で満たされた空間となっている。この舞台の雰囲気、なんだかどこかで見覚えが。ちなみにヴォリーズは全国各所の教会の設計を行った傍ら、主に関西地方の校舎も手がけているので、ぜひくまなくチェックして欲しい。なお探訪した日時は改修に入る前に見学できる最後のタイミングであったらしい。
 
 
創立から130年余り。時代が変わり、駅名も変わり、街の様相が変わっても、武蔵豊岡教会は地域の強力なランドマークであり続けるだろう。
 

午後5時 狭山市駅 

 

武蔵豊岡教会からはさらに徒歩で狭山市駅まで移動し、合同ゼミはお開きとなりました。道中の徒歩移動はそれなりに長いものでしたが、かなり濃密な時間を過ごすことができたという感触がありました。それもこれも、この合同ゼミの行路を企画した(らしい)藤沢先生のお手柄です。いやー本当に参加して良かった。
 
とはいえ出会いの最後に別れはつきもの。学生、先生方とはここ狭山市駅でお別れです。先生方はこれからもやることがあるそうで、それはさぞかし大変なお仕事なんでしょう。お疲れ様です。
 
狭山市駅から高田馬場までは、西武新宿線の急行電車で一本です。途中の田無までは各駅に止まるも、そこから高田馬場まではほぼノンストップ。時刻はラッシュアワーに差し掛かっていましたが、ラッシュとは逆方向の電車ですから、問題なく座ることができました。せっかくなので、しばし余韻に浸ることにしましょうか。
 
なんだかとっても長い夢を見ていたような、そんな感覚でした。なにせこれまで、大学という存在は(スクーリングを除いて)画面の中だけのものでした。言い方は極端ですが、テレビの中のドラマ、映画の中の世界を外から眺めているようなもので、それは「自分が当事者ではない」という認識の元に成立する感覚でもあるわけです。加えて現役の大学生がいて、しかも一緒に行動しているなんて。突然若返ったような、なかなか不思議な夢です。
 
けれど今日、先生や学生は確かにそこに存在していました。キビキビと動く藤沢先生、いつになく楽しそうな上野先生、面談の時とほとんど変わらない雰囲気でニコニコしている武蔵小杉先生・・・これが「大学」なんだ。やっと本物の大学に触れられたんだ。そんな気がしました。
 
誤解のないように確認するならば、eスクールも本物の大学です。学べる内容も必要な単位数も通学制と同一で、学ぶための自由度はむしろ通学制より高い部分もあるんじゃないか!と思えることも少なくありません。しかしやはり人間というものは、実物、実感、ライブ感というものにとても大きな意味を感じる生き物であるということも、こうした機会に触れることで気がついてしまうものなのでしょう。
 
一年の内で最も昼が長いとされる6月でも訪れた夜空の中を、急行電車は新宿へひた走ります。あれは夢だったのだろうか・・・
 
・・・・・・
 
・・・・
 
・・
 
高田馬場に着く頃、筆者の顔は見るからに疲れていました。久しぶりに長時間歩いた疲れと現実に引き戻された絶望感が、今頃訪れたのでしょう。はたまたいつの間にか、超えるはずのない世界線を越えてしまって、その反動が身体に来たのかもしれません。
 
果たして今は現実なのか。
 
僕はどこにいるのだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
参考資料
ジョンソンタウン  https://johnson-town.com/ 
中川浩一:西武鉄道の系譜、鉄道ピクトリアル、1969/11
宮脇俊三原田勝正:JR・私鉄全線各駅停車 別巻1 東京・横浜・千葉・名古屋の私鉄、小学館、1993/10
 
文中の地図:地理院地図 https://maps.gsi.go.jp/

いーすく! #11 大ピンチ!

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もうすぐレポートの締め切りというこの大事な時期に、こんな大ピンチが訪れるとは。
 

#11 大ピンチ!

 
eスクールつきの生活に慣れ、eスクールの課してくる無理難題に慣れても、窮地と呼べる瞬間は何度も訪れました。話題の性質上、さすがにすべてが我がことではないのですが、後学のために事例と対処法をご紹介したいと思います。
 
俺たちの(あいつの)ようにはなるな!
 

まさゆめプレゼンツ「しくじりレクイエム」

 
第1楽章:受講もう間に合わない気がする系
 
幸いなるかな、悲しみを抱く者。(新約聖書 マタイによる福音書より)
 
本業やら先延ばし癖やらで、土日のみ受講に追い込まれる学生は1分1秒を無駄にできません。しかし何を善処しても、唐突に告知される長尺の小テストやグループワーク、いつも1時間程度の講義映像がなんで今回だけ2時間あるの?という過剰サービスの発生を妨げることはできません。年季が入ってくると残念ながら大学に隕石を落とせないことも知っていて、ディスカッションで主張できそうな内容は先に受講している人たちがもれなく書いていることも深く認識しています。
 
心証を良くする・・・もとい、BBSに爪痕を残すためには、さも「色々見ていましたが結局こういうことですよね」的な視点で、お前何様だという視線を感じながらまとめにいくコメントを書くしか・・・
 
しかしこういった受講生は、そもそも議論に参加していないのです。まとめようにも知らないのです。プランBとして、それまでの議論とは微妙にズレたような、しかし「講義ちゃんと理解してるの?」というツッコミを受けない程度には内容を反映させたコメントを書くしかありません。でもそれって、とんでもなく難しいことです。なんせ知らないんですから。こうして一読して意味の読み取れない、三回くらい読んでも意味の読み取れない書き込みが日曜の夜にひっそりと投下されます。
 
藤沢先生 桐生コーチ 受講生の皆様
第11回講義、受講しました。
今週は「都市環境とデザイン」というテーマで、都市の環境とデザインがどのような関係にあるかを学ぶことができました。
特に行動からデザインを考えるというスライドで、人と人によって関係性が変わるということが面白いと感じました。
来週もよろしくお願いします。
 
それでもまだ、間に合えば救われるのです。これがタッチの差で間に合わないとなれば、日付をまたいだ延長15回の試合に敗れた野球選手の如き疲労感を翌週に引きずることになります。もう、連敗街道まっしぐらですよね。アーメン。
 
 
第2楽章:突然のメカトラブル系
 
人はみな、草の如く。その栄華とは、草の花の如し。(新約聖書 ペトロの手紙より)
 
その文脈に従うならば、ディスプレイもCPUもメモリもストレージも、所詮は草であり、その中身という花も枯れ落ちるのです。しかもそれは突然やってきます。突然に加え、今だけは来ないで欲しいという時を見計らってやってきます。期末レポートの絵をイラレで描いているときとか、それをワードに貼ろうとしてメニューバーをクリックしたらなぜか動かなくてあああああ。もう大学関係ないやんと思います。言い直すなら、大学であってもこの霹靂から逃れる術はないということです。
 
一方でハード面、いわゆるパソコン本体のトラブルについても、避けられない運命です。皆さんは、家に帰ってみるとけたたましいビープ音と共にパソコンの筐体が悲鳴を上げている姿、見たことありますか。ノートパソコンに醤油とか、味わわせたことがありますか。戦時下の日本では徴兵を逃れるため、兵役検査の直前に醤油を一升瓶飲んで昏倒する者が居たという話を聞いたことがありますが、パソコンさんには一升も要りません。というか醤油じゃなくても液体系は要りません。あの日のパソコンは、もう戻ってこないんですよ!
 
筆者がこの不安から劇的に解放されたのは、オンラインストレージの活用を始めた時でした。最初はその仕組みがよく分からず「いちいちオンライン上にプライベートのファイルを置いとくの?恥ずかしくない?」などとすら思っていましたが、今やそれがなければすべての制作活動は成り立たないと言い切れるほど、オンラインストレージは生活に根ざした存在となりました。ソフト的なトラブルへの対処としても、ハード故障による損失を最小限で抑えるためにも、オンラインストレージは唯一解です。現在、W大では学生向けオンラインストレージを提供しているとのことですから、こうしたサービスの充実が世界中の大学生活の標準どころか前提となる日も遠くないことでしょう。
 
それでも、トラブルは常にあなたの側に居ます。AppleCareに入ってますか。ヨドバシ長期保証も悪くないですよ。保証書は取ってありますか。UPSは入れていますか。ストレージ容量はきちんと確保していますか。できれば、稼働用と定期バックアップ保存用のオンラインストレージを別個で欲しいくらいですね。それでやっと、おやすみなさいを心穏やかに言えるように・・・
 
え?インターネットが繋がらない?エアステーションっていう画面が表示されている時に説明書に書いてないやり方だけでどこか変えちゃった?
 
