いーすく! #11 大ピンチ!

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もうすぐレポートの締め切りというこの大事な時期に、こんな大ピンチが訪れるとは。
 

#11 大ピンチ!

 
eスクールつきの生活に慣れ、eスクールの課してくる無理難題に慣れても、窮地と呼べる瞬間は何度も訪れました。話題の性質上、さすがにすべてが我がことではないのですが、後学のために事例と対処法をご紹介したいと思います。
 
俺たちの(あいつの)ようにはなるな!
 

まさゆめプレゼンツ「しくじりレクイエム」

 
第1楽章:受講もう間に合わない気がする系
 
幸いなるかな、悲しみを抱く者。(新約聖書 マタイによる福音書より)
 
本業やら先延ばし癖やらで、土日のみ受講に追い込まれる学生は1分1秒を無駄にできません。しかし何を善処しても、唐突に告知される長尺の小テストやグループワーク、いつも1時間程度の講義映像がなんで今回だけ2時間あるの?という過剰サービスの発生を妨げることはできません。年季が入ってくると残念ながら大学に隕石を落とせないことも知っていて、ディスカッションで主張できそうな内容は先に受講している人たちがもれなく書いていることも深く認識しています。
 
心証を良くする・・・もとい、BBSに爪痕を残すためには、さも「色々見ていましたが結局こういうことですよね」的な視点で、お前何様だという視線を感じながらまとめにいくコメントを書くしか・・・
 
しかしこういった受講生は、そもそも議論に参加していないのです。まとめようにも知らないのです。プランBとして、それまでの議論とは微妙にズレたような、しかし「講義ちゃんと理解してるの?」というツッコミを受けない程度には内容を反映させたコメントを書くしかありません。でもそれって、とんでもなく難しいことです。なんせ知らないんですから。こうして一読して意味の読み取れない、三回くらい読んでも意味の読み取れない書き込みが日曜の夜にひっそりと投下されます。
 
藤沢先生 桐生コーチ 受講生の皆様
第11回講義、受講しました。
今週は「都市環境とデザイン」というテーマで、都市の環境とデザインがどのような関係にあるかを学ぶことができました。
特に行動からデザインを考えるというスライドで、人と人によって関係性が変わるということが面白いと感じました。
来週もよろしくお願いします。
 
それでもまだ、間に合えば救われるのです。これがタッチの差で間に合わないとなれば、日付をまたいだ延長15回の試合に敗れた野球選手の如き疲労感を翌週に引きずることになります。もう、連敗街道まっしぐらですよね。アーメン。
 
 
第2楽章:突然のメカトラブル系
 
人はみな、草の如く。その栄華とは、草の花の如し。(新約聖書 ペトロの手紙より)
 
その文脈に従うならば、ディスプレイもCPUもメモリもストレージも、所詮は草であり、その中身という花も枯れ落ちるのです。しかもそれは突然やってきます。突然に加え、今だけは来ないで欲しいという時を見計らってやってきます。期末レポートの絵をイラレで描いているときとか、それをワードに貼ろうとしてメニューバーをクリックしたらなぜか動かなくてあああああ。もう大学関係ないやんと思います。言い直すなら、大学であってもこの霹靂から逃れる術はないということです。
 
一方でハード面、いわゆるパソコン本体のトラブルについても、避けられない運命です。皆さんは、家に帰ってみるとけたたましいビープ音と共にパソコンの筐体が悲鳴を上げている姿、見たことありますか。ノートパソコンに醤油とか、味わわせたことがありますか。戦時下の日本では徴兵を逃れるため、兵役検査の直前に醤油を一升瓶飲んで昏倒する者が居たという話を聞いたことがありますが、パソコンさんには一升も要りません。というか醤油じゃなくても液体系は要りません。あの日のパソコンは、もう戻ってこないんですよ!
 