・・・所詮、ルーターも草なのです。
 
 
第3楽章:レポート出せないんじゃないか系
 
主よ知らしめたまえ、我に終わりの定めあること(旧約聖書 詩篇より)
 
レポート、それはたかだか数千字程度のテキストです。それを書けるようになるために、この何週間も受講を経てきたわけです。ほら、数千字程度ならすぐに。
 
・・・その構想が一瞬で思い浮かんだか浮かばなかったかで、今の自分が天国、地獄のどちらに居るかを認識します。まずは浮かばなかった時、つまりは地獄の一丁目に居る場合を覗いてみましょう。
 
<地獄からのレポート書き>
先の見えないレポートを書くにあたり丸腰ではどうしようもないということだけは理解できるので、出題テーマに沿った適切な文献を探すところから始めます。でもこういう場合って、要は講義の内容を分かっているようで分かっていなかったんでしょうね。典型的な症状として、適切な文献というのが講義内の先生の説明しか出てこない、というのがあります。いっそこの(講義内の)発言をまるごと引用しても良いんじゃないか、と思ったことは数知れません。「藤沢先生第10回講義、第3章20:03の発言から」という感じで。文ではなく言質を取りに行く作戦ですね。うーん、リアル脱出ゲームだとたぶん失敗です。
 
なんとかして文献を見つけ出せたとして、次は書き出すためのテーマの検討です。「まさゆめの期末レポート」などというタイトルでは日記であることを隠せません。レポートたるもの、もっと客観的な視点を基に論じなければなりません。しかしつらつらと書いていると、あれ、私、いつの間になんでこんな感想書いてるんだろ?と思うことも少なくないものです。それもこれもすべて、構想が思い浮かばなかったという一歩目が影響しています。返す返すも、構想(構成)はとても重要です。
 
<天国からのレポート書き>
一方天国側、構想が思い浮かんだ状態でのレポート着手パターンは割とスイスイ書き上げられます。しかしこのルートでも苦心ポイントがあります。それはその構想が無理筋だった場合、巻き返すことに時間を要すということです。ある意味では最初から地獄に居るよりも遠回りを強いられることがあります。あるいは良い構想が浮かんだとして、それがとても手間の掛かる調査を要するという予感がある場合、どうにかしてそれを回避できないかという葛藤が生じます。だいたいの場合回避はできないので、悩んでる間の時間を無駄にした形となります。
 
天国ルート地獄ルート、いずれにしても最もどうしようもないものは締め切りです。もうとっくに何千文字も書いているのにも拘わらず、締め切り半日前の段階で読むに堪える部分は氏名だけ、なんてことも多々ありました。天国でも地獄でも、悪夢を見る宿命から逃れることはできないのです。
 
うなされている内は、悪夢にも終わりがあることを祈るしかありません。そして一歩一歩、重々しく、踏みしめながら、歩むしかないのです。
 
 
第4楽章:期限内におうち帰れない系
 
なんと愛しいことでしょう、汝の居るところは(旧約聖書 詩篇より)
 
社会人学生であろうとなかろうと、リアル世界での用事を避けることはできません。特に土日となれば、気の置けない友人との遊びにも付き合うことがあるでしょう。ほぼ東京都であると豪語してやまない夢の国の閉園時間まで心ゆくまで楽しんで、やたら混んでいる東京駅の長い連絡通路を歩いている最中、ハッと夢から醒める訳です。気持ちは分かります。きっと夢って時間が大好物なんですよ。そしてあの連絡通路は、そんな夢追い人が夢から安全に醒めるために必要なストロークなのでしょう。
 
ちなみに筆者はeスクール在学中、残念ながら夢の国に足を踏み入れることはありませんでしたが、元々家が首都圏の端っこにあるため、移動時間ロスは都会在住者の比ではありませんでした。にっちもさっちも行かなくなった場合の最終手段として、大学のキャンパス(図書館)に赴き学内のパソコンで受講するという力技も想定していましたが、そうそう何度も駆使できるものではありません。やはり期限内におうちに帰れないことを見越して早め早めの受講計画を実践するしか、根本的な解決策はないのです。
 
 
第5楽章:引用とかちゃんとしたっけか系
 
汝らも今は憂いあり(ヨハネによる福音書より)
 
長い時間かけて取り組んだレポートを提出したときの爽快感は、(経験はないですが)尿路結石が取れたようなもの、まさに肩の荷が下りたことが体感できる、eスクールライフの中に潜む数少ない快楽です。
 
しかしアドレナリンはほどなくして分泌が止まります。とりあえず落ち着いて、今日は寝てみようとなります。あれ?そういえば、引用きちんと載せていたっけ。そうなったらもう起きるか寝られないかの二択の始まりです。意を決して布団から這い出て提出したレポートを確認すると、結構な確率で誤りを見つけます。面白いことにそれは当初心配した内容であることより、思いもよらないケアレスミスであることがほとんどです。そしてそれが、更なる心配を呼び起こします。まだあるんじゃないか?
 
時には第六感、書いていて半音の半音ほどズレているような違和感を覚えながら書き進めて、その違和感に答えを出さないまま提出すると、提出した瞬間にその原因が理解できるということもあります。マクルーハンじゃなくてマルクーハンって書いていた、とか。我ながらなかなかな超能力だなと思うのですが、よく考えるとなぜそこまでモヤモヤの状況を維持してしまっているのか、そちらの方が超能力感あるような・・・
 
これ以上は論調が怪しくなるので種明かしをしますと、だいたいの場合何かが間違っているのです。きっとこの原稿も、何度読み返してもどこかで誤字があるのでしょう。
 
 
第6楽章:ガチ病気系
 
我らここに永住の地をもたず(ヘブライ人への手紙より)
 
eスクールの受講で優先度を高くしておきたい事象に心身の健康があります。特に社会人学生は、会社でデスクワーク、座学でデスクワーク、夜ナベレポートでもデスクワークとなれば、データを取るまでもなく死のリスクが高まりそうなものです。出来ることなら長期離脱となるような疾病の罹患は避けたいところですが、避けられるなら人類みな避けるはずです。
 
筆者は幸いにもeスクール在学中に大病を患うことは避けられましたが、発熱やら偏頭痛で受講が難しいというトラブルには何回も見舞われました。特に偏頭痛が週の最後(日曜の夜)に来て、なおかつ未提出のレポートがあるという事態になればゲームオーバーですので、そうならないようにしなければ・・・と考えていたことが、早め早め対処を習慣づけるきっかけになったのかもしれません。
 
世の中、いつも絶好調とはいかない方は結構多いと思います。もし自分がその範疇に入る人間だな、と思われるようでしたら、ハンデをむやみに無くそうとせず、ハンデをバネとした習慣を身につけることを目指した方がよいかもしれません。街中で急にお腹が痛くなることを気に病むなら、体調がおかしくなくても定期的にトイレに行くとか、そういう話です。デートの時も?もちろん。むしろ相手の体調にも思いが行き届かないようなお相手は、あなたではなく夢のあなたに惚れてるだけなので、とっとと別れるが吉です。夢から醒めたその人にあっさり捨てられる前に。
 
疾病に話を戻すと、疾病に関して実はとても寛容なのが大学という機関です。さすがに何の診断書もなければ難しいとしても、疾病の内容によっては大学側に相応の配慮を申し出ることができます。また長期療養となれば休学を検討してもよいでしょう。病気というだけで何かをあきらめるのは、大学に関してはちょっと早計です。
 
 
第7楽章:剽窃、中傷、ハラスメント
 
幸いなるかな、死人の内、主にありて死ぬるもの(ヨハネの黙示録より)
 
eスクールに限らず研究において大罪なのが剽窃(ひょうせつ)です。単純には人様の文章や作品などを自分のものと偽って用いることを指しますが、引用元を明示せず結果的に「自分のもの」と読み取れてしまう形で発表しても同罪となります。これをOKとしてしまうと研究は剽窃したもん勝ちというディストピアとなってしまいます。
 
eスクールでこの種の不正が発覚した場合、過去に大学側から公示された事例から推定すると、該当者は当該学期の単位をすべて没収される上、停学または退学となります。そもそもeスクールってキャンパスに登校していない訳ですが、それで更に「来るな」ですから、事の深刻さが読み取れます。
 