筆者がこの不安から劇的に解放されたのは、オンラインストレージの活用を始めた時でした。最初はその仕組みがよく分からず「いちいちオンライン上にプライベートのファイルを置いとくの?恥ずかしくない?」などとすら思っていましたが、今やそれがなければすべての制作活動は成り立たないと言い切れるほど、オンラインストレージは生活に根ざした存在となりました。ソフト的なトラブルへの対処としても、ハード故障による損失を最小限で抑えるためにも、オンラインストレージは唯一解です。現在、W大では学生向けオンラインストレージを提供しているとのことですから、こうしたサービスの充実が世界中の大学生活の標準どころか前提となる日も遠くないことでしょう。
 
それでも、トラブルは常にあなたの側に居ます。AppleCareに入ってますか。ヨドバシ長期保証も悪くないですよ。保証書は取ってありますか。UPSは入れていますか。ストレージ容量はきちんと確保していますか。できれば、稼働用と定期バックアップ保存用のオンラインストレージを別個で欲しいくらいですね。それでやっと、おやすみなさいを心穏やかに言えるように・・・
 
え?インターネットが繋がらない?エアステーションっていう画面が表示されている時に説明書に書いてないやり方だけでどこか変えちゃった?
 
・・・所詮、ルーターも草なのです。
 
 
第3楽章:レポート出せないんじゃないか系
 
主よ知らしめたまえ、我に終わりの定めあること(旧約聖書 詩篇より)
 
レポート、それはたかだか数千字程度のテキストです。それを書けるようになるために、この何週間も受講を経てきたわけです。ほら、数千字程度ならすぐに。
 
・・・その構想が一瞬で思い浮かんだか浮かばなかったかで、今の自分が天国、地獄のどちらに居るかを認識します。まずは浮かばなかった時、つまりは地獄の一丁目に居る場合を覗いてみましょう。
 
<地獄からのレポート書き>
先の見えないレポートを書くにあたり丸腰ではどうしようもないということだけは理解できるので、出題テーマに沿った適切な文献を探すところから始めます。でもこういう場合って、要は講義の内容を分かっているようで分かっていなかったんでしょうね。典型的な症状として、適切な文献というのが講義内の先生の説明しか出てこない、というのがあります。いっそこの(講義内の)発言をまるごと引用しても良いんじゃないか、と思ったことは数知れません。「藤沢先生第10回講義、第3章20:03の発言から」という感じで。文ではなく言質を取りに行く作戦ですね。うーん、リアル脱出ゲームだとたぶん失敗です。
 
なんとかして文献を見つけ出せたとして、次は書き出すためのテーマの検討です。「まさゆめの期末レポート」などというタイトルでは日記であることを隠せません。レポートたるもの、もっと客観的な視点を基に論じなければなりません。しかしつらつらと書いていると、あれ、私、いつの間になんでこんな感想書いてるんだろ?と思うことも少なくないものです。それもこれもすべて、構想が思い浮かばなかったという一歩目が影響しています。返す返すも、構想(構成)はとても重要です。
 
<天国からのレポート書き>
一方天国側、構想が思い浮かんだ状態でのレポート着手パターンは割とスイスイ書き上げられます。しかしこのルートでも苦心ポイントがあります。それはその構想が無理筋だった場合、巻き返すことに時間を要すということです。ある意味では最初から地獄に居るよりも遠回りを強いられることがあります。あるいは良い構想が浮かんだとして、それがとても手間の掛かる調査を要するという予感がある場合、どうにかしてそれを回避できないかという葛藤が生じます。だいたいの場合回避はできないので、悩んでる間の時間を無駄にした形となります。
 
天国ルート地獄ルート、いずれにしても最もどうしようもないものは締め切りです。もうとっくに何千文字も書いているのにも拘わらず、締め切り半日前の段階で読むに堪える部分は氏名だけ、なんてことも多々ありました。天国でも地獄でも、悪夢を見る宿命から逃れることはできないのです。
 
うなされている内は、悪夢にも終わりがあることを祈るしかありません。そして一歩一歩、重々しく、踏みしめながら、歩むしかないのです。
 
 
第4楽章:期限内におうち帰れない系
 
なんと愛しいことでしょう、汝の居るところは(旧約聖書 詩篇より)
 