また同様に、eスクール生として中傷に手を染めることもよろしくありません。よく「善かれと思ってと言った・やった」という言い訳がありますが、善かれと思うならまずは相手の立場をむやみに損なわないような他の言い方・やり方を模索すべきではないでしょうか。最近では匿名で中傷行為を行っても、現在は被害者側が発信者情報開示請求を行えるので逃げ切れません。
 
その他、有形無形のハラスメントも懲戒の対象です。ゼミの先生に、サークルの先輩に、あるいは学生に嫌な思いをさせられていませんか。W大にもハラスメント相談窓口があります。いきなりそこに駆け込むのは気が引ける、ということであれば、当事者ではない大学関係者(教員、事務局員など)や第三者に相談するのも良いでしょう。
 
いずれにしてもこの種の洒落にならない問題を受けて、大学という一般社会一歩手前のコミュニティーで制裁を受けることは、痛撃ではあるもののその当人が何かを学び取る最後の好機かもしれません。その意味で、この種のペナルティーを科せられた人々も運は残っているのでしょう。もちろん、被害を受けた側はもっと多くの運が貯蓄されていると考えたいところですね。
 

ピンチはみんなにやってくる

 
ちょっと終盤は洒落にできなくてついついマジ基調になってしまいましたが、eスクールでのピンチというのは大なり小なりみんなに降りかかってくると考えておくべきです。よくピンチはチャンスと、努めて前向きに捉えようという考え方もありますが、素直にチャンスと受け止められるピンチばかりではないことも事実です。たまたま今回は自分にお鉢が回ってきたんだなと思って、自分の受け止められる範囲で実直に向き合うことが大事です。
 
そしてそうした経験を経た人、あるいは(望み薄ですが)こういったコラムで思いを改めてくれた人は、どうかピンチに陥っている人を過度に突き放さず、適切な形で見守るなり手を差し伸べるなりを行って欲しいと願います。当人の成長や経験を考えると、事あるごとに心配して助けることもまた過保護なのかもしれませんが、痛みの強さは人それぞれ、苦しそうだと思えたならば、一般的には手を差し伸べる必要がない局面でも助け船を出すことは正しい行いであると筆者は思います。またその判断がなるべく適切であるように、やはり日頃から色々な見方を培っておくことが重要になるのでしょう。
 
ピンチはみんなで乗り越えるもの。きっとそう。
 
 
・・・でも、本当にそれって、乗り越えなきゃいけないものなのかな?
 
 
今回は文字数の目安もありますので、この続きは次回。
 
 
 
 
参考
The Web KANZAKI(2008)「ドイツ・レクイエムの歌詞と音楽」
加えてWikipedia「ドイツ・レクイエム」内の聖書訳文も参考とした
早稲田大学ハラスメント防止委員会 https://www.waseda.jp/inst/harassment/

いーすく! #12 eスクール!

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身体がだるい。灯りをつけないでそっとしておいて。今日という今日は、もう止めにするのです。
 

#12 eスクール!

 
締め切りを守るということの難しさは誰もが理解できることです。しかし、物事を完遂させるにあたり最も難しいのは、実は始まりをしっかりと始めることではないかと筆者は思います。
 
eスクールの場合、半期15週、通年ですと30週の締め切りと始まりがあります。仮に4年間在学するとなると、通算120週の締め切りと始まりに直面することを意味します。つまりeスクール生は在学中、自らの指で120回、登り坂へのスタートを切っているのです。実際は科目の数、映像チャプターの数だけ同じようにクリックしますので、体感的には遥かに多くの踏ん切りを経ることになります。そして孤独と向き合って、なだめて、新しい週の受講を始め続けているeスクール生は、もれなく勇者だと思います。始まってしまえば、あとはこっちのものです。学ぶしかないという意味で。
 

退学という美しい決断

 
一方で特に社会人学生の場合、社会人としてのステータスが優先される以上、卒業という完結作業を経ずに学生の身分を返上することもままあることです。生きていると転職や出産、病気やケガ、事故や破産や刑事訴訟だって起こりえるわけですし、その可能性を頭ごなしに否定することこそ不誠実です。各々の事情で純然たる社会人に戻るという決断を果たした友人を、筆者は卒業を果たした友人と同じように尊敬しています。もちろんその間を取って、休学という選択肢も有効です。
 
いずれにせよ大事なのは、続けるにせよ休むにせよ終えるにせよ、最後はそれを自分で決断したかどうかです。eスクール、通信という環境は、専門知識の習得と共に、スタートボタンを押すという訓練環境を与えてくれているのです。これは半ば自動的に過ぎてゆく通学制のカリキュラムとは違う、吹けば飛ぶような、けれど確かなオリジナリティーだと思います。
 
もし優柔不断である、あるいは、自分の進路を決めるのが苦手という方は、eスクール・・・ではなくてもよいのですが、通信制の学校、できればここまで書いた手前、eスクールの門を叩くことをお薦めします。迷うことがマズいのではなく、迷った上で決めないことがマズいのです。通信という環境は、それを少しずつ確実に変容させてくれる格好のシステムだと思います。
 
え?筆者はeスクール通いで、決断する力が上がったのかって?
 
うーん、残念ながらそれは微妙です。考えようによっては、決断する力がなかったからここまで来てしまったのかもしれません。特に、起き上がることも嫌になるほど、受講画面から遠ざかりたくなるような日々を何度も経てきた身としては・・・
 

チェーンソー殺人鬼、受講を思い出す

 
筆者が「Grand Theft Auto(GTA)」に出会ったのはeスクール3年目くらいだったと思います。このゲームについて簡単に説明しますと、ゲーム世界の中で展開されるストーリーに合わせてひたすらにミッションをクリアしていくアクションゲームです。しかしこのゲームの最大の特色は、ゲーム内の世界を自由に行動できる部分ではないでしょうか。
 
昨今こうしたオープンワールド型で、しかもオンライン対応のゲームは珍しくありません。しかしプレイ当時、少なくとも筆者には目新しい存在でした。常々「レースゲームでコースの外に出たい」「ファミスタの大草原球場のファールグラウンドの果てを見たい」「遥かなるオーガスタ(ゴルフゲーム)で隣のコースから打ち込みたい」「ウイニングイレブン(サッカーゲーム)でカードを出してくる審判をド突きたい」といった規格外行動の実現に思いを馳せることが多かった筆者でしたので、ゲーム内を自由に動け、自由に運転でき、自由に車を強奪し自由に発砲し自由に(以下自粛)というゲームは待望の存在でした。ちなみにCEROのZ指定ゲームですので、18歳未満のお子様は18歳になってからプレイしてみてください。
 
GTAも、当初はおとなしくミッションに取り組んでいました。しかし早々にアホらしくなってしまい、いつの間にか街中で何の脈絡もなく凶行に走る極悪チンピラと化すのがお約束となりました。もちろんゲーム内にも警察はいて、狼藉を働くとたちまち警察に追われる羽目になります。さらに「手配度」と呼ばれる警戒指数が上がると警察の殺意も強くなり、特に警戒レベル最大ではテロリストでもここまでされないんじゃないかと思えるほど弾丸の豪雨に曝されます。特にうっかり警官の命を奪ってしまうと、ヘリやら装甲車まで出てきます。確かにちょっと取り返しの付かない罪を犯したかもしれないですけど、か弱い一市民相手にすることじゃない。
 
しかしそこは一流のゲーム、公然の秘密として存在する手配度解除コマンド(チート)を駆使したり、そうでなくとも街の物陰で息を潜めていると、警察は罪を忘れてくれるようになっています。当然、市民も激しい銃撃戦があったことは瞬く間に忘れ、日常が戻ります。つくづく平和というのは則ち忘却であり・・・これ以上はややこしくなるので自重します。
 
ミッションはもはややりたくないが、お金は欲しい。歪んだ規格外志向から、最終的には通り魔的ライフスタイルを完成させるに至りました。まず、スクラップ工場?で拾ったチェーンソーを装備し、電柱を少し削らせていただいて車道に倒します。そうすると道行く車は突然の障害物の出現に立ち往生します。その車にチェーンソーを持って近づき、ちょっとだけ車体を削らせていただきます。そうすると車内のドライバーが怒って出てきます。そこをすかさず接近しチェーンソーでサクッとさせていただくと、だいたい10~50ドルほどを得ることができます。まれに手持ちの拳銃で銃撃してくる不届き者がおりますが、対銃撃戦では距離を取るより接近した方がこちらの受傷回数を減らせますので、そのまま適当に突っ込んで大丈夫です。しかもこういった者を首尾良く真っ二つにさせていただきますと、拳銃まで手に入れることができるのでお得です。このような凄惨なのに地味な集金活動を延々と続け、遂に家を購入(だいたい10000ドル)するまで頑張ったのは世界広しといえど少数派ではないでしょうか(アホすぎて)。蛇足ですが、現実世界のチェーンソーを抵抗する人間のような動く物体に当てると、上手く切れないどころか刃が跳ね返ってきますので絶対にお止めください。そのとき真っ二つになるのは相手ではなくご自身の脳天です。
 
血塗られたマイホームへの入居を果たし悦に入っていると、チュートリアル画面が出てきます。そこにはパソコンの画面と思しきシルエットが。
 
パソコン。そうだった。期限まであと2日じゃないか。
 
ゲーム内世界を震撼させたチェーンソー殺人鬼はふと我に返り、現実世界で安全工学(仮名)の受講をスタートさせるのでした。今週のテーマは緊急事態への対応、か。ふむふむ。
 

貨物列車タダ乗り犯、受講を思い出す

 
またあるときはGTAシリーズの最新版(5)が登場したと聞きつけ、例によってワールド内を駆けずり回る毎日を過ごしました。当初こそ種々の凶行や米軍基地への突入、ギャングを挑発しつつ警察に通報し、警察にギャング集団を殲滅させるといった非道な暗躍を繰り返していましたが、そういうのにも疲れ果て、ついにはワールド内のトラムや鉄道(貨物列車)の無蓋車に無賃乗車し、ひたすら流れる車窓を楽しむという仙人のようなプレイスタイルに到達したのでした。
 
お断りしておきますと、このゲームの主要交通機関は車です。しかしなにしろ車はタクシーでもなければ自力で運転しなければなりませんので、勝手に景色が流れてくれません。その点、列車はゲーム内世界で破壊不能のオブジェクトとされているため、無限に走り続けています。車窓や列車の屋根の上から眺める美しい街並みや自然は最高の癒やしなのです。
 
PS4版が登場してからはグラフィックの美しさに磨きが掛かり、ワールド内で最も高い山(チリアド山)の頂上でご来光を拝み、その様子を動画にしてfbに投稿するという意味不明な行動を起こしたことも今となっては思い出です。末期には車を強奪することすらためらい、チートで出現させた自転車(BMX)で色んな場所を回っていました。もう、ただの市民です。
 
しかしかのように悟りを開いた修行僧でも、時間の流れには抗えません。当然ながら時間とはこの場合、現実の時間です。スペイン文化論の受講期限まであと1日。サンアンドレアス・アベニュー(ワールド内の地名)ではなく、サンティアゴ・デ・コンポステーラ(現実にあるスペインの都市)について学ばなければ・・・
 

それでも追い込まれたときは

 
かのようにeスクールに取り組んでいて、逃げ出したこと、先延ばししたことは数知れません。時間割だの履修計画だの工夫しても、ダメなときはダメなのです。普通の学生でもそうですが、人生は学校だけではないのです。
 
筆者の脳は愚直な性質があって、ブーストをかけられる魔法の言葉がいくつかあります。その一つは「これが最後だから」です。そんなに目新しくないですよね。でも効果覿面です。この言葉がすごいのは、一定のインターバルさえ置けばまた使えるところです。「これが最後だから」魔法が効かなくなると、次は「これが最後でいいの?」魔法の出番です。なぜなら「最後だから」魔法を聞き入れないほどイカれている時は、最後までやっていないに決まっているからです。
 
けれどやっていることは「後生だからお金貸して」とあんまり変わりません。魔法を唱えることを繰り返すうちに、心のどこかは確実に焼け焦げていきます。そしてある日、熱を出したり全身に謎の痒みが出たりします。ひどい時はベッドから寝ながらにして落ちそうになって、すんでのところで目が覚めたということもありました。落ちるとか落とすとか、もうお腹いっぱいです。そうなる前に逃げることは正しい反応なのだと思います。
 
このコラムを読まれている素晴らしい皆さんは、一個一個の課題はそんなでもないのに、積み重なるとあるところで急に怖くなるってことありませんか。委員会効果と勝手に呼んでいるのですが、一人一人だと話になりそうなのに、委員会の一員として対峙するともう話にならないという感覚です。大学の課題も同じで、未解決の課題たちがまとまって「課題委員会」と化した時、そこに解決策はありません。
 
ある時はおもむろに家を飛び出し、あてどなく電車に乗っていました。現在ではスマホ経由での受講も可能となっているeスクールですが、筆者が在学していた時代はパソコン以外に受講する術がなく、電車内で受講するにはノートパソコンとモバイルWi-Fiが必要でした。そのため電車内での受講はとても難しく、電車に乗ることが一種の逃避だったのだと思います。無心で東海道線を上って下っているうちに、まずは委員会の権威は意識しないでおいて、委員一人一人と丁寧に向き合おう、という気持ちを取り戻すことができたのでした。課題委員会と対峙する唯一の方法は、そんな委員会などないことを認識することなのですから。
 

長丁場を走りきるために

 
eスクールのような長丁場のレースに挑むに際して重要なのは、意志の力よりももっと物理的な下支えです。気晴らしという意味では、違法ではない、危険ではない、人に迷惑をかけず、かつ大きな散財をしないという前提で、物理的な逃避行動を一つでも多く持つことが大事です。多くの場合、人はそれを趣味と呼びますが、つまり趣味は学修の維持にとても大きな意味を持ちます。時間を捻出することは難しいのですが、だからこそ趣味は輝きを増すのです。もし近しい人に「趣味と学業どっちが大事なの!」などと言われるようなことがあれば、遠慮なく「どっちも」と言い放つべきです。これを考えると、多くの大学生が勉強以上にサークル活動に打ち込んでしまうのも、そんなに不自然ではないのだと思います。
 
一方、気晴らしとして思いつくものの中には、違法で迷惑で散財するようなものもあるでしょう。そういうことをしたくなった場合、筆者はゲームを強く勧めます。あるいは趣味がゲームという形でもいいでしょう。実物の貨車にこっそりへばりつかずとも、貨車からの景色なんて拝めるのです。なによりたかがゲーム、とゲームを蔑むような時代はもはや遠い過去のものです。今やゲーム世界ですら、のし上がるには結構なエネルギーを必要とします。もしも今、手元に気に入るゲームがなければ、見つかるまで探してください。もしもそれでも何一つ気に入らなければ、もはやゲームを作る勉強をした方がいいかもしれません。
 
そしてこういった気晴らしを滞りなく行うために、目の保護は重要です。受講にせよゲームにせよ、画面を凝視することによる目へのダメージは避けられません。おそらくは耳も触覚も然りで、感覚の過労は頭で考えるより注意が必要です。
 
当然ながら筆者も色々試しました。最も効果を感じたのはブルーライトカットのメガネでした。ただこれも「より長く続けられる」というだけで、より長く続けてしまうリスクホメオスタシスを発動させてしまいますから、本質的に意味があったかは微妙です。その他、机回りだけ見ても、加湿器、空気清浄機、ぎらつかない液晶ディスプレイ、長時間座っていても腰を痛めにくいオフィスチェアー、マウスより直感的にポインタを動かせるトラックボール、ペンタブレット、良い音を聞くためのBOSEスピーカー、資料を表示しておくためのデュアルディスプレイ・・・もはや絵を描かないデジタル絵師状態です。しかし今挙げた装備品で無駄だと思ったものは一つもありません。
 
とまあ、これだけの工夫を講じても、やはりいつかは万策尽きます。そういうときはもう、ゲームして寝てゲームして・・・と、いっそ昔の大人がダメだと言いそうなダメ人間に成り下がっちゃおうじゃありませんか。
 

とびだせどうぶつの森 eスクールの会

 
そんなダメ人間発現頻度が高まっていた時期、仙人プレイが標準形態であるゲームが発売されました。ニンテンドー3DS「とびだせどうぶつの森」です。実のところ筆者は決してゲームに詳しい、ゲームに強い人間ではありません。それでもなおこの「とびだせどうぶつの森(以下「とび森」)」は歴史的傑作だと思います。ゲーム歴や能力によらず、誰もがそれぞれの思うゴールにそれぞれのペースで邁進できるからです。100年か200年後にゲームの歴史が教科書になる時、このゲームシリーズに触れていない教科書は操作された紛い物です。
 
とび森には、それぞれが作った村に遊びに行けるというオンライン機能がありました。繰り返しになりますが今でこそオンライン機能は実に標準的ですが、このソフトが売り出された時はまだそれが画期的といえる状況でした。何がきっかけだったかは失念しましたが、eスクール同期でとび森をプレイしている学生が複数いることが判り、週の終わりの夜に集まろうという流れが生まれました。
 
月曜午前2時。筆者の作った村に、あの荒らしの大王A氏を含む合計4名が集結しました。とびだせどうぶつの森、eスクールの会。4名は筆者が作り上げた村を穴だらけにするなどの暴虐の限りを尽くしながら、日曜夜の解放感を共有していました。しょうがないなあ、もう。いえええええええええええ!うえええええええええい!
 