社会人学生であろうとなかろうと、リアル世界での用事を避けることはできません。特に土日となれば、気の置けない友人との遊びにも付き合うことがあるでしょう。ほぼ東京都であると豪語してやまない夢の国の閉園時間まで心ゆくまで楽しんで、やたら混んでいる東京駅の長い連絡通路を歩いている最中、ハッと夢から醒める訳です。気持ちは分かります。きっと夢って時間が大好物なんですよ。そしてあの連絡通路は、そんな夢追い人が夢から安全に醒めるために必要なストロークなのでしょう。
 
ちなみに筆者はeスクール在学中、残念ながら夢の国に足を踏み入れることはありませんでしたが、元々家が首都圏の端っこにあるため、移動時間ロスは都会在住者の比ではありませんでした。にっちもさっちも行かなくなった場合の最終手段として、大学のキャンパス(図書館)に赴き学内のパソコンで受講するという力技も想定していましたが、そうそう何度も駆使できるものではありません。やはり期限内におうちに帰れないことを見越して早め早めの受講計画を実践するしか、根本的な解決策はないのです。
 
 
第5楽章:引用とかちゃんとしたっけか系
 
汝らも今は憂いあり(ヨハネによる福音書より)
 
長い時間かけて取り組んだレポートを提出したときの爽快感は、(経験はないですが)尿路結石が取れたようなもの、まさに肩の荷が下りたことが体感できる、eスクールライフの中に潜む数少ない快楽です。
 
しかしアドレナリンはほどなくして分泌が止まります。とりあえず落ち着いて、今日は寝てみようとなります。あれ?そういえば、引用きちんと載せていたっけ。そうなったらもう起きるか寝られないかの二択の始まりです。意を決して布団から這い出て提出したレポートを確認すると、結構な確率で誤りを見つけます。面白いことにそれは当初心配した内容であることより、思いもよらないケアレスミスであることがほとんどです。そしてそれが、更なる心配を呼び起こします。まだあるんじゃないか?
 
時には第六感、書いていて半音の半音ほどズレているような違和感を覚えながら書き進めて、その違和感に答えを出さないまま提出すると、提出した瞬間にその原因が理解できるということもあります。マクルーハンじゃなくてマルクーハンって書いていた、とか。我ながらなかなかな超能力だなと思うのですが、よく考えるとなぜそこまでモヤモヤの状況を維持してしまっているのか、そちらの方が超能力感あるような・・・
 
これ以上は論調が怪しくなるので種明かしをしますと、だいたいの場合何かが間違っているのです。きっとこの原稿も、何度読み返してもどこかで誤字があるのでしょう。
 
 
第6楽章:ガチ病気系
 
我らここに永住の地をもたず(ヘブライ人への手紙より)
 
eスクールの受講で優先度を高くしておきたい事象に心身の健康があります。特に社会人学生は、会社でデスクワーク、座学でデスクワーク、夜ナベレポートでもデスクワークとなれば、データを取るまでもなく死のリスクが高まりそうなものです。出来ることなら長期離脱となるような疾病の罹患は避けたいところですが、避けられるなら人類みな避けるはずです。
 
筆者は幸いにもeスクール在学中に大病を患うことは避けられましたが、発熱やら偏頭痛で受講が難しいというトラブルには何回も見舞われました。特に偏頭痛が週の最後(日曜の夜)に来て、なおかつ未提出のレポートがあるという事態になればゲームオーバーですので、そうならないようにしなければ・・・と考えていたことが、早め早め対処を習慣づけるきっかけになったのかもしれません。
 
世の中、いつも絶好調とはいかない方は結構多いと思います。もし自分がその範疇に入る人間だな、と思われるようでしたら、ハンデをむやみに無くそうとせず、ハンデをバネとした習慣を身につけることを目指した方がよいかもしれません。街中で急にお腹が痛くなることを気に病むなら、体調がおかしくなくても定期的にトイレに行くとか、そういう話です。デートの時も?もちろん。むしろ相手の体調にも思いが行き届かないようなお相手は、あなたではなく夢のあなたに惚れてるだけなので、とっとと別れるが吉です。夢から醒めたその人にあっさり捨てられる前に。
 