 
 
 
そのときの、村から眺める濃紺の夜空の、何と深く美しかったことか。
 

もうちょっと、やってみるか

 
eスクールは筆者に苦しいこと、面倒なこと、孤独感や振り払いがたい不安感と同時に、掛け替えのない友人と信憑性の高い知識をくれました。そのどれもがそれまでの筆者には想像できなかったもので、これからもここで得たすべてを自身の一部として生きていくのだろうと思います。ただその最後に卒業という通過儀礼が必要なのか、考えることは何度もありました。
 
友人関係でいえば、A氏とは今も親友です。また「とび森の会」には居ませんでしたが、第1回に登場したC氏ともインスタでいいね!を送り合う仲であり続けています。総数は少なめでも、eスクールはとてもユニークで素敵な仲間を筆者に残してくれました。
 
しかしなにしろ、卒業後に就職という宿命が待っていない社会人学生です。それゆえこれでもう十分ではないか、大学の中身も分かったことだし友人もできたことだし、なぜその上で更に大変な思いをしてまで卒業する必要があるのか、という思いがどうしても頭をもたげてくるのでした。ずっと続くんだと思い込んでいたい、というモラトリアムとやらに似ているのかもしれません。だとするとモラトリアムというのは年代ではなく、学生という身分が本能的に感じる死の恐怖なのでしょう。
 
とはいうものの、eスクールにおいて身に染みて分かったことのひとつに、自分がまだ何も分かっていないということです。何も分からないし、何も伝わらない。ずっと本質的に一人であることは変わりがないし、これからもおそらくそれが変わることはないのでしょう。もうそれがわかったのだから、もういいじゃないか。
 
いやいや。だからなんだ。だったら、だからこそ、もうちょっと知ればいいじゃないか。もうちょっと進めば、より確かな知識を増やせるかもしれない。もうちょっとあがけば、気の置けない友人ももう少し増えるかもしれない。もうちょっと突き抜ければ、もしかしたら本来の世界に住んでいる人と出会えるかもしれない。もうちょっとスタートすれば、見たこともないような新しいゴールに、辿り着けるかも・・・
 
そのために、もうちょっと続けてみてもいいんじゃないか。
 
止めるか止めないか、その答えが出ないうちは。ね?
 
 
 

いーすく! #13 卒論!

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パソコンに向かう冬の夜。足がかじかむ。最終学年の冬の夜は、例年以上の厳しさでした。
 

#13 卒論!

 
ここまでこのコラムを我慢強く読まれた方の中で、もうちょっと専門的な情報が欲しかったという人もいらっしゃるかもしれません。そのような人は、なんだか簡単な話の連続に拍子抜けしてしまっていることでしょう。
 
けれど筆者は思います。世の中は簡単なことの積み重ねです。石の上に三年座ってやっと分かるような難しいことなんて、実はそんなにないのです。ただだいたいの物事はその量がとても多く、時間もかかるというだけです。世の中の頭の良い人はこの事実に気がついていて、そして教えないだけです。あるいは簡単なことをあえて雑に束ねて、さも難しいことのように見せつけているだけなのです。ズルいですよね。
 
そんな反骨精神に支配された筆者をして、こいつはちょっと塩梅が難しいなと思ったものを書かなければなりません。それは論文の構築です。
 

卒業論文の骨組み(うちのゼミの場合)

 
卒業論文の説明の前に、論文(学術論文)というものがどういう骨組みかをごく簡単に説明しなければなりません。実は「演習」くらいの回を書いていて、ダークな部分を見せるのは止めておこうと思っていたのですが、卒論について何も書かないのは誤解を招くだろうという指摘もあり、それならばと思い直したまでです。
 
論文とは、論理的に書かれた文章です。
 
まーたこいつ簡単なことを・・・と思われるかもしれませんが、はてさて論理的とは何でしょうか。これもめちゃくちゃ簡単に言いますと「問題と解答が対応している(筋が通っている)」ことです。それをどうやって書くか・・・はちょっと置いといて、問題と解答で先に必要なのは・・・
 
「問題」ですね。問題がなければ答えることができません。
 
さて、ではこの問題をどうやって設定するか・・・もすっ飛ばして、良き問題が設定できたとしましょう。そうなると次に考えるのは当然「解答」です。これは目星がつきそうなケースもあれば、全く見当がつかないものもあるでしょう。どちらにせよ、問題はあなたが設定したものですから、その「解答」が正しいかを検証する手続きが必要です。手続きによって「データ」が集まり、それを踏まえてああでもないこうでもないと「吟味」すると、そこから「本当の解答」が見えてきます。つまり、
 
論文は「問題」への「解答」を考えるべく、「解答の検証手続きによって得られたデータ」を「吟味」した上で「本当の解答」を示した文章のこと。
 
ということになります。簡単でしょ?
 
で、でですね。待って待って終わらないで。もうちょっとだけですから。一個だけ上に戻りましょう。「問題をどうやって設定するか」。せっかく「問題とその解答を示した文」ですから、そもそも問題が読むに堪えるものでなければもったいないですよね。では実際に「読むに堪える」ってどういうことでしょうか。細かいことを言い出すと扱うテーマごとに差異があるのでなかなか収拾がつかなくなるのですが、ひとつの目安は「新しいかどうか(未知の部分があるか)」です。つまり今まで誰も解いたことのない問題かどうか、もっと言うと動かしようのない解答がまだ存在していない問題であるか、です。残念ながら、読んでいて笑えるとか読み応えがある、ではありません。ただそれを「未知である」とするには、「既知ではない」ことを示す必要が出てきます。つまり、
 
論文とは「これまでの状況(研究の事例や成果)を踏まえても未知な部分(=問題)」の「解答」を考えるべく、「解答の検証手続きによって得られたデータ」を「吟味」した上で「本当の解答」を示した文章のこと。
 
ということになります。簡単ですよね! ね!!!
 
さて、これを踏まえて、カギ括弧のところを少しだけもっともらしい言葉に置換してみます。
 
「これまでの状況」→背景
「未解明な部分」→問題提起
「問題」→目的
「解答」→仮説
「解答の検証手続き」→方法
「得られたデータ」→結果
「吟味」→分析、考察
「本当の解答」→結論
 
せっかくなのでもっともらしい言葉だけ取り出して並べてみましょうか。
 
背景
問題提起
目的
仮説
方法
結果
分析と考察
結論
 
人間科学では・・・と言えるほど調べていないので断定はできませんが、少なくとも上野ゼミや同じ領域では、基本的にどの論文もこのような骨組みで構成されています。もちろん他の分野においては色々なやり方があると思いますので、ここでも「このゼミはこういうもんだ」程度に捉えてください。
 
もちろん、より詳しいことを学びたい方は、良書がたくさん書店に並んでいますので、ぜひご購入ください。ひとつだけ。その際に購入する本がカバーする領域がご自身の専攻する領域を包含しているかどうか、それだけご注意くださいね。
 
・・・ね?簡単でしょ?
 
えー「吟味」って言い方ズルくない?そんなこと言ったら全部吟味じゃん。それと「目的」って単に問題を書くのみならず論文そのものを端的に説明しないといけない文章だよね。てかそもそも統計的仮説検定の種類を・・・などと言う人は生のピーマンでも食べててください。
 

eスクールにおける卒業論文の位置づけ

 
上記を踏まえてeスクールにおける卒業論文(卒論)の位置づけについて語ると、ラスボスです。というかラスボスではない大学もあると後に訊いて「え?そうなの?」と思ってしまうほど、卒論=ラスボスという等式は当然だと思っていました。だって学生が「大学を卒業するに値する」と証明するのに、最も手っ取り早いのは論文を執筆できる能力を示すことですから。
 
もちろん大学や学部ごとに事情が異なりますし、卒業「論文」はないけれど大変な労力を伴う「研究発表」や「卒業制作」が課せられている、といったケースも考えられます。学士としての到達目標を達成したと証明する手法としてのラスボスなら、確かにどんな形式・名称でもよいのでしょう。もし卒論=ラスボスという図式がない大学でご卒業なさった皆さまは、大学の後期で最も厳しかったタスクと読み替えていただけるとよいかと思います。
 
話を卒論に戻します。卒論(卒業研究)の着手時期はゼミによりますが、どのゼミでもゴールは卒論の完成となります。分量は、これまたゼミによりけりですが、上野ゼミの場合は「本文60ページ」でした。
 
皆さんは60ページと聞いて、「お、少ないじゃん?」と思える人でしょうか。思えるなら、素晴らしいです。ただ当時の筆者も含めて、60ページという数字にビビる人の方が多いのではないかと思います。もちろん60ページを、このコラムのようにあっち行ったりこっち行ったりしながら書くのではなく、理路整然と過不足のない適切な事柄だけ書くとなると、それ相応に素材の絶対量が必要になることは容易に想像が付くところです。
 
あ、もちろん、生データや調査票といった「資料」は別枠です。目次とか表紙とか中表紙とか参考文献とか謝辞とかもページ数には含みません。実質的には60ページどころではなさそうなことが、お分かりいただけるかと思います。
 

とあるeスクール生の卒業論文歳時記

 
eスクールにおける卒業研究は春から始まります。ここでは上野ゼミの標準形態である「演習は演習、卒業研究は卒業研究」という理念に基づき、筆者4年目の春から述懐することにします。
 
季節ごとに卒業研究の進捗目安を示していくと、春に構想、夏には調査、秋は執筆、冬に提出というのが理想的なペースです。お、分量60ページとはいえ、結構な時間を費やすわけですから、実際はいけるんじゃないか?って気がしてきます。でも山の頂って、見上げる段階だと結構近いような気がしますよね。まあそういうことなのです。
 
:知りたいことってなんじゃらほい
 
卒論着手にあたり、いわゆる「目的(問題)」と「仮説(解答)」については、ゼミ面談の段階である程度クリアにしていた事柄でした。しかしそれを具体的な問題提起に落とし込むとなると、その前段である研究背景(既往研究)について調べなければなりません。既往研究と今回の卒業論文がどのような関係性にあるか理解していないと、この研究の位置づけを説明することが難しくなるからです。そう思って既往研究を調べると、たいていはあら意外と先人達って賢いのね、となります。特に設定したテーマが大きめであったりすると、その問題に関する正しい解答を既往研究調べで完全に編み上げてしまうということもあり得ます。謎が解けたという意味では幸せですが、卒論を書く身分としては書くことがなくなってしまうので辛い話です。
 
結局、僕が知りたいことって何だろう。
 
ゼミでの様々なやりとりの中で、「問題意識」というものがいかにあやふやであったか、その現実にうちひしがれる春の宵です。
 
夏:できることってなんじゃらほい
 
理想のペースにおいては何らかの調査を行い、そのデータが上がってきたうえで夏休みに分析に取りかかる・・・はずでした。しかしどうでしょう、そもそも知りたいことを設定しても、それがどのように証明できるかを両輪で考えなければならないため、調査計画はいっこうに具体化しません。
 
まあぶっちゃけ、やりたいこととできることは違うのです。
 
けれどそれならばとできることだけで考えを進めると、今度は「それって何が新しいの?ん?」となります。演習もっとちゃんとやっておけばよかったのかな。でもやっていたとしても、新しいことをできたかは分からないので、結局ぐぬぬと歯を食いしばるしかありません。自分の手持ちの実験・調査に関する引き出しの少なさ、春から一向に深化しない問題意識の浅さ、その現実に絶望する夏の夜です。
 
秋:できることだけでもやっていこう
 
大いなる悩みに見舞われながらそれでも前進していたところ、学生も先生も突然気がついてしまいます。卒論にそろそろ取りかからないと。何言ってるんだって話ですよね。でも真実なのです。卒論を書いていたつもりが、卒論を書いていなかったのです。どこで慌て始めるかのトリガーは人それぞれだと思いますが、やはりぶち上げたテーマと、そのテーマを昇華するために必要な時間のアテをうっかり考えてしまうことで、ゼミのすべての関係者が現実に気づいてしまうのです。
 
そして思うのです。もう、できることだけでもめいっぱいやっていこう。
 
巷は夏の暑さがようやっと薄れ、そこまで汗ばまなくなった立秋の空気は、いいからそろそろ頭を冷やせと忠告しているようでした。
 
10月:分析に意味あるの? そもそもデータに意味あるの?
 
理想のペースは何処へやら、本来なら優雅に執筆に取り組んでいなければならない時期に、やっとこさデータっぽい何物かが積み上がります。秋は運動会の季節だし、あくせくするのも悪くないよね・・・といった感じの鼻につく達成感に浸っているのも束の間、教員や教育コーチから上述のような指摘がなされます。
 
え、急にそんなこと言われても。
 
でもここで「意味はあります!」と説明できないとしたら、残念ながらそういうことなのです。そうなると分析に使えるデータだけを拾うなり、涙を堪えてやり直すなり、物量に頼ることをあきらめて使えるデータを集めていくことを心がけるようになります。どんな人間でもひとつ、いえ、ひとつどころではなく美点があるものですが、ゴミデータはいくらあってもゴミです。いやそんなの最初から気をつけていればいいじゃない、と外野は言うのです。そんなのわかってるよ!わかってるのにうまくいかないんだよ!
 
11月:そもそもこの研究ってどんな意義があるの?
 
悲しみと怒りを乗り越えながら、章立てで言えば方法、結果、分析がまとまってきました。格好良く書くとそうですが、これだけでは実験・調査の報告を終わらせたに過ぎません。何のためにやっていたかといえば、論文としてまとめるためです。しかし作業に熱中する余り、そもそもの目的、問題意識と導かれた結果、分析にズレが生じることがあります。むしろ何も意識しないと生じて当然かもしれません。
 
そうなると何が起きるか。この研究の意義を説明できなくなるのです。だってここまで形になっていることは、仮説の検証、ではなくて調査スキルの勉強とその成果発表なのですから。埋蔵金探しの番組で、掘ってみて出なかったならまだしも、掘るための機械を造って番組を終わりにしたらそりゃさすがにどうよってことになりますよね。そりゃ開発自体はすごいかもしれないけどそういう番組でしたっけ、という。
 
おいもう間に合わないぞ、前も言ったよね、言ってる意味分かる?
 
教育コーチの叱咤激励が遠くで聞こえています。これまでの人生で十分傷ついてきたし、これ以上傷つきたくないので、なんだか自分自身の境遇の客観視だけは上手くなってきた気がする秋の夜長です。
 
12月:それで結局何が分かったの?
 
寝ても覚めても論文の展開に頭を悩ませながら、やっと背景から考察までに一本の背骨を通すことができてきたような気がします。あとは図表を読みやすくしたり、表記揺れや相応しくない表現を改めたり、誤字脱字やフォントの設定ミスを地道に潰していったりします。しかし根源的かつ危険な指摘はこういった状況でももたらされます。
 
ここまでがんばったのは分かるけれど、それで何が言えるのですか?
 
いや、それを言い出したら・・・
 
確かに。調べられる範囲で調べたことを、無遠慮な指摘に怯えながら論考して、それで何が分かったんだろう。時に頭を抱えながら、あるときは急激に霧が晴れたかのような、山の天気のように気分をめまぐるしく変えながら、その都度「指摘への答え」と言えそうな何かを用意していきます。それは取りも直さず、この研究から言える結論を考えるということなのですが、春先の空想と比較してのあまりのショボさに慄然とせずにはいられません。言えるのは言えるけど、堂々と言えるほどのものなのか?
 
クリスマス、年の瀬、大晦日。冬の夜更けの底冷えを頭のどこかで認識しながら、おそらく本当に最後であろう追い込みは、某紅白や某笑ってはいけないの視聴機会をも擲(なげう)ちながら、意地の加速を見せ始めます。そして年明け、三が日。箱根駅伝のランナーが大手町のゴールに帰り着く頃、卒論執筆の長い旅も終わりを告げようとしていました。というかもうここで終わらせないと、提出期限に間に合わなくなるので。
 

卒論提出、そして最後の聖戦「口頭試問」

 
1月中旬。もう永遠に終わらないように思えた執筆が終わり、卒論の提出が完了しました。提出期間はあらかじめ大学側が指定するもので、1秒でも遅れたらこの学期での卒業は認められません。締め切りにうるさいようで、ゼミ内での締め切りをちょっとお目こぼししてくれたこともあった上野先生も、本提出だけは遅れちゃダメと真面目に語っていたところを見ると、規格外行動やってみよう!とか時間ギリギリで出してみよう!といった、このノートパソコンってバッテリー何%まで生きてるのかな?0%でも実はちょっといけるんじゃないか?的な物騒なサプライズを企画する気にもなりません。
 
これにて卒業!
 