疾病に話を戻すと、疾病に関して実はとても寛容なのが大学という機関です。さすがに何の診断書もなければ難しいとしても、疾病の内容によっては大学側に相応の配慮を申し出ることができます。また長期療養となれば休学を検討してもよいでしょう。病気というだけで何かをあきらめるのは、大学に関してはちょっと早計です。
 
 
第7楽章:剽窃、中傷、ハラスメント
 
幸いなるかな、死人の内、主にありて死ぬるもの(ヨハネの黙示録より)
 
eスクールに限らず研究において大罪なのが剽窃(ひょうせつ)です。単純には人様の文章や作品などを自分のものと偽って用いることを指しますが、引用元を明示せず結果的に「自分のもの」と読み取れてしまう形で発表しても同罪となります。これをOKとしてしまうと研究は剽窃したもん勝ちというディストピアとなってしまいます。
 
eスクールでこの種の不正が発覚した場合、過去に大学側から公示された事例から推定すると、該当者は当該学期の単位をすべて没収される上、停学または退学となります。そもそもeスクールってキャンパスに登校していない訳ですが、それで更に「来るな」ですから、事の深刻さが読み取れます。
 
また同様に、eスクール生として中傷に手を染めることもよろしくありません。よく「善かれと思ってと言った・やった」という言い訳がありますが、善かれと思うならまずは相手の立場をむやみに損なわないような他の言い方・やり方を模索すべきではないでしょうか。最近では匿名で中傷行為を行っても、現在は被害者側が発信者情報開示請求を行えるので逃げ切れません。
 
その他、有形無形のハラスメントも懲戒の対象です。ゼミの先生に、サークルの先輩に、あるいは学生に嫌な思いをさせられていませんか。W大にもハラスメント相談窓口があります。いきなりそこに駆け込むのは気が引ける、ということであれば、当事者ではない大学関係者(教員、事務局員など)や第三者に相談するのも良いでしょう。
 
いずれにしてもこの種の洒落にならない問題を受けて、大学という一般社会一歩手前のコミュニティーで制裁を受けることは、痛撃ではあるもののその当人が何かを学び取る最後の好機かもしれません。その意味で、この種のペナルティーを科せられた人々も運は残っているのでしょう。もちろん、被害を受けた側はもっと多くの運が貯蓄されていると考えたいところですね。
 

ピンチはみんなにやってくる

 
ちょっと終盤は洒落にできなくてついついマジ基調になってしまいましたが、eスクールでのピンチというのは大なり小なりみんなに降りかかってくると考えておくべきです。よくピンチはチャンスと、努めて前向きに捉えようという考え方もありますが、素直にチャンスと受け止められるピンチばかりではないことも事実です。たまたま今回は自分にお鉢が回ってきたんだなと思って、自分の受け止められる範囲で実直に向き合うことが大事です。
 
そしてそうした経験を経た人、あるいは(望み薄ですが)こういったコラムで思いを改めてくれた人は、どうかピンチに陥っている人を過度に突き放さず、適切な形で見守るなり手を差し伸べるなりを行って欲しいと願います。当人の成長や経験を考えると、事あるごとに心配して助けることもまた過保護なのかもしれませんが、痛みの強さは人それぞれ、苦しそうだと思えたならば、一般的には手を差し伸べる必要がない局面でも助け船を出すことは正しい行いであると筆者は思います。またその判断がなるべく適切であるように、やはり日頃から色々な見方を培っておくことが重要になるのでしょう。
 
ピンチはみんなで乗り越えるもの。きっとそう。
 
 
・・・でも、本当にそれって、乗り越えなきゃいけないものなのかな?
 
 
今回は文字数の目安もありますので、この続きは次回。
 
 
 
 
参考
The Web KANZAKI(2008)「ドイツ・レクイエムの歌詞と音楽」
加えてWikipedia「ドイツ・レクイエム」内の聖書訳文も参考とした
早稲田大学ハラスメント防止委員会 https://www.waseda.jp/inst/harassment/