と、問屋が卸してくれればよいのですが、ここからが最後の聖戦、口頭試問なる戦いの始まりでもあります。
 
eスクールでは晴れて卒論提出を済ませた学生を対象に、口頭試問(発表)が許可されます。口頭試問の期日は原則として秋学期の最終週の土日で、開催場所は所沢キャンパスです。必修科目、専門科目、ゼミのほとんどをオンラインでこなしてきたeスクール生も、よほどの事情がなければこの口頭試問は所沢キャンパスに赴いて行わなければなりません。まあ卒業試験ですから、無理もないところです。
 
口頭試問(発表)は、正確なところは忘れましたが、5分とか6分程度の発表時間と、その倍くらいの時間内で投げ込まれる質疑に滞りなく答えることが求められます。発表会場は教場で、発表は全教員、全教育コーチ、全在校生が自由に聴講できます。1年以上かけた論文の発表時間が長くても6分とはいかにも少ないですが、制限時間に収めるというのも自らの研究を熟知しているかの評価ポイントとなります。タイムオーバーは印象最悪です。
 
口頭試問直前のゼミでは発表に向けての事前練習をひたすらこなし、口頭試問その日は(研究本体に費やした時間と比較すれば)あっという間にやってきました。聴講した人の数は、同時刻に行われた他の方の発表が盛り上がっていたらしいこともあって、かなりまばらでした。10人は居たような気がしますが、よく覚えていません。とにかくタイムオーバーしないように、けれど過度に意識すると時間が大きく余るので、ペースには常に気を遣いながらの6分でした。質疑も滞りなく終わり、次の発表者の準備を始める関係で、感慨に耽る一瞬の間もなくパソコンを閉じ、発表は終わりました。
 
えっ・・・これで、終わり・・・?
 
実を言うと筆者は、プレゼンテーションこそゼミでの経験が主ですが、人前で喋る系の経験は訳あって相当こなしているので、全然緊張しませんでした。あえて言えばちょっとは緊張していたかもしれませんが、これまでの自分の経験からすれば取るに足らない心拍数上昇でした。部屋に小さいムカデさんが出たときの方がよっぽど危機的です。
 
そのためこの点はちょっと、苦労した感をお伝えすることができません。まあそれを差し引いても、賞味15分程度の発表というのは練習によって緊張しなくなるので、もしプレゼンが苦手という方がこのコラムを読まれていましたら、まず人前で、仲間や家族の前でもよいので喋るなり歌うなりの機会を作ってみてください。
 

終わったのか?本当に終わったのか?

 
eスクールでは卒論に関する提出ごともオンライン上で行います。口頭試問こそ対面ですが、基本的には例によって重量感をあまり感じないまますべてのタスクが終わりを迎えます。あるいはそれまでの実験・調査における重量感がリアルであるほど、試験フェーズ(提出・口頭試問)はあっさりしたものだという認識になるのかもしれません。
 
そしてそのあっさり感は、ファイティングポーズをなかなか解除できないという後遺症となってしばらく残り続けます。まだ何かあるのでは。実は不合格で、追試ならぬ追加口頭試問もあるんじゃないか。そういった思いは2月下旬の成績発表まで完全に拭い去られることはありませんでした。職業病ならぬ卒論病・・・でしょうか。
 
2月下旬。正式な成績発表が開示され、卒業が決まりました。
 
終わった。終わったんだ。
 
窓の外の景色はいつの間にか春めいて、例年通りの桜吹雪の予感を漂わせていました。
 
 

いーすく! #14 大会発表!

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冬の名残がまだある2月、ゼミ生一同は所沢キャンパスに集まっていました。大会発表の準備のためです。
 

#14 大会発表!

 

もうひとつの卒論、「要旨」

前回コラムでは卒論を書き上げるまでの右往左往をお伝えしましたが、そこで書き忘れたことがありました。それは卒業論文本体と共に提出が義務づけられた「要旨」の存在です。
 
卒論の提出要領には卒論本文に加え、所定の書式1ページに収めた卒論要旨、要は要約した卒論を添付することが必要でした。この要旨、仮に60ページの卒論を要約するとすれば、情報量を実に60分の1に抑えなければならないかのようにも思えます。そこがまさに工夫のしどころで、あれだけ悩み抜いた論理展開を一旦背骨だけにして、必要最小限度の肉付けを行うことを求められます。そのさまは高速走行でいきなりバックギアに入れるかのごとき難しさで、改めて自分の論理構造が「構造」と呼ぶにはあまりに複雑怪奇であったのかを思い知らされます。
 
もちろん、そうはいっても書き上げなければ卒論は提出できません。先生の中には卒論本体より、短い時間で内容を把握できる要旨を重要視するという場合もあるようで、油断することはできません。時系列的には卒論を本体を書き上げた三が日の後、本提出前の僅かなインターバルを活用して、なんとか書き上げました。そして口頭発表を終え、卒業の二文字がやっと現実の物となるかならないかの頃、ゼミ生の2名が所沢キャンパスに招集されました。大会発表への準備、いわゆる「梗概」を書くためです。
 

もうひとつの卒論、「梗概」

 
また某ヨーロッパの某連合王国の紳士も真っ青な二枚舌見出しになってしまいました。これから取り組むのは、ゼミが属する領域の学会(A学会)で年に一度行われる全国大会での発表原稿、いわゆる「梗概」の執筆です。
 
梗概とはぶっちゃけ「要旨」とほぼ同じ意味で、この学会の場合は所定の書式2ページに収めることとなっていました。仮に60ページの卒論を要約するとすれば、情報量を30分の1に抑えなければならず、工夫のしどころです。しかし卒論の要旨と比較すると2倍書けるわけですから、まあ要旨を2倍に膨らませればいいじゃないかって話です。
 
しかしやはりというか、その考え方だとだいたいうまくいきません。これは写真の解像度を考えてもらえば分かりやすいでしょう。フルサイズで撮影した高精細画像を小さい記事に掲載すべく、長辺480ピクセルに圧縮しました。しかし今度は少し大きめの記事に同じ写真を用いる必要が出てきました。ここに480ピクセルの画像を2倍に引き伸ばして貼ってみますと・・・
 
もう、なんで最初に言ってくれなかったんですかね上野先生は。小さくした画像を無理矢理引き伸ばしたりしたら印刷屋さん怒り出しますよホント。とぼやいても後の祭り、結局卒論本体を一から読み直し、拾うべき項目を自分なりにチョイスして、改めて梗概を組み立てることにしました。激しい幻聴、蘇る卒論の追い込みの日々。選んだテーマは今も興味があるものですし、説明できるといえばできるわけですが、考えるたびに悩んだ日々の傷跡にも触れることなりますので、なかなかしんどいものです。
 
それでも少ない知恵をしぼって小さくまとめ、先生と教育コーチのチェックを経て、投稿は締め切り(4月上旬)の数日前に完了しました。冷静に振り返ると要旨も梗概もなかなか粗っぽい出来なのですが、当時の自分は「いちいち頑張ったんだよ・・・」という努力の跡さえ伝わればいい、と思っていました。実際、一歩を踏み出したことは大きな出来事であったと今でも思います。ただまあはっきりいって、頑張ったんだなということもそんなには読み取れないような原稿ですけれど。
 

(良い方の)デジタルタトゥー

 
さて、要旨と梗概の物理的な違いについて紹介しましたが、実はもっと根本的な違いがあります。それは内容がCiNii(サイニー)に掲載されるか否かです。これには卒論が基本的には学内向けの論文であることに起因します。実は、卒業論文はそれだけでは世界に公表されません。あれだけ頑張ったのに、夜討ち朝駆けで書き切ったのに、その結晶が所沢キャンパスの豊かな自然の外に出ることはないのです。なんとなくのイメージとして、論文=世界に発表されるもの、と思いがちですが、実際に世界に発表されるためにはもうひと手間が必要です。
 
そのもうひと手間とは何か。色々あります。大学によっては自ら「紀要」などの論文要旨掲載誌を発刊したり、単純に内容を開示するだけでよいなら、ゼミが開設しているウェブサイトにデータを掲載するという方法もあるでしょう。しかし最も効果的なのは、著名な学会が主催する大会へ投稿することです。
 
若干のタイムラグはありますが、投稿に関する情報は国立情報学研究所が管理する「CiNii Article(サイニー・アーティクル)」というデータベースに掲載され、原稿は科学技術振興機構が管理する電子ジャーナルのデータベース「J-STAGE(ジェイ・ステージ)」に収納されます(2020年4月現在)。論文に手を染めたことのある日本国内在住の方なら多くがフル活用したであろうCiNiiでエゴサーチをかけると、自分の論文が出てくるようになるのです。これは一生の記念です。ひ孫の代まで自慢できます。良い方のデジタルタトゥーです。しかも今日日、あまり良くない意味でのデジタルタトゥーは気持ち次第で消せるようになってきましたが、こちらはなかなか消せそうにないですね。いや、消さないでください。
 
などと上野先生にそそのかされ、筆者はまんまと作業に着手することにしたのでした。
 
ちなみに学会が主催する大会への投稿には学会員となることが必要ですが、このA学会の場合、学生向けの準会員(年会費などが割安)という資格を用意するなど、学生発表者への配慮が垣間見られます。また大会の梗概は査読(専門家による内容チェック)がないため、ここだけの話ですがやりたい放題です。本当にやりたい放題をやり過ぎるとさすがに学会の大会運営を司る人々に見つかって怒られてしまいますが、基本的には「この見出し、二枚舌じゃないか!」などといった内容面への指摘を受けることはありません。そうはいってもあまりに幼稚であると大会発表に相応しくないので、そこは先生がお目付してくれます。
 

発表は9月!

 
春先の空騒ぎのことはすっかり忘れ去った9月、A学会大会の本番です。日程自体は投稿の段階で分かっていることでしたが、結構なインターバルです。人間半年もあれば色々あるものですから、大会のことはものの見事に忘れ去っていました。いよいよ当日が近づいてきた8月下旬、そういえば発表が間近だったといきなり慌てふためいた当人、先生、教育コーチが再集結し、卒論を読み返し、梗概の内容と齟齬がないように発表スライドを作り、発表と想定される質疑の練習をひたすら繰り返したのでした。
 
大会の会場は、なんと神奈川県の西部、筆者の住む地域から車で1時間とかからない山奥に位置するT大学平塚秦野キャンパス(仮名)でした。あの所沢キャンパスと比較すれば(個人的には)近いのなんの、買い物のついでに立ち寄って発表できそうなレベルです。近くには大学名を冠した駅があり、電車で行くことも可能な場所でしたが、どうも駅から延々と登り坂を歩かなければならないという宜しくない情報を聞き入れ、車で向かうことにしました。ただ駐車場がなかったため、近くのコインパーキングに駐車しました。
 
大会は3日間の日程で開催されていました。3日にわたり、会場内の数十箇所(教室)で、ジャンルが細かく分割されたおびただしい数の発表が矢継ぎ早に行われていきます。筆者は3日目(最終日)の午後という、お世辞にもあまり注目されなさそうな時間帯に、まばらな数の聴衆の前でひっそりと発表を終えました。卒論の口頭試問でも聴衆は10人居たか居ないかのレベルでしたが、今回もそれくらいでした。発表が炎上しなくて良かったなと思う反面、あまり注目もされなかったなという複雑な心境でした。まあでも、いいでしょう。とちったわけじゃない。たぶん。
 

大会の正しい楽しみ方

 
ちなみに大会というのは発表を行うだけが目的ではありません。発表を聴くことが大事です。しかし先述のように、大きな学会の全国大会となると参加者も発表の本数も膨大です。加えてほとんどの学会では毎回それなりのテーマが設定され、それに合わせて高名な先生方を集めたシンポジウムなどが開催されます。よって全部聴くのは無理です。TDRのアトラクションやイベントを一日で全部乗って観て味わうくらい無理なことです。そのため参加者は、各自それぞれの興味に合わせた聴講計画を立てます。ちなみに発表には会員資格が必要ですが、入場(聴講)は入場料を払えば誰でも可能です。
 
そしてこうした大がかりな大会のもう一つの側面が親睦です。大会とは則ちその領域に関する同志が集まる場であるわけですが、通常、同志は全国の大学や企業、研究所といった職場に散り散りになっています。加えて研究者というのはほぼすべての場合、その人が関わった大学、研究所や会社などがあり、お世話になった先生方や先輩方が多数居るものです。そういうのが一箇所に集まれば、書くまでもなく、同窓会が無数に発生します。意気投合すれば昔話に花が咲き、そのまま平塚やら厚木やらの飲み屋で盛り上がり、勢い余って新しい共同研究の話なんか浮上しちゃったりなんかして。
 
ちなみにこの年の大会、筆者は時間の都合もあって自らの発表時間帯以外のイベントには一切赴けませんでしたが、公式行事としての懇親会やゴルフ大会まで設定されていました。一般参加の場合はさすがにそのような場にまで入ることは難しいですが、それはその年だけのこと。興味のある分野で興味深い先生の発表を聴き、思い切ってご挨拶でもしてみれば、そこからあなたの興味と人脈は劇的な広がりを見せる・・・かもしれません。そんなに数を打たなくてもよいので、気になる発表者(先生)にはぜひご挨拶と感想をぶつけてみて、できれば知り合いになりましょう。次の年の大会では、もうあなたは発表者になっているかもしれませんよ?
 

自らの手で卒論を説明する最後の場

 
最後に、大学生(学部学生)にほぼ限定したエピソードを書き添えたいと思います。学会が主催する大会の開催時期はそれぞれの学会によるため一概には言えない部分もありますが、卒論の内容を大会に持ち込む場合、たいていの場合は卒論発表の後にそのタイミングが訪れると考えられます。
 
これは言うなれば、大会発表とは学生が卒論を自ら説明する事実上最後の場である、ということです。偉業の度合いは異なりますが、こういうシチュエーションは「部活の最後は全国大会だった。最後の最後に一番大きな舞台にたどり着いた」というような、儚さと同質の格好良さがあると思うのは筆者だけでしょうか。まあ格好良いかどうかは別としても、個人的に、大会発表はぜひ卒業生の誰もが体験して(目指して)欲しいと思います。
 
ただ大会発表が卒業後となる場合、学生は既に社会人一年生となっています。社会人学生の場合はこの限りではありませんが、仕事ないしは主婦業など、学業以外の新たなルーチンで日常が埋められていることは想像に難くありません。様々な逆風(有給を取れるか、会社が許可するか、日程が重要なものと被らないかetc)を乗り越えて発表の機会を得られるかは、実際問題微妙なところです。
 
しかしできることなら、ゼミの先生が「大会に出してみようか」と言いたくなるような内容の卒論を書き上げた学生はもれなく大会発表までたどり着いて欲しいと思いますし、先述のように真の意味で「世界に発表した」ことが確定するからです。
 
大会での発表を行う新入社員が社内にいる」という事実を会社の財産と捉える気運が盛り上がることを、密かに期待しています。
 

祭りのあと、さてこれからどうする?

 
発表終了後。すなわち大会自体の終了後、上野先生をはじめとするゼミ生が会場入り口付近に集結し、簡単な打ち合わせを済ませた後に解散となりました。祭りのあとはまだ熱気の残る、それでいてどこか冷気の重みも予感させるような秋の風が吹いていました。筆者はコインパーキングに停めていた車に向かい、え?秦野って数時間停めるだけでこんなになるの?ぼったくり?と財布に思わぬダメージを受けつつも、帰路で立ち寄った大磯のサンマルクで舌鼓を打ち、食べ放題のパンを懐に隠し持つ誘惑を振り払いながら帰宅しました。よもぎパン、美味しい!
 
さて、特に終盤はやたらと卒論、卒論と喧しいコラムでしたが、当初予告通りこの「いーすく!」は今回(第14回)が最終回となります。eスクールでは、多くのことを学ばせてもらいました。多くの友人に恵まれ、多くの経験を得る、すばらしい日々でした。
 
でもなんだか、このコラムの締めとしては軽い気がします。書いている人間がそう思うのですから、我慢して読んでくれた方にはもっとそう思ってしまっているのではないかと心配になります。
 
そういうことです。
 
 
ま、大丈夫そうなんで。
 
 
 
(fin)